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創価学会の真実の歴史 --平成4年(1992)〜平成10年(1998)--

引用表記:(創年)➡『創価学会年表』聖教新聞社  
 平成4年(1992年)
1992.1.5
新春幹部会(東京・創価国際友好会館)
池田「私どもは、どこまでも大聖人の御心を、まっすぐに拝している。ゆえに強い。『大聖人直結』か、「大聖人利用」か。ここに学会と現宗門との根本的な相違がある。『正邪』は初めから明自である―」(聖教H4・1・7)
➡後に大御本尊を完全否定した池田創価はまさしく大聖人利用に他ならない。
1992.1.8
第46回中央会議(東京・創価文化会館)
「ここでは、新たな弘教運動としての『会友』運動について、各方面の状況を交換しながら、活発に意見を交わした。その結果、『会友』運動は、あくまでも 『学会共感層』の幅広い拡大に主眼があることを確認。「開法下種』を通して、本人が会友になることを希望した時に『会友』として、『会友証』を差し上げる ことになった。また、共感層の拡大については、『会友』『友人』を合めて幅広く展開していくことになり、具体的には、各方面・県(区)で合議しながら進め ていくことを申し合わせた」(聖教H4・1・9)
1992.1.8
第14回参議会(学会本部)
「参議会では、『創価学会会則』の改正について原案通り答申した。また、『創価学会勤行要典』及び『御観念文』の制定について、全員の賛同により、決議した」(聖教H4・1・9)
➡学会はその後、勤行及び御観念文を変えていることから、制定には何の意味もない。
1992.1.9
宗門攻撃のミサイル
池田氏は、必勝の檄を飛ばす。
「今が正念場だ。ひるんだ方が負ける。私は負け知らずだ。本格的に関ったら、必ず勝てる。『地湧』は、宗門を攻撃す るミサイルとして一番の効果をあげている。『地湧からの通信』を百万部のベストセラーにするんだ。婦人部に読ませよう。ちなみに『地湧』とは、創価学会の 別動謀略部隊である「日蓮正宗自由通信同盟」が毎日発行するFAX情報。宗門攻撃では実績と定評のある野崎勲副会長がキャップとなり、日蓮正宗内の僧侶の 動きや宗内事情、″日顕一派″の非難・中傷等々の攻撃材料を専門に集め、関係者に流す。単行本にもまとめられ、すでに九巻までが発売された。創価学会の会合では必読の教材である。宗門攻撃の″ミサイル″に活用されるわけだ。」(平成4年1月9-16日号 週刊実話)
➡池田自ら、怪文書で洗脳をする指示。単なる謀略家となり果てる。
1992.1.15
全国青年部幹部会
御書に仰せの「一閻浮提広宣流布」を進めているのは、創価学会だけである。現実に、「立正安国」の行動を展開しているのも、わが学会だけである。 先生の怒りは激しかった。獄死した恩師牧口先生は、日蓮正宗の悪侶に切られ、いじめぬかれたのである。懺悔し、罪を滅する気があるならば、学会に来るべき である。学会には大聖人の御精神が脈々と流れているのだ。「仏のみ教え」に随順するつもりがあれば、学会で学ぶべきである――戸田先生の大確信であった。 (平成4年1月15日 )
1992.1.17
秋谷会長に直撃インタピュー
◎学会はやはり時間がきたら宗門から独立するつもりではないか。
「それは、宗門と学会の分断を画策した連中が、わざと流している話です。私どもの方には、宗門から独立するという考え方は、以前から今に至るまで毛頭なかったのです」
◎今回の問題は、学会側が宗門側を兵糧攻めにする″経済戦争″ともいわれている。 秋谷「そんなことは全くない。こちらにはもともと対立する気なんかないんですから。要するに、日顕法主にとっては、こちらが何かものをいうこと自体が気に 入らないんです。私もお目通りの席で、″宗門にもの申すなんて、お前は驕慢だ″と大声で怒鳴られたことがあります。」
◎破門の影響で100万人単位の脱会者が出るのではないか。
秋谷「その予想ははずれましたね(笑い)。基本的に学会は微動だにしていないし、それどころが、法主の退座要求署名が海外を合わせると1600万ぐらいになっている。 」(平成4年1月17日号 週刊ポスト)
1992.1.17
己心本尊論展開
「大事なのは『自分』である。自分の『生命』である。外にある御本尊も、我が“内なる”御本尊を顕すためにこそ大聖人が建立してくださったのである」聖教新聞 1/17付
1992.1.23
脱会者座談会
まず、お聞きしたいのは、みなさんは、20年、30年という長い学会歴を持ちながら、なぜ脱会をしたのですか。人生の大半を学会活動にささがてきたというのに
浅川 宗門と学会の紛争がはじまった昨年1年間、聖教新聞にはお寺、宗門の悪口ばつかり書いてあって、もう読むのもイヤでした。私が脱会を決意したのは、近くのお寺に行ったときです。住職きまに学会青年部たちが抗議していたんです。“答えてみろ”とか暴言を吐いてね。それで私は、「やめなさい」と注意した ら、青年部の1人が私に”婆クタバレ!”とか”ブッ殺すぞ!とすごい剣幕なんです。恐ろしくなりました。こんな組織に33年間もいたかと思うと、もう情けなくて、それで決心、退会したんです。(平成4年1月23日号 週刊実話)
1992.1.24
聖教社説「御書は末法の経典」
「日興上人が『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からぎる事』と厳命された通り、貫首(法主)であろうとも、己義を主張して御書に 示された法理に違背したならば、その主張を用いることは許されない。根本は仏法(御書)であり、貫首ではないからである(聖教H4・1・24)
➡貫首が教義の裁定をしなければ、皆違う解釈に陥る道理が分からない信仰へ。
1992.2
寄稿「創価精神に生きる」(森田一哉)
「第二祖日目上人滅後、世界広宜流布への大聖人、日興上人の精神は忘れ去られ、富士の清流は枯渇に瀕し、濁流に変じる危機を繰り返しながら七百年の歳月を 送ることになるのである。日有上人、日寛上人など、中興の祖と呼ばれる英邁な法主を時に輩出しながらも、大聖人の仏法を、その本義のままに展開することな く逼塞せじめたのは、やむをえぎる歴史的背景を考慮しても、なお宗門総体としてその責めは免れ得ないであろう。この法滅の危機を救われ、日蓮大聖人の信心 の血脈を蘇生させられたのが牧口先生、戸田先生であった……日蓮大聖人、日興上人と直結した信心に立たれた牧口先生、戸田先生、池田先生の師弟の道に連な る創価学会の信心に、御本仏の血脈は脈々と流れている。現今の宗門の醜態を見るに、日蓮大聖人の御精神を離れること遥かなりと慨嘆せざるを得ない。もはや 宗門に大聖人の仏法の血脈はない‥‥現在の宗門に‥‥血脈相承の資格なきことまた明白といわなければならない。いま大聖人の仏法の血脈を相承した唯一の存 在は、創価学会を置いて他にはない」(大白H4・2)
➡大聖人直結の信心などは御指南に存在しない。日興上人はそれを完全に堕地獄と否定されている。
1992.2.4
石田次男聖教新聞初代編集長(66歳)死去
➡三代会長との期待もされていた石田は、後年、反池田の立場をとり池田の仏法観を「内外一致の妙法」、「六師義・外道説」であると批判。
1992.2.16
中国代表幹部会(岡山文化会館)
秋谷「…学会の板御本専御謹刻は、日達上人も御承認され、すべて御承知のことであり、また、紙幅の御本尊を板御本尊にすることは、何ら問題はないと明言さ れており、宗内においても従来からいくらでも行っていることで、本来、騒ぐようなことでも何でもないことである。 一、その何の問題もない、しかも、経緯についても、誰よりも知っているはずの日顕が、学会が日達上人の御指南通り僧俗和一合を願う上から、一切、この件に ついて黙ってきたことをいいことに、自分のかっての指南まで無視し、″触れ″てきた。どこまで、極悪の大ウソつきか‥」(聖教H4・2・17)
本尊模刻の真実→
1992.2.21
学会系離脱僧インタビュー
ききほどから聞いていると、あなた方の主張は、学会とウリふたつに聞こえるが、これから学会と行動を共にする、ということか。
工藤「そうです。この1年間は、宗教大改革なんだと。宗門VS学会に見えますけど、もっと重要な意味を含んでいると考えています」
しかし学会では、僧侶は必要ないと打ち出しているが。
工藤「いらない、というのは、信徒を苦しめる僧侶はいらないということじゃないでしょうか。いい僧侶になってもらいたいということをいっているんだと思います。私は、必ず学会員といい関係をとり戻せるものと確信しています」
池田大作氏との関係は?
工藤「学会員時代から知っています。みな元学会員です」
僧侶が元学会員とは初耳だ。全国600か寺の僧侶の中で、元学会員はどのくらいいるのか。
工藤「80% くらいがそうです。1950年から一般得度制を導入したので割合は減りましたが、それ以前には、ほとんど学会員が出家して僧侶になってきたわけですから」 (平成4年2月21日号 週刊ポスト)
➡離脱僧の大部分は元学会員であり、様々な裏工作によって引き戻されたことが疑われる。
1992.2.26
国会 学会の脱税問題質問 第123回国会 大蔵委員会第4号
渡辺(嘉)委員  収益事業による所得額は、平成二年には千九百五十六億円とありまして、昨年新聞、テレビで報道されました創価学会が造成された墓苑の脱税の疑いで税務調査 を行われたとあったのですが、これは事実かどうか。それからこの創価学会へのそれまでの税務調査は行ったことがあるのかないのか。御答弁をいただきたい。
坂本(導)政府委員  一般論として申し上げますと、宗教法人を含む公益法人についても実地調査を実施しているところでございます。それも、先ほど申し上げましたように問題があ るところを重点的に取り上げて行っているところでございます。御指摘の創価学会の件は、個別の件でございますので、ここでは答弁を差し控えさせていただき たいと思います。 【詳しくは➡】
1992.2.27
野崎勲組織本部長名の緊急電文
「7人の僧侶の正宗離脱の件」と題する緊急通信の末尾には、7人の僧侶の行動は勇気あるもので、今後は温かく見守って行きたい、としたうえで次のように記している。 「ただ、今回の7人が離脱したからといって、葬儀や法要をこの7人に直接依頼したり、御本尊をいただきに行ったりすることのないようにお願い致します。友人葬、また御本尊下付に対する考え方は、従来と一斉変わっておりませんので、ご了承いただきたいと思います」 (平成4年2月27日号 週刊実話)
➡学会はこの後、会館寺院を設置し離脱僧を抱え、遺族の要望により葬儀の導師させ、また戒名などを与えている。元は創価学会竜泉会館、今は、離脱僧を住まわせる光泉寺
1992.3.1
『脱会者を自殺するまで追い詰めろ』発言
公明福井県会議員・福井一成氏が池田氏が総講頭資格喪失後も本山参詣を続けることに対し、止めるよう森岡正昭副会長ら幹部が執拗に迫る。 次女が昨年暮れに脱会していたことから、嫌がらせが激化。副会長らは会館に呼び寄せ吊るし上げた。
1.日顕の悪口を言って歩くことが君の目的だ。ただちに実行せよ。
2.脱会した者が自殺するまで追い詰めろ、それが池田先生の指令だ・・・ と強烈に詰め寄った。氏が副会長に『脱会した娘を自殺に追い詰めろということですか?』と聞き直すと『そのとおりだよ』と答えた。
(時局ニュース)
 
創価邪説「人間主義の日蓮本仏論を求めて」発刊
松戸 行雄 (著)による、大聖人から離れ己心本仏論を展開した邪説。
1992.3.5
元創価学会副会長の福島源次郎氏「蘇生講」を結成
福島「平成元年10月『蘇生への選択』を出版後、読者からの強い要望で12月に東京の豊島区民センターで、第1回の勉強会を始めたんです。それから毎月、月末の上、日に2回、毎月ゃった。大阪でも平成2年1月から始め、これも2ヵ月に1回ぐらいやりました」
――学会からの妨害は?
福島「ありとあらゆる行動を、すべて尾行されました。大阪に行くときなど新幹線車内ばかりか、私が降りるてあろう駅すべてに、30人ぐらい学会の人間が配置されていた」 平成4年4月25日号 週刊現代
1992.3.7
学会員 末寺で物損事件
九州・福岡県にある開信寺では、3月7日、学会員Kが、酔っぱらって車で境内に侵入し、納骨堂のライトを壊すという、器物損壊事件を起こしている。( 平成4年4月30日号 週刊実話)
1992.3.19
大橋元公明議員P献金を明かす
公明党の元衆議院議員大橋敏雄氏は、池田批判に立ち上がった際に、議員歳費から天引きされていた、(P)献金の実態を示す、歳費の「控除額明細書」を明らかにしている。それによると、
昭和58年3月 1万6000円(東京富士美術館開館祝い)
昭和59年2月 餞別5万円(池田の北米・南米訪間)
昭和59年5月 6万5000円(5・3会長就任祝い)
昭和62年4月 餞別4万500円(池田の北米。中米訪問)
昭和62年6月 餞別4万円(池田のソ連・フランス訪問)
昭和63年1月 祝金1万円(池田の香港訪問) となっている。
(平成4年3月19日号 週刊実話)
1992.3.28
日蓮正宗 創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、東京都知事(当時鈴木俊一氏)に対し『意見書』を提出 。
1992.4.1
法華講連合会(総本山)
 全国12地方部を13地方部とする

大白法 戸田会長発言掲載
戸田城聖氏が、(昭和三十年の小樽法論の後)
『創価学会は、いつつぶれてもいいのである。しかし、宗門だけは絶対につぶしてはいけない。宗門のための創価学会である』という旨のことをはっきり言われた、ということを、その席にあって聞いておられた方が日記に書いておられたのです。」(平成四年四月一日付『大白法』)
1992.4.9
ロシア『プラウダ』紙
 ゴルバチョフ招待の裏を報じる <元大統領が日本を訪問する際、日本の首脳と会談する時間は30分というから、問題の本質を討議することは極めて難しく、外交レベルの問題でないことは明 らか。では、なぜ、インタビュー などに応じるのか。信じうる情報によると、元大統領の利潤のためではないかと思われる。元大統領を招待した″読売″と″朝日"の大手新聞は、元大統領にそ れぞれ50万が(約6600万円)の謝礼を約束しているといわれる。また、有名な宗教家である池田大作氏もかなりの金額を支払うという。元大統領の訪日が コマーシャル旅行ということは、事実上、はっきりしている> 池田氏と面識のあるロシア共和国の政府関係団体職員は、匿名を条件にこう語る。 「当初、池田のことは、もっぱらモスクワ大学のログノフ学長(当時)が面倒を見ていたが、池田は気前がいいので、すぐに様々な方面に人脈を広げた。特に、 訪日したソ連人には例外なく接待攻勢をかけてきた。全く関係のないミッションでも、日本に行くソ連代表団は必ず接待し、代表者だけでなく、随員や通訳にま でおみやげを配っていた。この話は有名になり、″日本に行ったら、とにかく池田を訪ねるといい″というのは、ソ連人の間では常識になってしまった。おそら く、訪日したソ連人で池田に何ももらわなかった人間は、ひとりもいないんじゃないか」 また、『ソ連平和擁護委員会』の元スタッフも、こう証言する。 「私が日本に行った時は、なぜか創価学会側から代表団全員が、ある避署地で大接待を受け、私のような下っ端にまで、カメラと5万円をくれた。上の方の人になると、かなりの金額になったようだ」 (平成4年5月1日号 週刊ポスト)
➡金で人はなびくことを知り抜いた池田らは海外要人関係者へも。
1992.4.13
学会員 末寺で暴力事件
開信寺では、昨年の4月13日には、学会青年部員ら約300名が、本堂に乱入し、住職と夫人、法華講講頭らに暴行を加え、八尋由夫講頭が、重傷を負うという、暴力事件も生じ、警察が出動する騒ぎがおこっている。 (平成4年4月30日号 週刊実話)
1992.4.20
大石寺ダイナマイト爆破予告事件
静岡県警富士宮署は(中略)創価学会高松本部婦人部副本部長、主婦Hを恐喝未遂の疑いで逮捕した。調べによると、Hは(平成四年四月)二十日午後三時ごろ から二十数回にわったて同県富士宮市上条の日蓮正宗総本山大石寺に『境内に爆弾を仕掛けた。三億円を用意しろ』などと電話で脅した疑い」(読売新聞 平成 四年四月二十二日付)
1992.4.26
第53回本部幹部会
「法華経第四の巻には法師品、仏様を一中劫という永い間、罵り続ける罪よりも、末法の法華経の行者――別しては私だ!総じては学会員――を、たとえ、わずかにも憎み、敵対する罪の方がより以上に深い、と説かれております。これ大聖人の仰せです。」
 現宗門は、人法一箇の大御本尊を根本とする日蓮正宗本来の宗旨を改変して、法主根本を宗旨としてしまった。そのために、日蓮正宗の立てる「三宝義」を改変して、法主が仏宝・法宝と等しいという法主絶対化を図った。
➡末法の本仏は自分(池田)と指導した。
➡このような信仰は宗門に存在しないのであり、学会のデマである。
1992.4.30
第54回中央会議(東京・創価文化会館)
「会議では、『五月三日』を記念し、すでに除名となっている山崎正友、原島嵩をはじめとして、福島源次郎、竜年光、藤原行正、大橋敏雄らの反逆者12人を学会から永久に追放することを全員の賛同で決議し、署名した」(聖教H4・5・1)
➡学会は批判する者は永遠に許さず、救わない指導であり、大聖人の仏法でも宗教でもなくなった。
1992.6
PKO法案成立
当初、反対の立場にあった公明党は突如、賛成にまわり法案成立。前年の創価学会への国税調査との関係か。
1992.6.11
本部職員給与150億円
全国に約3千人のこれら本部職員に支払う給料だけでもぼく大な出費。ちなみに単純計算をしてみると、本部職員の年収が平均5百万円と低く見積っても、年間150億円。まさに一流企業並みの必要経費がかかっているのである。 (平成4年6月11日号 週刊実話)
1992.6.16
創価新報でシアトル事件報道開始
学会員ヒロエ・クロウを告発者に仕立て、日顕猊下を破廉恥行為を犯した僧として捏造報道
➡裁判は和解で閉じているが、クロウ数年前まで、日顕上人に対し信頼の念を抱いていたことが、猊下の著書で確認できる。その昔にこの事件あれば、クロウは信頼するはずはない。
1992.6.24
学会 僧侶離脱工作並び本尊問題
《関西副会長から「京都の某僧侶が宗門から離反すると言ってきた。仕掛けは竹入氏の弟が半分やった」との連絡があった。悩みの種だったご本尊問題は、宗門から離脱する僧侶の寺に保存されていたご本尊を使うことで解決できるとのことだった。》(『乱脈経理』矢野絢也)
1992.6.25
現役副会長の告発本出版
『創価学会 池田王国の崩壊』(永島雪夫著)  複数の現役副会長が取材に答え、強烈な池田批判をおこなった書。
1992.7.4
東京第二布教区宗務支院長名で 池田氏へ除名処分通知送付
1992.7.31
8月度全国県長会議(東京・創価文化会館)
◇ 「日顕永久追放」の「決議」を採択、仏法破壊の悪法主。日顕こそ、宗開両祖からの『破門』は明かであり、我々は日顕を大聖人門下から『永久追放』することを宣言する。邪宗『日顕宗』の信徒たることなど、我々のほうから断して拒否する。
一、日蓮大聖人に弓を引く、大謗法の所行は、日顕に追随する信心なき末寺住職も全く同罪である。もし日顕が『破門』し『除名』したのだから、その願主名が 入った寄進寺院の御本尊を替えるなどという愚かなことを考えているのであれば、その前に学会の寄進寺院から全住職は即刻退去し、ただちに全ての寺院を学会 に返還すべきである。
一、日顕に盲従するのみならず、その甘言にだまされ、走狗となって蠢動している一派についても、その罪は重大である。我々は、この師子身中の虫であり、天魔の眷属たる一派を断固破折し、その破和合僧の悪に対して徹底的に戦う」(聖教H4・8・1)
1992.8.8
第3回長野県総会(長野研修道場)
秋谷「一、本年度の財務につきましては、九月末から実施されますが、不景気の時代でもあり、皆さまには大変ご苦労をおかけしますが、何とぞよろしくお願い 申し上げます。広宣流布への財務は最高の御供養であり、大きな功徳があることは間違いありません‥‥従来、宗門に気を使って表現を遠慮し、何とか調和を取 ろうと努力してきましたが、もう破門で無関係なのですから、堂々と『御供養』と言い切っていきたい‥‥大聖人の仏法を世界宗教へと進める広布を支える財務 こそ、真の大聖人の心にかなう供養であることを申し上げておきたい…」(聖教H4・8・9)
1992.8.10
市川公明書記長発言(党本部で)(軽井沢研修道場での池田指導を引いて)
「名誉会長はこう話していた"師弟の道とは師匠の仇を弟子が討つことだ。塚本(三郎民社党元委員長)の暴言を石田(公明党委員長)は見逃した" "仇を討て! 私を守れ! 感謝の気持ちを持て! 学会を守れ!" "最近は学会を裏切る議員が多い。 何とかならないのか" "選挙の勝利はすべて学会のお蔭。 俺のお蔭だ。 史上空前の選挙をやった。" "今年の党大会では、これまでどおり石田委員長の体制で行く"」(『乱脈経理』矢野絢也 講談社)
➡仇討ちの教義などは大聖人の仏法ではなく、池田教によるもの。
1992.8.11
公明区議 北京で売春事件
練馬の公明区議は「日朝友好議員連盟」一員として訪朝、立ち寄った北京で中国警察当局に売春容疑で逮捕される。
1992.8.13
宗門 池田大作を信徒除名処分
1992.8.24
国税庁へ投書工作
《大阪で西口総関西長と会談した。「本山の猊下が脱税しているという投書を国税庁に二度出させた。まもなく国税が入るらしいという情報がある」》 (『乱脈経理』矢野絢也 講談社)
1992.9.1
香港創価幼稚園開園
1992.9.25
第58回本部幹部会(東京・創価国際友好会館)
池田「日蓮大聖人も、御自身が『信徒の葬儀』を執行された例は、御書には一つもない。日興上人はじめ弟子の方々も、同様に信徒の葬儀を行われていたという 記述はない。いわゆる『戒名』も、大聖人は認めておられない。あったのは死後につける戒名ではなく、生前につける法名である。現在のような『位牌』も、 『過去帳』も用いられていなかった。今や宗門では大聖人、日興上人の御精神は、まったく失われ、金もうけのための『宗教屋」になり下がってしまった。宗門 は完全に『法滅』の姿である。こうした歴史を見るとき、学会の『友人葬』『同志葬』、また同志による『追善動行会」等は、不思議にも、釈尊と大聖人の時代 と同じ在り方になっている…」(聖教H4・9・27)
➡では、信徒へ葬儀の方法を教えた御書が存在するのか。
【その後、学会では戒名を故人へ与えた事例ある、過去帳も学会員向けに販売】
1992.10.8
日忠上人250回忌法要(総本山)
猊下「…今日、創価学会は様々な誤りを犯しておりますが、そのうちの一つとして、最近、彼等が決めた観念文には、日目上人までの御報恩はあるけれども、日 道上人以下は全く削ってしまっております。これは実に、報恩の道にも外れ、また、仏法の伝承の筋道にも全く反したところの我見・我意の在り方であり、我々 は今後、その謗法の姿をはっきり指摘していくべき必要があると思うのであります。本宗の正しい法脈はけっして日目上人をもって消滅したのではなく、常に唯 授一人の血脈付法をもって伝えられておるのであります…」(大日蓮561)
1992.10.12
墓苑事業は財源確保のため
《この幹部は、懸案のご本尊問題について「学会は(宗門所蔵の)ご本尊は無視する方向。日蓮大聖人や昔の法主の別のご本尊を復刻する方向も検討されてい る」と語った。また学会の財源にもふれ、財源確保のために学会が以前にも増して墓苑事業に力を入れていく方針であること、既に滋賀に墓苑を作るために土地 探しをしていること、滋賀の墓苑の土地探しでは学会内で黒い噂が出ていることなどを明かした。》 (『乱脈経理』矢野絢也 講談社)
1992.11.4
「創価新報」 日顕猊下の芸者遊び写真捏造
日蓮正宗高僧の古希祝いの席に夫人同伴で招かれた日顕猊下の写る写真に、トリミング、修正を加え掲載。同月18日号にも連載された。【資料➡】
➡これほどのことをやりながら、破門を非難する集団は常軌を逸している
1992.11.12
浄圓寺 日蓮正宗から離脱
所蔵する日寛上人御書写の本尊をのちに、創価学会がコピーして販売。
1992.11.13
SGI初代教学部長に斉藤克司が就任
1992.11.14
池田 財務要求発言
「もう、いいたくないけど、いったほうがいいっていわれてね(笑い)。そんなことね、もう、ね。たかが財務のこと、どうかさ。初めての動きかー(笑い)、ずるいから、みんな。ジュンコちゃんとか。それ。みんな。ずるいことやんねえんだよ」

捏造記事事前承認
「そのうち、また、あの、あれ出ますけどネ。『新報』に、この次かな。これちょっと見してもらったけれどね……たくさんの美女に囲まれてね。そうだろ、秋 谷(注、栄之助・創価学会会長)君、やめろつったら、秋谷やるっつんだもんの。もう、新橋かどっかのね、柳橋でさあ。もう、『エッヘヘヘェ』と笑ってね (会場、爆笑)。まあ、みんな行きたいね、いっぺんね(会場、爆笑)。そういう連中なんです」第14回 SGI創価学会インターナショナル総会
1992.11
学会員『コーヒーカップ事件』起こす
川崎市の日蓮正宗・持堅寺に息子の遺骨を受け取りにきた学会員夫婦と付き添い幹部は、いったん寺を出て遺骨をコーヒーカップに入れ替える工作をした後、寺に戻り抗議をした事件。 夫妻は寺を訴えたが、矛盾を指摘され敗訴。寺側に慰謝料20万円を払うよう命じられた。 この種の事件が全国で一斉に起きた。【詳しくは】
 
アメリカSGI初代理事長退任
アメリカ広布の立役者で会長の座も噂されていたジョージ・ウィリアムス氏がこの年、名誉職となり第一線から退く。後任にフレッド・ザイツ氏が就任、約10年間勤める。ウィリアムス氏はその後、名を聞くこともなくなった。つまり池田離れとなった。
1992.11.29
第6回東京総会(東京戸田記念講堂)
池田「…正宗は学会によって正宗になったのである。現宗門は、学会を破門にしたことによって、再びもとの大謗法に転落した。学会を切ったと同時に、正宗としての命脈は断絶した…」(聖教H4・12・1)
1992.12.12
反人権・暴力発言
「あの!まあ日顕なんか、その(嫌なヤツの)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑い)」全国青年部幹部会
 
この年ころから、全国の末端組織に「日顕撲滅対策委員会」を設置。
'93年 大阪で配布された活動の一例撲滅祈念カード →
 
『勇気のエンジン』大作戦大綱」と題する行動マニュアル
テーマ 御供養泥棒 漆畑行雄、その袈裟をはぎ返せ!
目的 
(1)極悪日顕の手先、法住寺の漆畑行雄の悪業を白日の元に晒し糾弾する。
(2)会員を悪の手先から守り抜き、断じて『寺に行かない・行かせない』 活動について 2/4『追放大会』参加者が『【元初の同志】グループ』として、誓いを立て、今までのビクトリー 活動を発展させ、以下の活動を展開する。
(1)D作戦チーム(CUTされたら取り返す。脱会者・法華講にアタックする脱講チーム)
(2)特別個人指導班
・A班(葬儀・法要・墓・納骨の問題等に回答できるスペシャリスト。別名、メモリアルチーム)
・B班(宗門問題解説班、寺信心の色のついた人の脱色作業を行なう。※廃案になった名称、ハイターチーム)
・C班(主に怨嫉問題等で活動しなくなった人へ手をさしのべられるチーム。別名、人間復興・ルネサンスチーム)
(3)FOCUSチーム(漆畑行雄、女房、所化の悪業を暴くネタ取材班
(4)賢者の利剣チーム(ミニコミ誌・仮称『利剣』を新たに編集発行する)
(5)特攻野郎Sチーム(男子部の特殊潜行活動班。別名、鉄砲玉)
(6)ワイフ・キャッチャーチーム(女房を徹底糾弾する、婦人部の追っかけチーム
(7)四条金吾チーム(壮年部の特別抗議行動チーム。別名893部隊)
(8)十羅刹女チーム(婦人部の電話抗議行動チーム。別名、極道の妻たち
(9)ネットワークチーム(寺周辺地域包囲対策作戦、略称、ネット)
(10)パトリオットミサイルチーム(今だに来る寺からの郵便物の回収作業班)
(11)ナポレオングループ(前進を合言葉に、不可能を可能にする唱題会の参加者。
※廃案になった名称、わら 人形グループ)
(12)広布の使者チーム(聖教新聞、創価新報を内部未講読世帯に推進する)
以上、本部・支部・地区のビクトリー責任者が核となって行動します」
➡妨害・個人攻撃・・・これが公益を行う宗教法人のやることでしょうか。
1992.12.23
池田、婦人部懇談
御書には、『開眼』『開眼供養』の話は十七カ所で用いられているが、そのほとんどは、この『真言による開眼』を破 折され、『法華経による開眼』でなければならないことを教えられた御文である……実は、仏教で『開眼』について言われだして以来、その仏事は僧侶の重要な 『収入源』となった。いくら立派な仏像を作っても、『特別の修行』をした僧の『特別の儀式』によらない限り、何の意味も生じないというのである。当然、『開眼』は、僧侶たちが『かせぐ』絶好の機会となり、『権威を高める』良き機会となったのである」(聖教H4・12・25)

  平成5年(1993年)
1993.1.21
シンガポール創価幼稚園開園
1993.1.27
アメリカSGI&関西合同総会での異常発言
「ハワイ!(中略)マハロー! マハロー! バカヤロー! バッハロー!」
1993.1
「創価学会と公明党を守る、それが公明党だ」
池田 公明党・斉藤鉄夫氏への指導
1993.1.25
アメリカSGI合同総会
口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 「サンフランシスコの皆さん、今回は関西の交流団がお世話になりました、と、お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れることを、私は声を小さくして申し上げておきます。」
1993.2.7
フランスで法人「日蓮正宗仏教寺院」許可
1993.5.3
池田ついに御本尊否定発言
「宗教の究極は、板曼荼羅ではなく、久遠元初の法である」

●宗門教義
「要は法華経とは寿量品文底の三大秘法でありまして、その実体は大聖人の大曼荼羅本尊にあらせられるのであります。ここに注目すべきは、妙法蓮華経は宇宙 の真法であって天地間に遍満しておるというものがありますが、それは理性でありまして、報身も欠如しており因行果徳も具わらないのであります」(大日蓮  昭和30年5月号 日淳上人)
1993.4.1
宗務院 全国37布教区を38布教区とする
1993.5.5
大聖人直結・血脈不要発言
「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」
➡池田はこれまでの教義を否定と肯定を繰り返す支離滅裂状態に
1993.7.7
第六十六回本部幹部会
「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。……ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(会場はあまりウケない)……駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(会場爆笑)」
1993.7.18
衆院選52議席
1993.8.8
内閣成立前に学会系議員からデエジンが出る発言
「すごい時代に入りました、ねー、そのうちデエジンも何人かでるでしょう、ねー、ね、もうじきです、あしたあたり出るから、あのー、あの、みんな、みんな皆さん方の部下だから、そのつもりで」第69回本部幹部会
 
この日、わずか3時間の間に次のように立て続けに幹部会が開かれる。 総務会、参議会、教学部最高会議、県長会議、責任役員会。責任逃れのためか、池田はいずれの会合にも出席せず。
1993.9.7
最高裁 管長訴訟で自称正信会の上告を棄却、却下判決確定
1993.9.16
大御本尊が根本であることは変わらない
大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。池田発言。(第1回アメリカSGI最高会議 平成5年9月16日 「創価のルネサンス」60)
1993.9.20
聖教新聞 『自分で開眼できる』
「拝する側の『信力』『行力』によって、御本尊の『仏力』『法力』は発揮する。これが本来の『開眼』の意義である」「従来は御本尊に関する権能が法主一人に限られたが、現在は『一閻浮提総与』の意味からも法主一人に限定する時代ではない」
1993.9.20
『ニセ本尊』作製発表
10月に販売開始
学会は、どこの末寺でもない離脱僧の浄圓寺(栃木県)に祀られる日寛上人書写の御本尊を改ざんし、会員の3000円で販売。 商品としても表装に見せかけた一枚刷りのの粗悪品。【資料➡】
 
離脱僧に『創価学会の本尊授与に関する法門上の見解』を発表させる 創価学会はニセ本尊があたかも、僧による認可があり正当なものであるかのように画策。
1993.9.30
聖教新聞 52年路線の本尊模刻製作者・赤澤朝陽の捏造コメント掲載
1993.10.24
東京牧口会館開館式(八王子)
300億円をつぎ込み、内外装に贅を極めた地上8階建ての学会の象徴的会館。最上階は幹部も入れない池田専用フロア。 創価大学が隣接するこの一帯での土地買収を巡り、暴力団が暗躍。地元不動産会社役員は「静岡の富士宮市に本拠を置くG組と、一時は真剣に富士宮市政を占拠 しようとしたといわれる学会の、いうなれば腐れ縁だよ」と語る。 G組は'92年3月に司令部を東京へ移したとされ、とっかかりの仕事が八王子とされる。
1993.11.18
『新・人間革命』連載開始(聖教新聞)
1993.11.29
創大卒の金沢仁検事が参考人に暴行して逮捕
「初日の十月十三日の調べは、夕方から翌日午前一時まで七時間に及んだ。金沢元検事はいすの足をけとばして座っている専務をはじきとばしたり、背広のえり 首をつかんで上体をゆすぶったりするなどの行為をそれぞれ数十回繰り返した。 ひどい暴行があったのは翌十四日で、専務を壁に向かって長時間立たせた上、質問に答えられなかったりすると、後ろから繰り返し腰のあたりをけり、額や腹部 を壁に激突させた。 「豚野郎」「猿野郎」「半殺しにして帰してやる」などと大声でどなりつけながらわき腹やももをけった。 調べがうまく進まないときは、靴のままで正座させ、土下座の状態で首や後頭部を繰り返し踏みつけ、額を床にぶつけさせた。 また、顔を数十回平手でなぐったため、口の中から出た血が机の上に飛び散った。 これらの暴行で、専務は口や耳、首、腰などに一週間のけがをした。 「私は検事さんにうそをついたら死にます」という「誓約書」も書かせた、という。」 朝日新聞 1993.11.29
1993.12.8
自民・渡辺氏 学会の脱税もみ消し発言
与党有力議員である渡辺美智雄氏は11/26の講演会で「自民党がかつて国会で法案を通すために創価学会の脱税もみ消しをした」と発言。この発言に対し改めて朝日新聞のインタービューに下記のように答え、8日、朝日新聞に掲載される。 「時の権力者が何もしないで、(創価学会が)国税Gメンをフリーパスできますか。国税側に歯ぎしりしている人がいっぱいいる。(時の権力者は)何代もある。知っているんだから」
1993.12.16
立正佼成会と会談
学会から西口浩ら、立正佼成会から布施浩志理事らの両者最高幹部は都内ホテル・ニューオータニにおいて会談。
1993.12.19
ガリ国連事務総長と会見

  平成6年(1994年)
1994.2
自民議員 衆院予算委員会で「SGIから海外に流れる資金は適法に送金されているのか」と質問。 大蔵省(当時)答弁「個別の取引きについては言えない」
1994.2.27
毎日 学会は他宗と共存共栄図ると報じる
毎日新聞は東京のホテルで両者幹部が会談した内容に触れ、学会からは「これまで他の宗教団体と接触してこなかったのは、日蓮正宗の指導方針があったため。日蓮正宗から独立した以上、他宗教と交流を深めていくのは当然」(毎日新聞 平成6年2月27日付) 【資料➡】
池田氏・すべての邪宗を撲滅発言(音声)】 
1994.3
創価邪説「日蓮思想の革新―凡夫本仏論をめぐって」発刊
1994.5
ワシントンから各地に「オザワ批判リポート」配布
同リポートでは小沢一郎氏が池田氏の政教一致に協力、ノーベル平和賞獲得に向け加担していることや、ブッシュ大統領によって捕らえられた麻薬王・ノリエガが吐かされた内容の中に、創価学会・池田大作氏が学会の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していたことなどが書かれている。【詳しくは➡】
 
➡麻薬王ノリエガと池田氏は3回ほど会談していると思われる。 著名人とそれほど会談するのもよほどの仲といえるが、学会がそのじっこんの仲の証拠を隠したがるものに、『ノリエガ庭園』というものが白糸研修所に存在し た。ここは全国に数ある研修所の中でも草創期から存在する、学会の施設としても象徴的なのもである。しかし、学会はノリエガが逮捕されるやその痕跡を消し たのだった。
1994.6.5
直結信心論展開
「成仏は自分自身の『信心』で決るのであるのであって、『聖職者』の介在によって決るのではない。『直接』こそ仏教本来の在り方である。『日蓮大聖人直結』の創価学会の信仰こそが正義なのである」聖教新聞 6/5付
1994.6
反創価学会組織 『四月会』発足
学者、文化人、ジャーナリスト、宗教団体、自民党の政治家などがあつまったアンチ創価学会組織。代表幹事は俵孝太郎氏。国会議員84名。
1994.6.16
聖教 「秋谷会長の談話」
「大石寺にどのような登山が行われ、何人集まろうと、もはや、我々とは一切関係ない」
1994.7.14
朝日新聞 「渡辺元蔵相、国税長官に口利き」報道
➡学会の国税調査に対しての発言
1994.7.16
平成新編日蓮大聖人御書発刊
1994.7.21
学会 宗門僧侶死亡事故に号外発行
日蓮正宗深妙寺・大橋信明住職は国道を走行中、センターラインからはみ出し対向の2tトラックと激突、4時間後に死亡。この死亡直後に、深妙寺に創価学会員から「住職が事故を起こした」と連絡が入る。(追跡していた可能性が濃厚) 更に、事故の2~3時間後の真夜中、遠く離れた札幌市内で『遂に日蓮正宗天罰下る!室蘭 大橋住職交通事故死!ガードレールに衝突し、10:20頃死亡した』と号外がまかれた。 この時の対向車のトラック運転手は創価学会員(地区部長)であったが、号外ではトラックの存在を隠し事実を歪曲。 【学会がまいたと疑われるチラシ➡】
1994.7.24
地涌6万大総会(大石寺)
1994.7.28
池田長男・博正氏(41)副会長就任
長野県軽井沢にある長野研修道場で最高会議を開催し、新たに34名の副会長が誕生
1994.8
池田腹心・細谷昭副会長失踪
週刊誌各誌が一斉に報道
1994.8.24
池田三男・尊弘氏(36)副青年部長就任
昭和33年4月生まれの尊弘氏は、創価大学出身で、卒業後、大阪の創価学園で教師を務めていた。長谷川重夫副会長や池田家の家庭教師だった宮川清彦副会長らの側近グループと、正木正明、忍田和彦氏ら創価大27人グループが存在するとされる。
1994.9.2
反逆者断罪宣言
「2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。(略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」聖教新聞
➡たとえ対立する者であっても、成仏へ導くのが仏法であり、学会は名実ともに大聖人に違背し、カルト集団へ。
1994.9.14
証人喚問容認、政教一致発言
「私は世界に出ていって評価を高めるんですから、日本では何をいわれてもいいんです。証人喚問だってなんともないんです。だって私は、何も悪いことしていないんだから」 「こう言うと、また政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変らないですよ。」 「自民党だと国民は安心する。(中略)自民、新生、公明が組めばベストなんです」 記者懇談会での池田発言
1994.9.30
米カリフォルニア州地区上級裁判所 ヒロエ・クロウの日蓮正宗への訴えを棄却
1994.12
新進党結成 公明議員合流
➡一部参議院、地方議員を除き、公明国会議員は新進党へ

  平成7年(1995年)
1995.1.17
阪神・淡路大震災起こる
 
長田区で死んだ人の半数は学会員か?
 第一回の調査の際、鷹取駅で大橋本部の地区担が「地区で五人死んだ」とポツリと言った。
 その割合で計算すると、一支部七地区として四支部で、二十八地区死者一地区五人として二十八地区で百四十人が大橋本部で死んだことになる。隣の長田本部も同じだというから百四十人として、二本部だけで二百八十人死んだことになる。
 長田区に五本部あるというから他の本部の分を入れると、三百人以上は確実に死んだようだ。
 長田区全体の死者は七三三人(三月三日現在)だから、その半数は学会員ということのようだ。(『有徳王』龍年光) 【資料続き➡】
 
池田はこの震災を横目に、ハワイへ外遊
2月4日になって、震災とはほど遠い、大阪天王寺区の関西文化会館に顔を出す。
 
学会員国税調査官による職権乱用
国税調査官である学会員M・Kは17日、山口県にある新生佛教教団に現れ「四月会とおたくとの関係は?要するに、創価学会を批判するんですか?」と尋ねる。
1995.2.2
宗門 兵庫県へ阪神淡路大震災の義捐金を寄贈
1995.2
『創価学会は検察庁の「部外秘」資料で右翼団体に分類されていた』と掲載
 本資料は、東京地方検察庁検事正からの報告にかかるものであるが、その序文にも詳細に述べられているとおり、同庁公安事務室の長期間にわたる労作であって、甚だ有益なものと思われるので、執務の参考とするため印刷配布することとした。
昭和三十一年十二月
 法務省刑事局  
序文   一、今回当庁公安事務室において右翼団体の組織と行動の概要を取纏めて集録した。  
第一編 終戦後の右翼団体  
第二章 新興右翼団体   (三十九)創価学会  
本会を右翼団体として集録した理由はその信条に基づく行動に暴力的な動向が顕著に窺われるからである。 (折伏の)手段として多数の青年行動隊を軍隊の組織区分に準じて編成し、この折伏の実践に当たらせるものである。
(『マルコポーロ』2月号) 【詳しくは】
1995.3.20
オウム真理教による地下鉄サリン事件起こる

オウムと創価学会の関係
オウム事件が起こった折り、捜査に当たっていた当局の幹部はこう証言している。 「この暴力団は別のモンスター教団に食い込んでいて、巨額の報酬を得て、幹部らの警護に当たったり、反対勢力を襲撃 するなどの活動をしてきた。教団施設の地上げなどにも暗躍したとかで、教団も最初は非常に重宝がっていたが、そのうち歯止めが効かなくなってきて、最近で は、完全に食い物になっているようなんだ」(オウム帝国の正体 一橋文哉)
1995.4.16
マレーシア創価幼稚園開園
1995.5.26
学会員警察官 職権乱用
長野県での葬儀を終え、本山に戻る途中、中央高速を走行中の日顕上人の車に、突然、警察官一人(学会員)が乗るパトカーが現れ、パーキングエリアへ誘導。この模様は一ヶ月後、5/26の学会発行の怪文書『地涌』に掲載される。
1995.7.4
衆院出馬理由の変説
「本当は私は衆議院にはだしたくなかったんですよ。それは、戸田会長が『衆議院にはださないほうがよいと思う。出すとお前が誤解される』といっていまし た。しかし、当時の議員たちが『衆参両院なければ本当の政治はできない』といいはじめた。だから、これも時代の流れ、社会と人心の動きというものと思い、 時代に即応してゆくことが正しいと判断したものです」『中央公論』4月号
1995.7
学会による遺骨裁判敗訴
 寺院に預けていた遺骨を引き取ったところ、勝手に骨壷を小さくされたうえ、入りきらなかった遺骨を処分されたとして創価学会員が寺院を相手に慰謝料を求めた裁判がありました。 この裁判の一審では学会員側の主張を鵜呑みにして寺院側に慰謝料の支払いを命ずる不当な判決を下しました。
 しかし、二審において、学会員が預けた骨壷の大きさがもともと小さいものであったという葬儀記録を発見し、これを証拠に提出したこと等から、判決(東京 高等裁判所・平成7年(ネ)第1556号・損害賠償請求控訴事件)では、寺院に預け入れられた骨壷は、もともと直径四寸のものであったこと等を認定し、寺 院側の逆転勝訴となったものです。
 司法を悪用して宗門を陥れんとした創価学会側の悪事は暴かれ、かえって司法によって断罪されたのです。(東京第二布教区リーフレットより)
1995.7.23
新進党躍進 1250票を獲得、自民1100万票を上回る
1995.9.1
朝木明代市議怪死事件
かねてより創価学会を追求(創価高校退学強要、公明関与の清掃事業ほか)していた同市議は、近くのビルから転落し死亡。転落直後に駆けつけた発見者の問いかけに、自殺ではない旨の言葉を残す。 この事件に関わった3人の検察官はのちに学会員であったことが判明。公正な判断を脅かすことに。【詳しくは】
1995.10.14
英BBC 創価学会番組放映
ニュースドキュメンタリー番組「アサイメント」で、『百万遍の題目』(45分間)と題し創価学会の特集、池田氏はこのインタビューで驚きべき発言。
「これはオフレコですが、実は韓国の大統領は、私が決めるんです」
1995.10.26
三男・尊弘が総務補に就任
1995.11
公明元参院議員・片山公人 セクハラで敗訴
同氏は議員当時、議員会館内で秘書の大崎優子さんにセクハラ行為。東京地裁に訴えられ敗訴
1995.11.23
「SGI憲章」発表 学会公式サイト
 
  1. SGIは生命尊厳の仏法を基調に、全人類の平和・文化・教育に貢献する。
  2. SGIは「世界市民」の理念に基づき、いかなる人間も差別することなく基本的人権を守る。
  3. SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
  4. SGIは人間の交流を基調として、日蓮大聖人の仏法の理解を広げ、各人の幸福の達成に寄与していく。
  5. SGIは各加盟団体のメンバーが、それぞれの国・社会のよき市民として、社会の繁栄に貢献することをめざす。
  6. SGIはそれぞれの国の実情をふまえて、各加盟団体の自立性と主体性を尊重する。
  7. SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。
  8. SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、相互理解と協調の国際社会の構築をめざす。
  9. SGIは仏法の「共生」の思想に立ち、自然保護・環境保護を推進する。
  10. SGIは真理の探求と学問の発展のため、またあらゆる人々が人格を陶冶し、豊かで幸福な人生を享受するための教育の興隆に貢献する。
1995.11.28
宗門 FBI記録名誉毀損事件で池田・創価学会・SGIを東京地裁に提訴
1995.12.4
国会で秋谷会長表明 「宗門の教義変える必要ない」
「日蓮正宗の教義を信仰するということでは、私どもは今、日蓮正宗とは現実に関係を絶っている。そもそも日蓮正宗は日蓮大聖人の仏法の本義を正しく伝える がゆえに、宗旨の今日があるはず。だが、現実には僧侶の堕落によって大聖人の正義が保たれていない。腐敗している。これを改革して大聖人の本義にもどさな ければならないというのが私たちの立場だ。つまり大聖人の仏法の正義を日蓮正宗の教義とするなら、それを正しく堅持し、伝えているのが創価学会だと確信している。従って『日蓮正宗の教義』という文言を変更する必要はないと考える」(参議院宗教法人等特別委員会 参考人として秋谷会長出席)
1995.12.14
学会による遺骨裁判敗訴
 創価学会員が寺院に預けた遺骨を引き取ったところ、預けた遺骨と違うとして寺院を訴えた裁判が全国で多発しました。 その一例の控訴審判決(仙台高裁・平成7年(ネ)161号事件・平成7年12月14 日判決)では、寺院が学会員から預かった遺骨と引き渡した遺骨とは同一であると判断するのが相当であると認定し、寺院側か勝訴しております。
 また、同判決で、学会員が「中身が違っていたとの抗議ないし問合わせの電話をしたのは、それから一ヶ月近く経つ」でからであり、学会員らの「了解し難い 行動や、余りにも遅れた対応ぶりこそ、『取違え』により甚大な精神的苦痛を受けたと主張していることと平仄( 注:つじつま) が合わないと評すべきである」と厳しく断罪しました。その後、この事件は最高裁でも裁判官全員一致の意見で寺院側の勝訴となっております。(東京第二布教 区リーフレットより)
1995.12.15
改正宗教法人法公布
役員名簿 、財産目録また年間8000万円を超える収入の場合、収支計算書の提出を義務付け。
 
学会による悪質な遺骨裁判全国で展開

  平成8年(1996年)
1996.1.11
聖教 シンガポール会館寺院発表
僧侶不要の学会が僧侶雇い寺院設ける
「シンガポールでは、近年、新メンバーが増加しており、これにともない、現地の実情に応じた儀式、典礼などを行なうことで、日蓮大聖人の仏法への正しい理 解をさらに広げていきたい、との要望が出されていた。S S A では、こうした要望を配慮するとともに、さらに、メンバーの教学振興とシンガポールにおける正しい仏教哲学の伝承のために、日蓮大聖人の仏法の正統である青年僧侶改革同盟の僧侶の駐在を決めたもの。あわせて、新寺院を建設することも決定した。
 渡辺さんは、現地メンバーと協力し、当面、シンガポール文化会館を中心に各地のメンバーの冠婚葬祭などの儀式や、教学研鑚の応援などに努めるほか、新寺院の開設準備にあたることになっている」 1996.1.11付 聖教新聞
1996.1
学会 邪教容認
SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」大白蓮華一月号
 
学会公式HP開設
1996.2.11
戸田記念国際研究所発足
1996.2.15
池田のレイプ記事「週刊新潮」22日号に掲載
(北海道婦人部幹部・信平信子の手記)
1996.3.6
公明代表・藤井氏と暴力団組長密会ビデオ事件
学会側は、暴力団との関係を認めるコメントを出すはずがない。しかし、その関係を事実上認めてしまうような“とんでもない事件”が起こっている。 それは、国会の勢力図も変えてしまうことになる1996年に起きた「密会ビデオ」事件である。 以下、「野中広務 差別と権力」(魚住昭 講談社)から引用。 小沢一郎の側近、平野貞夫(当時新進党参院議員)が友人の権藤恒夫(公明議員)から「会いたい」と連絡を受けたのは橋本政権が発足してまもない1996年3月6日のことだった。 権藤は旧公明党時代に国対委員長として活躍した新進党の現代議士である。 平野はすぐ議員会館の権藤の事務所に向かった。部屋に入ると、深刻な顔をした権藤が口を開いた。(中略) 「野中さんが会いたいというので久しぶりに会ったんだが、とんでもない話だった。『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいるということなんだが・・・」 政界内に激震を与えるこのビデオの声紋鑑定が行われ、二人に間違いないという結果がでているという。
1996.6.5
信平夫妻 池田を相手取り東京地裁に提訴
1996.8.18
黒柳明 祭りで神輿担ぎ
東京深川の祭りで黒柳明の神輿担ぎがテレビで放映される。 インタビューに「“お祭り重要、のべつまくなし”というのは、小選挙区の影響ですよ」などと答える。
1996.8.18
『自由の砦』 中外日報社との関係を暴露
平成8年9月8日付『自由の砦』(創価学会による被害者の会機関紙)で、中外日報社から流出した内部資料に基づき、創価学会が年間8千5百万円もの大金を 中外日報社に提供して丸抱えし、創価学会の代弁をさせている事実を暴露(ばくろ)しました。このことが引き金となって、他の仏教教団が『中外日報』の購読 を打ち切るようになり、そのため、いよいよ『中外日報』は経営不振に陥(おちい)りました。 
1996.9.24
遺骨裁判 学会敗訴
総本山大石寺大納骨堂に納骨していた遺骨を引き取った創価学会員が、預けた遺骨とは違うとして、総本山に損害賠償を求めた裁判がありました(福岡地裁小倉 支部・平成6年(ワ) 第196号・損害賠償請求事件)。 この事件で裁判所は、平成8年9月24日、総本山側の勝訴の判決を下しました(その後控訴審でも総本山勝訴、確定) 。 裁判所は判決で、総本山の納骨手続きは正しく行われ、安置の状況からも間違いが起きるはずはないと認定しました。これに対し原告学会員は返還を受ける際に 疑義ももたず遺骨を受け取り、4ヵ 月以上もの間何の問い合わせや苦情もなく、突然、提訴した等の不自然な行為が認められるうえ、返還された骨袋そのものも諸般の証拠や事情から原告学会員が 預けたものに相違ないと認定しました。創価新報に煽動されて総本山を訴えた池田創価学会員が、逆に司法によって断罪され、そして大石寺の正しさが実証され たのです。(東京第二布教区リーフレットより)
1996.9.24
池田レイプ公判開始
創価学会の元北海道副総合婦人部長という要職にあった信平信子さんが、昭和四十八年、同五十八年、平成三年の三回にわたり、北海道・函館市郊外にある創価 学会施設で、創価学会名誉会長池田大作氏に強姦されたとして、平成八年六月、夫の醇浩さんとともに東京地裁に提訴した、池田氏に対する損害賠償請求訴訟。 池田氏は信平さんに対し、人目もはばからず『二号さん』と呼び続けていた事実がある。池田氏自身はこの事態に沈黙していたが、学会幹部、地元会員たちの猛 攻撃が信平夫妻に向けられた。【詳しくは】
1996.10.20
小選挙区比例代表制 初の選挙
新進党156議席、自民239議席
1996.11.3
池田 仇討ち命令
「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るためにたった。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」 『創価同窓の集い』にて
1996.11.18
日蓮正宗 創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、文部大臣(当時小杉隆氏)に対し『意見書』を提出

 平成9年(1997年)
1997.1.21
神戸・公明幹事長 賭博で現行犯逮捕
神戸市議会の公明党森和愛幹事長がゲーム機賭博で逮捕される
1997.5.8
新進党内に「公友会」を結成
神崎代表幹事に
1997.6.24
公明 兵庫県川西市市議会議長が妻を衰弱死
病気で衰弱した五十七歳の妻を放置したまま「餓死」させたとして六十一歳の夫が逮捕された。夫は兵庫県川西市の市議会議長。公明に所属する当選八回のベテ ラン議員である。三十四年間連れ添った妻は長年にわたって精神を病んでいた。自宅の門扉にはチェーン錠が巻かれ、事実上の軟禁状態だったという。(平成9 年7月10日号 週刊新潮)
1997.7.10
東京出張所を世田谷区中町より渋谷区松涛へ移転
1997.9.21
公明・大宮市議収賄で逮捕
公明・大宮市議の横田高夫ら三人は平成6年12月に開かれた市議会で、業者より依頼を受けた工事承認の議決案に賛成し、入札後、謝礼として業者から2回に渡って合計100万円を受け取った疑い。容疑者、業者ともにこれを認める。
1997.10.10
公明 北朝鮮・金正日体制を賛美
金正日が朝鮮労働党の総書記長就任した際、公明代表・藤井富雄氏は「建国の父、故金日成閣下の魂を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」(10月10日 公明新聞)と祝電を送っている。
 
宗門 学会員に対し脱会呼びかけ
宗門は信徒資格喪失を予告し、脱会を呼びかける。【資料➡】
1997.10.27
公明市議 保護責任者遺棄致死容疑で逮捕
兵庫県川西警察署は公明市議・赤井良一(61)を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。赤井は重度の神経病を患っている妻を二十余年、自宅で面倒をみていた が、妻が食事を受け付けなくなり、生命の危険があったにもかかわらず、食事をあたえず放置し、数日後に死亡させたというもの。
1997.11.13
中外日報 学会幹部と邪宗僧との写真掲載
第7回 日中仏教学術会議(主催 中外日報社・中国社会科学学院世界宗教研究所)に伴う“懇親の夕べ”の模様(10/20日)を掲載。そこには、赤ら顔で相好を崩す山崎尚美、西口良三副会長、創価大学教授の菅野博史らと、邪宗の高僧や幹部の写真で埋め尽くされている。【資料➡】
1997.11.21
ロサンゼルス地区控訴裁判所 ヒロエ・クロウの法主・日蓮正宗への控訴を棄却
1997.11.22
公明藤井 暴力団との密会認める
「週刊現代」(11/22号)で公明党元都議会幹事長は同誌の取材に後藤組組長との密会を認めた。 後藤組長と会ってどんな話をしたんですか? (藤井)『いう必要ない。会ったら、「やあやあ」だよ。おかしな話をするわけがない』
1997.12.1
学会員個人の日蓮正宗檀信徒資格が喪失
日蓮正宗 宗務行政措置を実施 、 この措置により、創価学会個人の日蓮正宗檀信徒資格が喪失した。
 
「第二の法華経の行者」明記
学会内部文書「日顕宗の邪義を破す」 「我等の師匠池田先生は、昭和35年に会長就任以来10年毎に順に昭和45年の俗衆増上慢、昭和53~55年道門増上慢、そして次の10年である創立60周年には予定通りに僣聖増上慢を呼び起こし、末法に入って以来、大聖人に次ぐ二人目の「法華経の行者」となたのです」
 
【創価学会組織図➡】

 平成10年(1998年)
1998.1
97年末をもって新進党6つに解党
公明系は衆院中心に新党平和を結成。代表に神崎武法
1998.1.8
学会系怪文書『フェイク』発行
➡「地涌」に続き、この怪文書を宗門批判の道具として利用。
1998.1.27
学会女子行員7千万円詐欺
学会員による犯罪が岐阜県高山市で発生した。1月27日、岐阜県警と高山署は、北陸銀行高山支店のオンラインシステムを不正に操作して、430万円を着服 したとして、高山市片野町に住む元北陸銀行高山支店融資係主任・高橋真由美容疑者(42)を、電算機使用詐欺の疑いで逮捕した。(中略)高橋容疑者はこう した不正操作を12年前から繰り返しており、被害総額は7000万円に達する。(平成10年3月5日号 週刊実話)
1998.2.23
学会員市議 ひき逃げで逮捕
静岡県伊豆署は山田喜八郎元市議を道路交通法違反(ひき逃げ)の容疑で緊急逮捕した。 調べによると、交差点でミニバイクを運転する主婦Aさんと衝突し、Aさんに十日間の怪我を負わせ、逃走したが、 自宅でタイヤを交換しているところを警察に問い詰められ逮捕。
1998.3.3
学会寄りの偏重報道をしてきた『中外日報』刷新 【写真
1998.4.5
大御本尊 正本堂より大石寺奉安殿へ遷座
1998.4.21
自・公手打ち
自民機関紙に掲載した内藤国夫氏のコラムについて、創価学会に全面謝罪
1998.4.24
岐阜市職員 同僚の学会員を殺害
同僚だった岐阜市職員、藤瀬広行さん(50)を殺害したとして同市職員、園部信次容疑者(37・岐阜市加納長刀堀)と共犯の会社員、片山靖之容疑者 (40・同市加納鷹匠町) が岐阜県警に逮捕されたのは4月24日のことだった。この事件は「前代未聞の市職員同士による殺人事件」として注目を浴びたが、実は藤瀬さんと園部容疑者 は共に創価学会員同士だったというからビックりだ。しかも、園部容疑者の父親(71)は、昭和50年から4 期連続務めた元公明党岐阜市議だった。当時は公明党岐阜県本部庶務局長も務めていた。(平成10年5月21日号 週刊実話)
1998.6.18
アメリカ・クロウ裁判:宗門の全面勝利確定
ロサンゼルス上級裁判所で、クロウ裁判の最終状況確認のための会合(ステータス・コンファランス)が開かれましたが、その席上、クロウ側代理人デポラー・ ドルーズ弁護士は、停止中の日蓮正宗テンブル(NST)、法華講(NSH)、及び高橋慈豊師(当時サンフランシスコ妙信寺住職)の現地関係者三者に対する 訴の却下書面に署名しました。これで、先に却下判決のあった御法主上人猊下はじめ、日蓮正宗、法華講連合会、尾林広徳海外部長(以上、在日関係者)に対す る訴だけでなく、アメリカ現地関係者に対する訴も、全部却下となり、アメリカのクロウ裁判に対する宗門側の全面勝利が最終的に確定。
1998.6
正本堂解体工事開始
1998.7.30
小渕内閣発足
1998.8中旬
竹下・秋谷会談  国会での協力を公明(学会)に依頼
1998.8.26
竹入元公明委員長 朝日新聞に政界回顧録掲載
計12回に渡り『秘話・55年体制のはざまで』を掲載。
「69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中(※ 角栄)さんには、助けられ、感謝している。終 生忘れない。(中略)創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に働いてもらったのだが、田中さんは追求されると、『竹入に頼まれたの ではない。幹事長だから勝手におせっかいを焼いているだけ』と釈明した。これには感激した。(中略)佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと 時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなど、いろいろ配慮してくれた。(中略)言論出版妨害問題は、田中さんらに対し大きな負い目 になった。国会対策でも田中幹事長時代に、よく協力を頼まれ、党の基本政策に抵触しない限り、対応した。」元公明党委員長・竹入義勝氏の手記『朝日新聞』
1998.10.26
1300万人の核廃絶署名名簿を国連本部に提出
1998.11.4
池田 韓国を賛美・日本を糾弾
韓日友好を誓い「創価同窓の集い」での池田名誉会長指導 「愛の国、美の国、文の国。その平和の人々が、「何十世代の後までも忘れぬ」と、怒りを骨に刻んだ相手が、日本の残虐な国家主義者であった。行く先々での略奪。暴行。殺戮。「禽獣にも劣る」、文化なき「悪鬼」と呼ばれた。(中略) 私は父から『日本のやり方はひどい。日本はもっともっと韓国を大切にしなければいけない』と聞かされて育ちました。」
1998.11.7
新党平和と公明が合併 「公明党」が復活
神崎代表発言「自公連携、自公連立は考えていない」(記者会見で)
1998.11.10
参院選で公約した「商品券」7000億円分の支給案が自・公で合意
1998.12.20
浅見副会長を告発する文書出回る
告発文書・天鼓一号>
「副会長が先生の国会証人喚問の危機に乗じて、金を懐にすることなぞ許すことはできない。伊藤園の自動販売機を全国の会館に入れ、伊藤園の社長が自民党に 顔がきくから証人喚問回避できるなどと大嘘をつき、自動販売機を全国の会館に入れさせ、大金を手にした副会長がいる。 一千万円を二回にわたり受け取った。 ビックカメラの在庫品を何億円も創価学会に買い取らせ、その時もその副会長は数千万円の金を手にした。浅見副会長は 本当に悪い幹部だ。 創価学会から追放し見せしめとしなければ、先生の不惜身命の戦いと民衆の献身的な活動で作られた創価学会が腐ってしまう。 私もこのような文書をばら撒くことについて悩んだが、先生の生きてらっしゃる間に膿を出しておかなければ大変なことになると考えて、あえて今回の行動を起 こしたもので、ご理解願いたい。 中野区のある人が 「先生に使っていただきたい」 と一千万円を出したが、浅見、金沢(杉並)、岡松(中野) の三人で山分けした。あとでお金を出した当人が広布基金としての領収書を求めたことにより、三人はあわてふためいていたが、どのように処理したことや ら・・・・・。 」
➡全国青年部長などを歴任した浅見氏はこの後、東北の副圏長に格下げされる。


   

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