- 1970.1.5
- 副会長制設置。北条浩、森田一哉、秋谷栄之助が就任
- 1970.1.27
- 第31回社長会〔於いろは〕 池田発言
◎大学教授の給料は今迄の1.5倍位にしよう。白亜の殿堂が大ゆれにゆれて、その後で本当の白亜の殿堂が出来るんだね。最高の教育をしましょう。最初は少人数で、核をかためながらゆきましょう。
◎弘達の問題等、世間ではたいして問題にしていないよ。しかし、国会があるから慎重にしょう。だいたい(共)は暴力革命だよ。社会党も駄目だ。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.1.28
- 会員世帯数750万世帯に
- 1970.2.3
- 反創価・公明集会に3000人
「公明党・創価学会の妨害に反対する、言論・出版の自由に関する大集会」には3千人が集まった。全国各地でも、言論・出版の自由を守る懇談会が結成
- 1970.2.9
- 著名作家 言論問題で出版に影響
五木寛之、生島治郎、戸川昌子、野坂昭如ら著名作家七人は「出版妨害問題が解決するまで、創価学会系とみられる出版物、雑誌に取材・執筆を自発的にさし控える」旨コメント。
- 1970.2.27
- 第32回社長会〔於箱根研修所〕 池田発言
◎今度の事件で、とにかく日本中に浸透した。有名になった。本当は政教分離どころか、政教一致で私が指揮をとりたいよ、ほっておけない。竹入、矢野はよく頑張っている。
◎たいした妨害ではないよ。どこでもやっている事だよ。銀行など大変だよ。
◎新聞記者はどんな時でも味方にしなければならない。
◎この1年半位で、社長20万、部長級15万以上にする様頑張ろう。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.2.28
- 塚本三郎(民社) 池田氏を証人喚問要求
- 1970.3.3
- 共産党・谷口善太郎議員、国立戒壇等について質問
- 1970.3.17
- 社・共・民の有志議員「出版妨害問題真相究明議員集会」開く
- 1970.3.25
- 妙信講 「正本堂につき宗務御当局に糾し訴う」を送る。
- 1970.2.29
- 第33回社長会 〔於箱根研修所〕 池田発言
◎民音も、書籍も、うんと少なくして、喜んで信心出来る様にしよう。聖教新聞の多部数も減らそう。又、公明に切りかえても良い。班長、地区部長で5部以上
の人は減らしてもよいと打出しなさい。聖教が50万位減るだろう。公明も100万になるだろう。だが良い。少しでも無理をなくしてゆこう。
◎これはここだけの話だが、講演の最後に「高等部の中から第4代会長が1日も早く出現する事を望む」と話す。そして出来れば次の日緊急理事会を開いて、パッと切り換える。第四代会長をたてる。どうだろう。(全員反対) (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.4.3
- 浅井親子を本山に呼び御指南
「国立戒壇は当然、正本堂は御遺命の戒壇ならず、これこそ宗門の伝統法義。聖人展の時も率直に言ってくれたのは妙信講である。妙信講こそ私を守ってくれる講中である」
- 1970.4.8
- 共産党・谷口善太郎議員
国立戒壇の違憲性について質問主意書を政府に提出
- 1970.4.9
- 政府 「国立戒壇の意義」について学会に照会する。
- 1970.4.16
- 常泉寺に浅井親子を呼び御指南
谷口氏の質問主意書を見せ
「国立戒壇を言えば宗門はつぶされる。国立戒壇と言わないでほしい」
妙信講反論説得。猊下学会説得を約束。
- 1970.4.17
- 猊下 浅井昭衛に電話
1.日蓮正宗を国教にしない。
2.国立戒壇といわない。
3.正本堂を最終の事の戒壇とする。
4.今や広布流布、故に事の戒壇が立つ。
以上を5月3日に発表する。こうしなければ宗門を統率できないと御指南。
妙信講反論。
- 1970.4.19
- 猊下 浅井昭衛に電話
4.17の内容の内「国立戒壇といわない」ことだけは宣言しなければならないと御指南。
妙信講不承知。
- 1970.4.18
- 赤坂芸者との関係記事掲載
4/18号・週刊新潮は池田と赤坂芸者との関係を掲載。
これに対し、学会側は告訴の動きを見せたが、新潮側が「それなら国会議員の女性との問題を取り上げる」と反撃したため告訴を断念。
- 1970.4.22
- 宗門 臨時局懇談会開催
- 1970.4.23
- 政府へ解答
1.本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となった時、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。
2.既に現在、信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行われており、昭和47年10月12日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。
3.一時、本門戒壇を「国立戒壇」と呼称したことがあったが、本意は1で述べた通りである。建立の当時者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である」(内閣衆質63第五号)
- 1970.4.24
- 浅井昭衛 法道院に森田副会長を呼ぶ
「5月3日の総会に猊下に正本堂を事の戒壇といわせないよう」
森田副会長これを約束
- 1970.5.3
- 池田会長言論出版妨害事件について釈明 第33回本部総会 (日大講堂)
「今度の問題は『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思う。ゆえに言論妨害という陰湿
な意図はまったくなかったのでありますが、結果として、これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけし
てしまったことは、まことに申しわけなく、残念でなりません」 その後「どうですか、私が辞めてよろしいと思う人?手を挙げてください」
日達猊下 本部総会において今後、国立戒壇の名称を使わないようご指南
「国立戒壇の名称は布教の邪魔。本門戒壇安置の所は事の戒壇。正本堂は事の戒壇」
【学会と公明党の関係】
私としては、公明党結成のことを発表した昭和三十九年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の
出発を目指しておきました。
私自身、公明党の会合には一度も出ておりません。三十九年の結党大会にも出ていません。
また四十年七月に「宗教政党」という理念を述べましたが、ここでも「理念においては一体であるが、体制・機能においては別である」むねを前提として、そ
う申し上げたのであります。
これは、学会と公明党は「一体不二」であるという言葉を使ったので、 一部に誤解した受け取り方をされておりますが、よく読んでいただければわかるよう
に、民衆の幸福と平和を願う理念。理想が同じであるという意味であって、体制・機能の面までも「一体不二」ということは決していっておりません。
「また、学会は、公明党の支持団体ということになります。当然、学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は、日蓮大聖人の仏法、三大
秘法の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、全く干渉するものではありません。」
- 1970.5.5
- 第34回社長会〔於箱根研修所〕 池田発言
◎竹入に今迄以上に王仏冥合、政教一致でゆけ、と云おうか。
◎会長交代の時期、検討
宗教法人法を改定し、出来れば7月3日、遅くも10月13日に交代して、名誉会長に就任していただく。本当は正本堂建立迄、この儘でいて頂きたいが、とに
かく、今は御身体が健康になられるのが第一だ。又、将来健康になられたら、公選で再び会長に就任していただく。この含みで、後任も北条か秋谷が良いか、先
生の御考えによる。先生のお子さんに会長をやめる話をしたら、後継ぎがいるならば賛成、勿論奥さんも大賛成だ。我々も、もうこの線で考えてゆくのが弟子の
道だ。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.5.16
- 池田氏 政教分離を認める
- 1970.5.31
- 第13回寺族同心会
「5月3日創価学会の本部総会が行われました。その席で今日以後、私の方、日蓮正宗では国立戒壇という名称は使わないという事を私は申しました。・・・
国立戒壇という名前を使わなかったといっても、決して三大秘法の戒壇の御文、あるいは一期弘法抄の戒壇の御文に少しもそれを否定したり謗ったり、あるいは
不敬になる様な事は少しもないのでございます。・・・三大秘法・一期弘法抄にいう処の戒壇は理想の大戒壇である。それは望ましい戒壇である・・・」
- 1970.7
- 最高権力者になることが目的
「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」(『現代』昭和45年7月号)
- 1970.6.9
- 公明党新綱領
王仏冥合の文字消える
- 1970.6.11
- 学会、妙信講 猊下にお目通り
森田副会長、今後は正本堂を御遺命の戒壇とはいわない旨、誓う。 確認書は拒否。6.16、6.30、7.23 確認書をめぐり論判
- 1970.6.18
- 第35回社長会〔於箱根・松野茶屋〕 池田発言
◎木村、病気はどうか、心配ないか。
◎正本堂関係の記念品、1人200円としても18億だ。出来るだけ関連会社で手掛けたい。よそに儲けさせる事はない。皆考えなさい。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.6.25
- 公明党大会『政教分離』を決定
- 1970.7.24
- 第36回社長会[於三崎会館] 池田発言
◎皆が遊んでいる時間に、又朝も晩も勤行をしなければならない。大変だと思う事があるかも知れない。又、信心にしぱられて、狹いように思うかもしれない。
世間の人の方が自由の様に見えるかも知れないが、それは反対だ。信心位、深く広いものはない。勤行が時間の関係で出来ない事もあるが、どうか一生、信心だ
けは続けていって下さい。
◎来月は松野茶屋にしましょう。鳳書院担当だな。香港で社長会をやろうよ。
◎さあ、アーチェリー(洋弓)をやろう。それから城ヶ島に行こう。矢がはずれたら罰金1,000円だ。高松さんと島津さん、いいね。篠原さんは、当たったら1,000円だ。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.8.4
- 聖教新聞社説に「正本堂を本門戒壇」と掲載
- 1970.8.6
- 妙信講 聖教の違約に対して、文書にて批判。確認書請求。
- 1970.8.19
- 妙信講 学会に面談
違約を責め確認書要求。作成誓う。
- 1970.9.10
- 第37回社長会〔於いろは〕 池田発言
◎東洋物産の大B楯決めたよ。あれならば立派だ。150増やそうか、50増やそうか、50増やそう。助かるか、思い切って150増やそう。正本堂記念品も
東洋にやらせよう。応援してあげなくちゃな、メダルもうんと作るが、これは東洋でやると派手になってしまうし、これは造幣局の仕事だな。白蓮社は順調で、
結構と云うのか。何か愉快だな。
◎藤田君は、ちゃんとやっているか。東洋も楯がゆけば、かなり楽だな、息がつけるな。十周年金メダルはやってくれているな。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.9.11
- 「正本堂を御遺命の戒壇といわない」
確認書に学会、妙信講署名。総監の手から猊下へ。
- 1970.9.29
- 第38回社長会 〔於松野茶屋〕 池田発言
◎聖教も350万に増えた。思い切って多部数を削った。大英断だったな。これは上意下達だが、随分いい上意下達だな。学会の上意下達は、だいたい下の方がずっと得するね。配達員さんは喜んだね。あの(入仏式)あと、ホテルオークニで食べさせたからね。
◎社長会も正式な会として発足しよう。名前を決めよう。(金剛会、白雪会、雪山会等を見て)これがいい、金剛会がいい。
会則
第一条 本会は金剛会と称する。
第二条 会員相互の向上と親睦をはかり、相互扶助を目的とする。
第三条 池田大作先生を推戴し、会長とする。
これはやっぱり、ちょっとまずいから、内規の方で指名していただきたい。ここでは、会長を一名置く、としておきましょう。
第四条 会長の指名により、左の役員を置く。
幹事長 1 名
幹 事 若干名
監 事 1 名
最初の役員を決めましょう。幹事長は篠原さん、幹事は田中さんと八矢さん。監事は星生さん、としましょう。
第五条 役員の任期は二年とする。但し、再任を妨げない。
第六条 本会の管理運営は役員会が審議に当たり、すべて会長の決裁を必要とする。
これも、会員の2/3の賛成による、としておきましょう。あと、会員の推薦により、全員の2/3以上の賛成で会員となる事が出来る、等加えて正式に発足しましょう。署名捺印しましょう。
◎牧囗先生は教育で、戸田先生は出版等事業をやったが、失敗した。この会は私の作った会だからな、今にすごい会になるぞ。楽しみだね。
◎東洋物産はどうだ。150円は助かったろう。他の儲けは別にして、150円だけで大B楯の分でいくら儲かった。750万か、それはよかった。一声750万だから、いい上意下達だな。後は正本堂の大理石をどうするかだな。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.9.30
- 第1回全国登山責任者会開催(本山)
「・・・総講頭職は受けたくなかった。しかし、猊下のたっての御命でありお受けした次第であります。41年春には辞表を奉呈しましたが猊下より・・再三にわたり・・。私も一日も早く一ヶ月おうち半月は総本山に滞在し会員ならび信徒と会い・・・総本山を守りたいとの念願を持っておる昨今でございます。終わりに「あな嬉し 永遠の故郷 大石寺」との一句・・・」
「日蓮大聖人亡きあとも、この精神は変わらず、二祖日興上人を慕って、多くの信徒が訪れ、日興上人にお目通りするとともに、信仰の根本の御本尊として、本門戒壇の大御本尊にお目通りした。」
【登山会の意義】
次に、登山会の意義について申し上げたい。私どもにとって、信仰の根本の対象は、いつまでもなく本門戒壇の大御本尊である。その大御本尊にお目通りすることが、登山会の最も大事な目的であり、意義である。
- 1970.10.8
- 東京文化祭(国立競技場)
- 1970.10.12
- 正本堂上棟式
- 1970.10.25
- 妙信講 登山許される。(2千有余名)
- 1970.10.28
- 第39回社長会 〔於箱根研修所〕 池田発言
◎勤行が合わない。私の側近が、勤行が出来ない様では情けない。もっと張りのある、ぴーんと張り切った勤行が出来なければ、広宜流布など出来ない。実業界
の主導権などとれないよ。勤行も出来ない社長では部下を引張って行くことは出来ない。会社もうまくゆかないよ。しっかり勤行をしなさい。私のそぱにいるも
のがそんな勤行では駄目だ。心配だよ。
◎言論問題を誰が処理したか。総務以上の人達の責任だ。一生涯、罪の償いをやっても足りない位だ。師弟相対と云っているが、全部私が締くくった。議員など総退陣すべきであった。
◎幹部で焼餅を焼くやつがいる。(会長をおだてて、のせて喜ぶやつ)そんな者は承知だよ。のったふりをするよ。しかし、それが敵だ。だから油断は出来ない。
◎外郭団体と本部役員を含めて、23万人位社員が学会の為に働く様にならなければ、広宣流布は出来ない。
◎学会のノーベル賞を出そう。その基金は一億円。国内、国外とやろう。選考には、最高幹部でない篠原さん等を出そう。第一回は篠原さんにしよう。3月16日にやる。
◎戸田先生が経済グループを作った。あれは迹門だ。金剛会は本門だよ。どう発展していくか楽しみだ。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.11.19
- 第40回社長会〔於ホテルオータニ〕 池田発言
◎羽吹さん、天婦羅屋と結婚式場を考えなさい。
◎皆んなが助かるもので、必要なものはやらねばならぬ。職員、社員で互助会をやろう。4,000人でやるラインを考えなさい。研究課題にしよう。若いものは結婚資金、年配者は葬祭の方で入れる。
◎あまり公では云えないが、そのうちに日本一の美術館を作りますからね、待っていろよ。もう内に入れるものは、皆んな揃えた。 25点? になった。日本一だよ。5年位たったら判るよ。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.11.22
- 第41回社長会 〔於天満寿〕 池田発言
◎社長会は戸田先生のかたきを打つ。経済界だ、財界の集まりだ、月給20万以上だ。
◎年末に各小学校に図書を寄付します。これを世紀書房より購入します。賞与も全部はたいて寄付をする。八年前にもやった。誰も知らないが、着々と社会に根をはってきた。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1970.12.28
- 第42回社長会 〔於小島宅〕 池田発言
◎今迄は学会は質素で来たが、これからは反対だ。経済人はこれ位の家に住む様になろう。仲々いい家だな。
◎金剛会に参加する事は一大名誉であり。どれ程栄えるかわからない。メンバーは推薦して、8社で検討する。
◎今度、ヨーロッパに画家を送った。正本堂の壁画のメンバー1人1,000万かかる。今日帰って来た。一億や二億すぐかかる。
◎正式会員を決め、発会式をやろう。権威を持たせる意味で出席しよう。広布の経済活動をになう。将来は財務制度は廃止する。 (社長会全記録 継命新聞社)
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