- 1981.1.1
- 「新年あいさつ」北條会長
「日顕上人猊下に対し奉り、宗門にあつて、唯授一人の血脈を否定するかのごとき言動があるやに開いておりますが、私どもはすでに誓い合っているごとく、い
かなることがあっても御法主日顕上人猊下をお護りし、総本山厳護の我が学会の尊き使命を貫き通していこうではありませんか…‥いま、つくづくと思いますこ
とは、昨年一年間、創価学会がおかれた立場はどうであつたかということであります。あらゆる仏道修行を妨げる三障四魔が競い起こりました。そして、独り池
田名誉会長に中傷・非難の攻撃が集中しました。しかし名誉会長は、悠然と一切の防波堤となり、全会員の尾根ともなって、守り支えてくださいました」(聖教
56・1・1)
- 1981.1.2
- 日顕猊下 大聖人700遠忌に当り訓諭
- 1981.1.14
- 第1回世界教学最高会議(ハワイ会館)
池田「…日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閣浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。更にその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。よつて代々の御法主上人貌下が法水潟瓶・血脈相承なされ、現在は日顕上人猊下に一切、受け継がれているのである。故
に私共は、日顕上人猊下の御指南を拝しつつ、正宗の伝統と法義を踏まえながら、勇んでそれぞれの国でそれぞれの地域で信心のための教学としておおいに広宣
流布に励んでいただきたい……今までの教学陣をさらに整備し、信行学ともにすぐれたリーダーを基準として、御宗門とも相談しながら、新しい教学の認定証を
交付することを提案したい」(聖教56・1・16)
- 1981.1.15
- 1月度壮年部幹部会(東京戸田記念講堂)
森田「…たとえいかなる苦難、嵐のなかにあろうとも、どこまでも御本尊根本に、そして御法主上人猊下の御指南を中心に、壮年部が盤石なところ、広布の伸展はある、との心意気で威風堂々の前進を開始していこう…」(聖教56・1・15)
- 1981.1.19
- 御書学習会(ハワイ会館)
池田「…私どもは、大聖人の門下として、全人類の救済めざして、真実唯一の法、三大秘法の南無妙法蓮華経を流布しながら、今再び人間の奥深き世界に覚醒の光をあて、幸福と平和への暁鐘を打ち鳴らしているのである。その根本道場が、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊まします多宝富士大日蓮華山大石寺である…」(聖教56・1・21)
- 1981.1.21
- 自称正信会 法主の血脈を否定し静岡地裁に管長地位不在確認請求を提起
- 1981.1.21
- 第256回本部幹部会(宮城県スポーツセンター)
北條「…宗祖日蓮大聖人第七百遠忌という重要な時を迎えて、障魔が競い起こるのは当然である。一部僧侶の中に、御法主日顕上人猊下の血脈相承を否定する者がでているが、大謗法といわざるをえない。私達はあくまで本門戒壇の大御本尊のもと総本山を根本に、御法主日顕上人猊下を厳護申し上げ広宣流布の活動を展開していくものである…」(聖教56・1・23)
- 1981.1.24
- 山崎正友氏 学会に対する3億円の恐喝未遂容疑で逮捕。実刑に服す。
-
- 山崎氏 ペン事件の上申書を提出
これによって、ペン裁判は差し戻しに
「隈部氏を告訴するに当たっては、矢野公明党書記長、大野潔代議士、小谷野三郎弁護士、龍年光、藤井富雄、大川清幸東京都議会議員らが法務省幹部、警視庁
幹部と、めんみつな打ち合わせをしました。衆、参両院議員法務委員長の権限を背景に法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスティングボート
をにぎる与党としての力、即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります。」
- 1981.1.25
- 富士宮で「創価学会の社会的不正を糾す会」がデモ行進
- 1981.1.25
- 朝日新聞
反創価学会運動を続けている日蓮正宗の僧の一人、山口法興氏の話「この運動は、私たちの意志で始め、その後に山崎が私たちに接触してきたというのが真相、その意味で、山崎と我々の運動とは当初から無関係である」
- 1981.2
- 学会 原島元教学部長に賠償訴訟
原島氏が学会の内部資料を複写し持ち出したことに対する、損害賠償訴訟を東京地裁に起こす。
-
- 「正論」2月号
創価学会恐喝事件の真相(野崎勲青年部長)
- 1981.2.17
- NSA第2回信心懇談会(ロサンゼルス)
池田「‥金銭貸借は信心の世界ではあつてはならない。共同事業も原則的には、してはならない……これ
だけ大きくなると、すべての人が平等に御本尊の子どもであるということを忘れ、自分の配下のように考えてしまう場合がある。その考えは間違いである。メン
パーあっての幹部である。結局、勤行を怠った人や、会員の方々に迷惑をかけた人は、最後は行き詰まり、退転し、反逆し、和合僧の世界にいたたまれず、去っ
ていった」(聖教56・2・19)
➡実態は、池田のもと学会外郭企業が会員をターゲットに多額の金儲けをしている。
- 1981.2.20
- 池田、パナマのノリエガ将軍と会見(パナマ)
「旧知のSGI会長との再会を喜ぶノリエガ長官は『この島に、日本人で最初にお連れするのは、池田先生しかいないと考えていた』と述べ、島の頂上まで、みずから案内し『先生を″パナマの市民″として、我々は歓迎する』と語った」(聖教56・2・22)
➡後年、ノリエガが逮捕拘留され、学会はノリエガとの交流をすべて歴史から抹消。
- 1981.2.22
- 第257回本部幹部会(埼玉・所沢市民体育館)
秋谷「…宗内においては、大阪・蓮華寺住職の久保川法章が、本門戒壇の大御本尊並びに唯授一人の血脈相承という正宗
の根本義に関して″戒壇の大御本尊と雖も即久遠元初の自受用報身如来であると断定するわけにはいきません″とか″血脈相承は法主にのみ伝えられてきたと考
えられておりましたが、これは明らかに間違いであります〃と論じるなど、正宗の信仰を根本から否定する異説を唱えるに至っている。故に宗門
では訓戒を与えたがそれでも改めないので、二月九日付をもって擯斥処分に付した。また、御法主日顕上人猊下に対し、管長の地位不存在確認を求める訴えを起
こし、正宗の僧侶にあるまじき行動に出て宗内を混乱させている動きがあります。これらは、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌を前に、いよいよ魔がその正体をあらわ
してきたといえる。私どもは、あくまでも御法主日顕上人の御指南を根本とし、総本山外護の任をどこまでも全うし、宗門と学会を壊そうという魔の働きに対し
て″勝利″の実証をもって断固打ち破っていきたい…」(聖教56・2・24)
- 1981.2.24
- パナマ広布13周年記念勤行会(パナマ会館)
池田「‥妙法という法を、一幅の御本尊として御図顕あそばされたのが、日蓮大聖人である。この三大秘法の御本尊は、
総本山富士大石寺に、厳然とましまし、七百年の伝統を経て、今、日顕上人が付属されている。その御本尊を、御書写されるのは、御法主上人猊下御一人であら
せられ、それが、今、皆さま方が信受し奉っている御本尊なのである」(聖教56・2・26)
- 1981.3.4
- 3月度全国県長会議(東京・広宣会館)
秋谷「…仏法破壊の動きに対し、我々はどこまでも御法主上人猊下の御指南を根本に、総本山を厳護し僧俗和合して前進したい…」(聖教56・3・5)
- 1981.3.5
- 原島氏 学会に対し「損害賠償債務不存在確認請求」(東京地裁へ)
学会の言うような損害は与えていない旨、法的に確認を求めたもの。
(S59.713 学会は全面取り下げ)
- 1981.3.12
- 創価学会の社会的不正を糾す議員連盟と檀徒合同の総会
池田大作の国会喚問を求める80万名の嘆願書が議員連盟に手渡される
- 1981.3.21
- 聖教社説「彼岸の真義に思う」
「先祖の抜苦与楽を願っての日々月々の唱題・弘教の功徳がそのまま回向されるとはなんとありがたいことか。とくにお彼岸の日には、追善回向の真心を込めて、正宗寺院に参詣し先祖の塔婆を立てて回向するなど、今は亡き方々も自身もともに大きな福徳善根を積む機会としたい」(聖教56・3・21)
- 1981.4.7
- 最高裁 御供養金返還を門前払い
松本勝弥らが創価学会に対する御供養金の返還を求めた訴訟を門前払いの判決
- 1981.4.10
- 東京地裁 山崎恐喝事件の初公判
- 1981.4.16
- ペン裁判 最高裁が差し戻し判決
最高裁は、池田氏に関することは「公共の利害に関する事実」として東京地裁に差し戻しを言い渡す判決
- 1981.4.27
- 教師補任披露宴(総本山)
日顕猊下「…大聖人様の仏法は、常に申します通り、難信難解の法であります。難信難解であるが故に、その起こってくる相は様々であり、到底、凡眼凡智を
もってしては計ることの出来ないものであります。そして、今の宗門の相はまさに、そのような意味からの疑いが起こってきておる状態であると、はっきり言え
ると思うのであります。しかしそれは、疑いの心、あるいは浅はかな心をもって考えれば本山に背いて勝手な行動をとるような結論になるかもしれませんが、御
書を深く拝し、御本尊様に真剣にお題目を唱えて、大聖人様の御意を少しでも拝しつつ進む覚悟をもって修行するならば、おそらくその行き先には正しい筋道
が、瞭々として現れてくることと思います…」(大日蓮424)
- 1981.5.18
- ドイツ日蓮正宗20周年記念行事(フランクフルト会館)
池田「今われわれは、その永遠にして普遍の幸福を創出できうるドアを日蓮正宗に求めた。すなわち、宇宙根源の法を、そのまま御図顕あそばされた大御本尊に
帰依することによって、確実なる実証を得ながら、その道を歩んでいるといってよい。その大御本尊まします日蓮正宗総本山大石寺が、その原点なのである…」
(聖教56・5・20)
- 1981.5.30
- 継命 レポート「学会・公明党政教一致の実態」
「東京戸田記念講堂で行われた五月度全国男子部幹部会での太田男子部長の指導。七月度東京都議選を三十六日後にひかえ、『選挙活動』の上げ潮、つくりに躍
起になり、信仰活動と選挙とを故意に混同させた甚だしい逸脱指導の証拠。一般社会向けには政教分離のタテマエ論を掲げ、組織内部では信仰目的=広宣流布=
選挙の勝利として、政党支持は自由であるはずの学会員に、公明党議員のすさまじい応援を強いる――これこそ社会を欺く学会の姿。男子部長の指導は、録音の
上全国各地の座談会等で選挙支援徹底のために流され、これを憤るある地方会員の方から、編集部に録音テープが送られてきた」(継命56・9・1)
- 1981.5.30
- イタリア広布20周年記念勤行会(フイレンツェ)
御観念文について
池田「‥御観念文について申し上げれば‥‐三座は、御本仏・日蓮大聖人に対する御報恩感謝、並びに日蓮大聖人の仏法を血脈相承なされ、現在の富士大石寺を御開基なされた日興上人に対する御報恩感謝である。さらには、第二祖日目上人をはじめ唯授一人の血脈を受けられた、正法の正師であられる歴代の御法主上人に御報恩感謝申し上げるのである。現在においては、ご存じの通り第六十七世日顕上人猊下が厳然と大法を受け継がれ、仏法の師匠としておられるのである‥」(聖教56・6・2)
- 1981.5.31
- 第六回檀徒総会
- 1981.6
- 第一回世界青年平和文化祭(シカゴ)
- 1981.6.5
- 第1回ヨーロツパ代表者会議(欧州研修道場)
池田「私どもはあくまでも日蓮正宗総本山を根本とし、御法主日顕上人を厳護申し上げる…」(聖教56・6・7)
- 1981.6.7
- ヨーロッパ記念総会(欧州研修道場)
池田「‥この大仏法の究極唯一の法体は、申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊であり、法灯連綿、御歴代の御法主上人がこの大御本尊を厳護し奉りてここに七百年、そして、あいがたき宗祖日蓮大聖人第七百遠忌の今日にあっては、第六十七世日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。誰
人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである。恐れ多くも、遠く日蓮大聖人の時代にあっても、仏法の永遠の師であられる大聖
人に弓を引く僧があったが、今また、元正宗の久保川某をはじめとする一派が、御法主上人に違背叛逆している。その『心破作七分』の大謗法は、誠に堕地獄の
所業であり、正法奉持の厳しさここに極まれり、と思わざるを得ないのである…」(聖教56・6・9)
- 1981.6.20
- 信法寺落慶入仏式(福岡)
日顕猊下「今日、宗門には様々の思い違いをしておる僧侶や、一部の信徒がおりますが、その人達はその根本である宗門の法義を否定し、信仰を否定して、自ら
の小さな善悪観に執われて法主の悪口を言っております。このような姿は、自ら法門の無尽を究めようとする心を捨て、仏道の無上を得んとする心を捨て、また
衆生の無辺なるを救わんとする心を放棄しておるところの姿であります。これは、根本の大聖人様の血脈の仏法に反しておるのでありまして、したがってその人
達の唱える題目は、いかほど唱えても全く功徳はないのであります。」(大日蓮425)
- 1981.6.26
- 聖教「寸鉄」
「御法主日顕上人 サンフランシスコ到着 今 富士の清流は世界へ」(聖教56・6・26)
- 1981.7.5
- 都議選27名当選
- 1981.7.15
- 聖教社説「妙法の回向こそ真の追善供養」
「日蓮正宗においても、各寺院で孟蘭盆会が修され、草木成仏の法理に基づき塔婆を立てて先祖の菩提が弔われ、ねんごろな追善供養が行われる」(聖教56・7・15)
- 1981.7.17
- 沖縄で住民票移動事件発覚
沖縄市選管 学会員11名を住民票移動で選挙人名簿から削除
1981年7月の那覇市議選に際してで、実証の端緒は地域の共産党が有権者名簿などにもとづいて支持者を広げる活動をしたことにある。活動のなかで那覇市
に選挙権はあっても、住んでいないというユウレイ有権者があちこちで出てきたのである。 「いったい本人はどこにいるのだろうか-----。住民票を手が
かりに前住所地をあたってみると、なんと9人は『前住所』の浦添市にずっといっしょに住んでいたのです。 那覇市と浦添市の両方の『住所地』を調べていく
なかで、票移動の手口が明るみになりました。那覇市壺屋の創価学会員T・G宅。ここには同じ日に3人分の票移動をしています。うち2人は58歳の女性とそ
の二男(26歳)。夫を残して2人で転入したことになっていますが、実は浦添市の前住所地に家族で住んでいます。
もう一人、33歳の女性。やはり夫と子どもの3人を残して移転したことになっていますが、実際には浦添市に家族そろって住んでいます。浦添市で創価学会員
の両親といっしょに住んでいながらも、自分だけ那覇市内に住民票を移している28歳の女性もいました。転入先の番地はバーでした」(『赤旗』日曜版
1981年7月26日付)
- 1981.7.18
- 北條会長(58) 逝去
池田名誉会長 北条氏の葬儀の場で「こんな暑い日に死ぬのはやめよう」と暴言は吐く
後任に秋谷栄之助氏が5代会長に就任
- 1981.7.19
- 北條浩第四代会長告別式(東京)
「御法主日顕上人猊下の御名代である藤本栄道総監の導師のもと東京信濃町の北條家で厳粛に営まれた……御法主上人猊下夫人、藤本総監夫人も参列いただいた」(聖教56・7・20)
- 1981.7.24
- 北條浩創価学会本部葬(東京戸田記念講堂)
- 1981.7.26
- 新会長就任記念本部幹部会
秋谷会長指導
●創価学会は、初代会長牧口先生、二代会長戸田先生、三代会長池田先生によって築かれ、日蓮大聖人の仏法を、その教え通り広布流布しゆく使命をもった不思
議な団体であります・・・私は池田門下生の一人・・・私はこの池田先生の死身弘法の大精神、すなわちこの学会精神を必ず継承し・・・最後に、学会の永遠の指針である総本山を根本とし、御法主日顕証人を厳護し奉り、一層の御奉公の誠を尽くすことを・・(聖教56・7・27)
- 1981.7.29
- ペン裁判 差し戻し審 第一回公判(東京地裁)
- 1981.8
- ハワイで「第二回SGI総会」
- 1981.8.6
- 聖教 「きょう、御登座二周年」
「総本山第六十七世御法主日顕上人猊下は、きょう六日、御登座二周年を迎えられた。御法主日顕上人猊下は、総本山第六十六世日達上人より唯授一人の血脈相承を受けられ、昭和五十四年八月六日、第六十七世御法主として御登座あそばされた。」聖教新聞 1981年8月6日付
-
- 在勤教師会 「謗法の書"人間革命"」全国送付
- 1981.9.20
- 聖教 視点「黒いつながりのグループ・正信会の正体」
「全く信心が狂っている。正信会グループは〃現法主は相承を受けていない″とか″管長でない者が行った処分は無効である″と言い出し、あろうことか日顕上人猊下への訴訟まで起こしている。御法主上人は『まるで頭が狂っておるとしか思えない不心得者』(大日蓮五十六年二月号から趣意)と、正信会僧侶を厳しく破折されている。その姿は、まさに『法師の皮を着たる畜生』そのもの」(聖教56・9・20)
➡学会は破門後、相承否定、猊下のスキャンダルねつ造裁判を起こし、正信会の比ではない。
- 1981.9.22
- 聖教社説「彼岸と先祖供養について」
「彼岸会のこの日に、御本尊に御供養し、物故者の塔婆を立てて、回向するが、その善行がそのまま到彼岸すなわち成仏の因行ともなるからである」(聖教56・9・22)
- 1981.10.6
- 10月度全国県長会議(東京・広宣会館)
秋谷会長「…いよいよ宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌大法会が奉修される十月を迎え、大御本尊根本、御法主上人猊下外護の根本精神を一段と強め、 一連の慶讃行事の無事故、大成功を祈念していきたい…」(聖教56・10・7)
- 1981.10.8
- 10月度東京支部長会(東京戸田記念講堂)
秋谷「‥この第七百御遠忌の記念事業の一環として、蓮蔵坊、宗務院庁舎、書院、大坊西寮の完成をみた。過日、総本山第六十七世御法主日顕上人猊下の大導師
のもとに奉修された落慶法要に、池田名誉会長とともに参列し、晴れの完成をお祝い申し上げた。これら一連の行事の中で僧俗和合の姿が厳然と確立された感を
深くした次第である。どうか、あいがたき大慶事に巡りあった私共は、妙法弘通に励むことの喜びにあふれ、信行を倍増していくとともに、総本山根本、御法主
上人猊下厳護の精神を貫いてまいりたい…」(聖教56・10・10)
- 1981.10.12
- ペン裁判 第四回公判
証人として小沢ヨネが出廷。大宮の松島家でハダカの池田を次女・通子が三畳間で奉仕していたと証言。
この三畳間をめぐり、当時は無かったと弟であり聖教新聞職員が証言したが、実際は姉・郁子があったと後に語る。 松島家は学会エリート家族となったが、末弟が脱会、姉妹の断絶など離散状態になる。
➡学会が法廷で偽証。平成に至ってもその悪辣さは変わっていない不正直集団である。
-
- 池田、猊下から宗祖第七百御遠忌を記念し「居士衣」を賜る。のちに学会重宝と紹介される(聖教56・10・13)
- 1981.10.16
- 日顕猊下、池田(七百遠忌慶讃委員会委員長)に感謝状と金盃を贈呈(大日蓮429) (聖教56・10・17)
- 1981.10.26
- ペン裁判 第五回公判
小沢ヨネとともに目撃した飯野なみも同様に証言。
証人・原島嵩氏は池田氏と女性職員の異常な関係や「人間革命」などの著作は特別書籍部のメンバーが書いたと証言。
➡人間革命の最初の数ページは池田自筆原稿が披露されているが、全ページの自筆は存在しないであろう。よって池田の死後、「人間革命は池田が書いた」と証明することは不可能。
- 1981.11.4
- 池田談話「宗祖第七百御遠忌慶讃登山、参詣者200万人超える」
「まことに値いがたき宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌にあたり、御正当の十月には第七百御遠忌大法会が一週間にわたり御法主日顕上人猊下の大導師の御もとに奉
修され、今また、篤信の信徒二百万人の登山達成をもって、大盛儀を荘厳申し上げ、仏祖三宝尊に御報恩謝徳の誠を尽くすことができましたことは、これ以上の
喜びはございません。これひとえに御本仏・日蓮大聖人の広大無辺の大慈悲に包まれてのものであり、御法主日顕上人猊下をはじめ御歴代上人の御威光の賜であ
ると深く感謝申し上げるものであります」(聖教56・11・5)
- 1981.11.12
- 文京区総会(東京戸田記念講堂)
秋谷「…何を考えているのか、原島嵩が九日『月刊ペン』の裁判に出廷した。皆が思った通り、お話にならない証言で終始した。彼の天性のうそつきは、幹部で
あった我々は、うんざりするほど知っている。北條前会長もよくだまされた。私をはじめ多くの幹部もだまされてきた。そうした原島を池田先生だけは、元理事
長の子息であるからとして、かばっておられた。そこで、彼は誰からも信用さず、いたたまれなくなって去っていったのだ。そこで、彼は自分の悪をすりかえる
ために、狂奔しているにすぎないのである」(聖教56・11・14)
- 1981.11.18
- 創立51周年記念和歌山大会(和歌山文化会館)
和歌山宣言「御法主日顕上人猊下の御指南のもとに、日本一理想的な僧俗和合で前進する」など四項目(聖教56・11・19)
- 1981.11.18
- 月刊ペン裁判「八尋(学会幹部)証言」
「『池田大作氏を法廷に出さないで済むよう、笹川良一氏に裏工作を依頼し、事件処理費として北条浩副会長が三千万円を山崎に渡した。それを山崎がどう使ったかは知らない』
千里ニュータウン不正入居事件『千里ニュータウンで、創価学会が、公明党の国会議員、田代富士夫氏や白木儀一郎氏名義で違法に土地の分譲を受けたのは事実です』と不正を認めた」(諸君57・2)
- 1981.11.20
- 記念自由勤行会(奈良・明日香文化会館)
池田「…この日蓮正宗、そして創価学会という和合僧の中にのみ、まことの信心修行の正しさがあり、これこそ信心と人生の安全地帯である…」(聖教56・11・21)
- 1981.11.22
- 第3回関西総会(大阪・関西戸田記念講堂)
関西宣言「我が関西創価学会は、総本山を外護し、御法主日顕上人猊下の御指南のもとに、世界一理想的な僧俗和合でまい進する」など4項目(聖教56・11・23)
- 1981.11.23
- 第1回北陸幹部総会(石川・小松市末広体育館)
北陸創価学会決議「御法主日顕上人猊下の御指南のもとに、日本一麗しい僧俗和合で地域広布に邁進する」など五項目(聖教56・11・24)
- 1981.11.24
- 代表者会議(福井・武生文化会館)
池田「…御法主上人猊下に従順しない人は、もはやいかなる理由があるにせよ、正宗の僧俗ではない。これほど根本的な誤りはないからである。この地にも理想的な僧俗和合をお願いしたい…」(聖教56・11・25)
- 1981.11.27
- 信心懇談会(岐阜文化会館)
池田「…誰人がいかに謀略をしようとも七百年の伝統を誇る日蓮正宗は、不滅である。御法主日顕上人猊
下の厳とした御威徳のある限り、わが正宗の前途は限りなく明るい。そして、また、外護し奉りゆく、我が創価学会も、御聖訓に照らし、広宣流布へのための、
いよいよの発展を私は確信してやまない。総本山にあられても猊下の御もとに未来を担う、新しき若き竜象も、いやがうえにも成長なされていると拝する…」
(聖教56・11・28)
➡破門後、池田創価学会が宗門に対し謀略の限りを尽くし潰しにかかった実態を見ると、池田の言葉は何の信用性もない。
-
- 創価学会の社会不正に関する嘆願書
衆院文教委で却下される
檀徒を始めとした134万人の署名を集めたもの。
- 1981.12.9
- 秋谷談話「昭和57年の新年動行会決まる」
「今回の新年動行会では、会館運営維持のための伝統として広布基金を募らせていただくことになっています。各
地の会館の維持の基本にもなっている広布基金は、広布の牙城は、できるだけ私達の真心と力で維持し、充実させていこう、との趣旨で行なわれているもので
す。全国の会員同志におかれましては、一年の出発にさいし、ぜひとも多くの方々の真心からの協力を、よろしくお願い申し上げます」(聖教56・12・9)
➡つまり、年一回の財務納金の他、正月勤行会では封筒が容易され基金を募るとのことである。
- 1981.12.12
- 富士宮市百条委員会が学会・公明の工作で廃止
- 1981.12.12
- 自由勤行会(熊本・白菊講堂)
池田「…日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主日顕上人猊下に従順すべきである。従順せず、いな、弓をひく行為
をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無量のざん言や画策を受けながらも、一貫して総本山を外護し奉り、御法主上人猊下に従順してまいっ
た。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴの野望のために踏みにじっていく僧俗は、もはや、全く信心の二字のなき徒輩
であり、そこには、日蓮大聖人の広宣流布をせよとの御遺命に反した邪信の徒と断ぜぎるを得ないのである。皆さまは絶対にそれらに恐れたり、願されたり撹乱
されてはならない…」(聖教56・12・13)
- 1981.12.15
- 自由勤行会(熊本文化会館)
城南宣言「我らは、総本山を外護申し上げ、もって正法正義に弓を引く輩を許さず、信心正義の王道を歩むことを誓う」
天草宣言「我らは、毎年総本山に参詣することを決定し、大功徳あふれる人生をもって天草の地に貢献することを誓う」(聖教56・12・17)
- 1981.12.17
- 聖教新聞
「憂宗護法の為だ」
「正宗の根本義は法主を守ることだ」
御宗門より擯斥された佐々木某等がこんな大義名文を振りかざし聞信の友に悪口、中傷、雑言の限りをつくす言辞を何度聞かされた事か。その言葉の本質は今、恐れ多くも御法主猊下に違背し、血脈を否定する暴挙に走る彼等の卑劣な行動が物語っている。何
が憂宗か。何が護法か。陰謀と感情と嫉妬と狼狽以外の何ものでもなかった事は、わずか数年の歴史が証明したではないか。真の憂宗と護法は我らの正義にあっ
た事が、明々嚇々と証明されたわけだ。その黒き運動を続けてきた不順な徒輩は、今、互いにののしり合い雲散霧消に近い・・・
- 1981.12.20
- 七百遠忌慶讃二百万登山終了奉告法要(総本山)
池田「時あたかも法灯連綿たる本門戒壇の大御本尊、並びに日蓮正宗の根本義たる唯授一人の血脈を否定せんとする愚人の徒輩が狂い、叫ぶように悪口雑言の限りを浴びせておりますが、
我らは、猊下の御指南を体して、悠々とそれらを乗り越えながら、広宣の誓いを果たし、もって歴史に厳と輝く青史をつくりあげたいと念願するものでありま
す。日蓮大聖人の御一生は波乱万丈の崇高なる御一生であられました。今、私どもは、涅槃経にある満身創痍になりながら覚徳比丘を守りし有徳王を鏡として、
日顕猊下をお護り申し上げ、広布に立ちて波乱万丈の一生を飾りたいと願うものであります」(大日蓮431) (聖教56・12・21)
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