- 1979.1
- 宗門 「大白蓮華87号の正しい読み方資料」発売
- 1979.1.5
- 住職寺族初登山
「・・昨年の11月以後、創価学会も平常に戻り・・しかし、まだ学会も大変なる学会員の数でありますから、下部の組織までその意味が徹底することが少な
く・・折角学会の指導では正しくないとみて、お寺を頼りにしてきた檀徒を、いま改めて学会の人が大勢来るから、そんな者追い出してくれと言ったら、すぐ追
い出して大勢来た方へついて行くと。・・私は情けなく思います・・そういう僧侶は信心が足らない・・人が原稿をつくってパラパラと唯読んで・・誠に情けな
い・・少なくともこの1月13日には、御書を読むだけでもよいから、そういうことをやめてもらいたい」
- 1979.1.26
- 院達2971号 海外における宗教活動に関する件
- 1979.1.28
- 檀徒第二回大会(大講堂) 5500人
「・・まだまだある僧侶はいかに今まで間違った教義を宣伝されておっても、今だに平気な顔をしておる僧侶もあります。しかし、一応これからの僧侶も日蓮正
宗の僧侶としておる以上、私はただ大きな心において、それの身を守り又、正宗の一つの団体の僧侶として守っておるのであります。・・今後できるだけ間違っ
た教義だけをどこまでも追求して正宗の七百年来の大聖人の御本意である広布流布を正しい道において守ってもらいたいと思います」
- 1979.2.3
- 九州記念幹部会(鹿児島・九州研修道場)
池田指導「…ここで当然、永久に忘れてならないことは、私どもの信仰の根本道場は、戒壇の大御本尊まします総本山が中心であるということである。また、血脈付法の御法主上人現下の大慈悲を仰ぎ奉りながら進んでいかねばならないということである…」(聖教S54・2・3)
この日の聖教社説
「ICCR
(インド文化関係評議会)の招へいによるもので、民間次元での教育・学術・文化の交流を深めることを目的にした公式訪間である。その出発にあたり、一路平
安の実り多き旅となることを祈りたい。思いおこせば十八年前―
一九六一年二月に池田会長は、御宗門の御法主日達上人貌下を御案内申し上げ、釈尊成道の地プダガヤを訪れて東洋の平和交流の第一歩をしるしたのであった」
- 1979.2.14
- 2月度県長懇談会(東京・広宣会館)
過去の過ち言及
北條「十一・七は、我々の信仰の根本である戒壇の大御本尊まします総本山大石寺において、血脈付法の御法主日達上人貌下のご臨席をあおいで、我が学会が過
去の行き過ぎは是正し、改めるべきは改めることを誓ったものである。それは、恒久的な僧俗和合へ向けての学会の信心の基本姿勢を示したものである。各幹部
とも、この原点を忘れてはならない」(聖教S54・2・16)
- 1979.2.20
- 宗務院、院第2977号
特別御形木御本尊に関する件
- 1979.2.23
- 第一回東京檀徒決起大会(妙真寺)
- 1979.2.23
- 聖教 血脈、会長本仏化の誤りの諸問題について
「法体の血脈相承は『身延相承書』に『血脈の次第 日蓮日興』と仰せのごとく、第二祖日興上人にすべて受け継が
れ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところである……故に、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくこ
とが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となる……歴代会長を折伏弘教、広宣流布の指導者として尊敬し、またさまざ
まの指導をうけ、心からの信頼を寄せていることは、会員の自然の心情である。そのことを宣揚するあまり、あたかも大聖人と等しいがごとく受け止められる過
大な言葉や表現を用いることは、厳重に慎まなければならない……日蓮大聖人の法義は、深遠かつ厳正なものであります。したがつて、日蓮大聖人の根本の教義
に関する仏法用語を使用する場合は、かならずその大前提をふまえねばなりません。そのほか、たとえば、在在諸仏土常与師倶生とか、如来如実知見とか、大導
師とか、本来、仏にのみ用いる言葉を私どもの立場にあてはめることは、厳に慎むべきでありましよう」(聖教S54・2・23)
- 1979.2.28
- 小田原文化会館開館記念勤行会(神奈川)
池田指導「いうまでもなく、私達の信仰の根本道場は総本山であり、信仰の根本は戒壇の大御本尊である。どうかその根本をしっかり銘記し日蓮正宗を守り、また学会を愛し、自分自身を大切にしながら、信心勝利の人生を毅然として歩んでいただきたい」(聖教S54・3・2)
- 1979.3.6
- 福島副会長 大牟田発言
1.本山の経営状態よくなったので登山の削減を図った。それが兵糧攻めと僧侶にとられた。
2.研修所等においては宿泊費取らない。本山は旅館業で収入がある。
3.墓地問題で御本尊を抵当に入れたり、カツラをかぶって酒を飲みに行く坊主がいた。そんな坊主に我慢できず青年部と共につるし上げをした。
4.本山において池だ先生がいれば皆ワッと寄ってくる。猊下が通っても、どこのおじいさんだという感覚しかない。
5.これは副会長全員の考えである。
(「人間革命」は現代の御書、池田本仏論・・・などで問題発言)
福島氏がこのような発言を行った裏には、池田氏の師弟観が存在するが、この発言によって、立場を悪くした池田氏は福島氏を全ての役職から解任、学会関連企業に左遷させる。
数年後、原島、山崎らが造反したため、池田氏は福島氏に対し、反論本を書くよう命じるが約束は反古となる。それに伴い、福島氏は池田の教義違背の念を強くし、数度、書面により池田氏に諫言を行う。
- 1979.3.7
- 聖教 「日蓮正宗の行事―やさしい解説―」連載開始
「現在、各地では『教学教典』を教材に日蓮正宗の伝統法義の学習に力を注ぐとともに『6・30』『11・7』の内容を通して、信心の基本を正しく習得すべ
く真剣な努力を重ねている。それらとあわせて、今回の新連載から正宗の歴史、修行の正しい在り方を、それぞれが学び合っていきたいものである」(聖教
S54・3・7)
- 1979.3.12
- 福島発言に質問状
庶務部長 藤本栄道師、3.6福島発言の中、僧侶がカツラを被って飲みに行った件につき、その僧侶の氏名、場所、日時についての質問状を創価学会に出す。
- 1979.3.13
- 内事部 3.6福島発言に質問状
創価学会に抗議並質問状を出す。
- 1979.3.15
- 内事部 讃岐本門寺での幹部発言について抗議状出す
- 1979.3.15
- 蓮生寺住職・菅野憲道師、創価学会に公開質問状を出す
「12、貴殿らは大聖人における戒をどのように考えているか」
「13、私の論文に対し、広布研究なる悪書をバラまいたが、公場において論争しようではないか」
「14、池田会長が生死一大事血脈抄講義で、創価学会仏と云っているが、如何なる御書、如何なる経文にでて、如何なる仏なのか」等、14項目
- 1979.3.16
- 創価中学高校教職員組合 池田大作に公開質問状を出す
同
- 1979.3.16
- 聖教 法体・化儀連綿の御僧侶の大功績
「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人視下であらせられる。
したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならない…」(聖教S54・3・16)
- 1979.3.25
- 秋谷、辻 猊下に直接回答(本山)
- 1979.3.31
- 法華講連合緊急理事会
池田の総講頭辞任勧告を決議
1.昨年11.7で正宗の教義逸脱をわび誤りの訂正を約束したが、今日に至るまで学会員に周知徹底することもなく、未だに宗門を騒がせている。
2.11.7の謝罪表明は「法華講総講頭」としての謝罪だが、教義歪曲は単に創価学会の責任であり、法華講にとっては迷惑。
3.学会の体質改善もできぬ人物の傘下にあるのは忍びがたい。以上
-
- 第18回妙観会(大講堂)
「・・決して我々宗門としては、学会をつぶそうとか、どうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして、長い間において学会が、宗門の法義の
上において間違ってきてしまった、それを指摘して何とか直して、昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい、と思うが故でございます。長い間学会はよ
く宗門のために尽くして下さいました。その功績は大きいのであります、しかし功績が大きいからといって、教義が間違い宗門と逸脱してしまえば、何にも役に
立ちません・・どこでも、たとえ会長であろうが副会長であろうが、間違ったことを言ったならば、どんどん指摘していかなければ、これからは日蓮正宗の僧侶
ではない・・学会が昔よく宗門に尽くしてくれたその恩に報いるためにやるのである・・」(大日蓮398)
- 1979.4.2
- 内事部 3.24の学会の回答を不満として再回答を求める
- 1979.4.6
- 宗務院、院第2998号
創価学会に関する件
- 1979.4.8
- 北条理事長 聖教紙上で3.6福島発言を陳謝
「昨年来、法義を遵守し、信徒団体としての在り方を正す指導を徹底して進めていることは、ご承知の通りであります。ところで、こうした学会の基本方針と努
力にもかかわらず、いまだそれが十分に徹底していない地域や組織があることは、まことに残念なことであります。なかでも、三月初旬の大牟田会館での福島副
会長の発言や、四国讃岐・本門寺周辺の幹部の言動については、宗務院並びに内事部より文書で具体的な指摘を受けました。ことに、大牟田での発言は、信徒に
あるまじき不穏当、不謹慎なものであり、発言者の立場をあわせ考え、まことに遺憾なことであります。御法主上人貌下並びに御宗門の先生方に深くお詫び申し
上げるとともに、本部として、今後、このようなことが再び起きないように、必要な措置を十分講ずることを明言いたします」(聖教S54・4・8)
- 1979.4.14
- 神奈川文化会館落成開館記念勤行会(神奈川)
池田「…幾度か申し上げてきた『6.30』『11.7』の基本精神は、私どもにとっての信心の根本であるゆえに今後もさらにさらに、一人ももれなく指導、徹底を私は心からお願いしたいものである。御本仏・日蓮大聖人の血脈は第二祖日興上人へ、そして代々の御法主上人そして唯授一人・法水潟瓶の現御法主日達上人猊下へと受け継がれていることをけっして忘れてはならない。私をはじめ私どもは、すべて平凡な人間であり、大聖人の信者なのである。どうか、この点も厳とふまえた指導、徹底を重ねてお願いしたい……御宗門と私どもは、永遠に和合でなくてはならない。もし、そうでなければ、これほど不幸なことはない。また、全信徒が異体同心でなければ広宣流布の万事を成ずることはできないのである。それが大聖人の仰せであられる。あくまでも外護の精神で御僧侶を大切に尊敬していかなければならない…」(聖教S54・4・1)
- 1979.4.22
- 池田 日蓮正宗総講頭を辞任を申し出
- 1979.4.23
- 早瀬日慈師、任期満了につき総監退任
- 1979.4.24
- 池田 会長を勇退
池田氏 学会問題の責任を取り会長を辞任し名誉会長となる。北條 浩 創価学会第4代会長に就任
教義逸脱について謝罪(会長辞任の記者会見)
➡ある日の出来事
幹部たちがソバ屋から出前を取り、池田氏はうどんの丼に大量の七味唐辛子をいれ、それを北条会長に食べさせた。北条は「おいしいですね」言いながら汗をビッショリかきながらたいらげた。
- 1979.4.25
- 新会則を制定 「最高教導会議」設置
各地に「僧俗協議会」
「このほど、本部に『最高教導会議』が新設されたのにともない、日蓮正宗全国布教区単位に『僧俗協議会』が設けられることになった。これには、宗務支院長
および副支院長が出席するほか、学会から県長をはじめとする県幹部らが出席、地域ごとの僧俗間の問題について、具体的に話し合うことになった」(聖教
S54・4・26)
-
- 第235回本部幹部会(東京・広宣会館)
北條「不肖私が第四代会長ということになりましたが、まことに大任で、弱っております。一数年前から『次はあなた達が力を合わせて、学会を推進していくの
だから、すべてにわたって力を磨いていくように』といわれてまいりましたが、心の中では、先生にはずっと会長をやつていただくんだと思い、また、やめられ
ることがないように願ってまいりました。しかし、今回の先生の決意は非常に固かったのです。七つの鐘という時を、固く心に期しておられたのでありました。
『いつまでも私を頼りにしてはいけない』と日ごろ言われてきました。また、私達も『先生ご安心ください。私達がおりますから』と大きなことも言ってまいり
ました。今やその時が来てしまったのであります。まことに非力な、なんのとり
えもない私で、到底この大任には耐えられるとは思いませんが、総務会の決定でこうなってしまいました以上、皆さま方のご支援をいただいて、諸先輩のお力も
得て、会員の皆さまのために、全力をあげてつくしていこうと思っておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。」 (聖教S54・4・27)
森田「…新しい体制について、ごく簡単に申し上げたいと思います。今回、宗教法人法に基づく規則の改正を行い、新しい会則を制定いたしました。詳
しくはすでに聖教新聞に掲載されておりますので、それをよく読んでいただきたいと思います。この会則は、いわば会の憲法のようなものであり、会の運営は、
一切これに基づいて進められていきます。その趣旨は、皆で合議し、納得しあって進め、会員の皆さんが安心して、さわやかに活動できるためのものでありま
す。まず、日蓮正宗の御法主上人の指南に則り、教義の厳正を保持し、それに基づく指導を図るために最高教導会議が設けられました。この会議によって僧俗の
理想的な和合の姿を、恒常的に実現したいと念願しております…」 (聖教S54・4・27)
- 1979.4.26
- 池田氏 学会問題の責任を取り法華講総講頭を辞任
「池田名誉会長は二十六日午後、総本山大石寺に参詣し、午後一時半から御法主日達上人猊下にお目通りした。そのさい名誉会長は御法主上人に法華講総講頭の
辞表を提出申し上げた。御法主上人からは、宗門の現在の隆盛をもたらした永年の功労に対するねぎらいとともに、今後も外護を願いたい旨御言葉があり、名誉
総講頭の辞令を賜った。名誉会長は、この深い御法主上人の御慈悲を拝し、なおいっそうのご奉公をさせていただく旨申し上げた。そのあと僧俗和合の未来につ
いて、いろいろな角度から懇談しご指南を賜った」 (聖教S54・4・28)【資料】➡
-
- 日達猊下より法華講名誉総講頭の辞令を賜る
-
- 聖教・7つの鐘総仕上げ記念幹部会
北条会長「私のことを先生と呼ばないで下さい」
- 1979.4.28
- 宗門 教師代表会議で今回の学会の問題について説明
「4月26日、池田大作総講頭が、辞任願いを持ってまいりまして、ですから、こちらも宗規に則って、総講頭を辞任した場合は名誉総講頭に置く、という規定
のもとに名誉総講頭の名前を贈っておきました。それから、さっそく向こうで26日に学会の規則を作り、また自分も会長を辞め、すぐに北條氏を次期会長とし
て上がるようにする。そういうわけで、会長もその方面のことを解決したと、まあ会長を辞めて一切の責務を退くと、今後はそういうことに口を出さないし、ま
た、常に噂されている院政ついうようなことを絶対にしない、ということを表明しておりました。宗門としては、それで、いちおう解決したものと見ておりま
す」大日蓮400号
これによって、宗門内の学会の姿勢を糾す活動家僧侶たちも様子を見ることとなる。
- 1979.4.28
- 教師代表者会議(総本山)北條ら出席
「北条会長は、この日のお目通りのさい、御法主日達上人猊下にお誓い申し上げたごとく、日蓮正宗の法義を厳正に守り、御宗門を外護し奉り、広宣流布のために全力をあげていきたいと、抱負をまじえてあいさつ……質疑の中で、創価学会版経本問題について検討……今後、学会版経本についての使用を、御観念文を含めてやめ、大石寺蔵版に限ることに決定」(聖教S54・4・30)
- 1979.4.28
- 聖教新聞社説
「顧みるに今日、御宗門におかれては七百年史上、未曽有の興隆発展の姿を示し、世界にも九十数か国にわたって、妙法を唱える信徒が誕生している。ひとえに御法主日達上人猊下の御威徳の賜と拝する」
- 2012年12月31日
- 日蓮正宗全国檀徒新聞「継命」創刊。猊下命名
- 1979.5.1
- 宗務院、院第3018号
日達猊下御指南
①御講等に於いては、御書による教義以外の説法は固く禁ずる。従来、しばしばこれについての通達があるにもかかわらず、乱れが見られたが自今以後は厳しく自誡せられたい
②創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する。上
記について、今日以後これに違背する者は処分も辞さないことになるので、厳重に御注意願います。以上」(大日蓮400号)
- 1979.5.3
- 第40回本部幹部会(創価大学体育館)
池田名誉会長指導
本宗における厳粛なる法水潟瓶唯授一人の血脈は、法燈連綿と代々の御法主上人に受け継がれており、御法主上人の御内証を御本仏日蓮大聖人と拝すべきであると
強調。そしてこ戸田城聖先生逝いて二十一年。ここに創価学会創立四十九年。学会第一期の目標である。“七つの鐘”を打ち鳴らしたことによって、ひとまず私
は、牧口常三郎先生、戸田城聖先生の遺言は、皆様方の絶大なるお力を得て、私の代としては、ことごとく遂行したことを確信いたします」と語る。(『年譜 池田大作』➡)
日達上人 僧俗和合協調をご指南
「この数年間、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び
秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。 」
- 1979.5.7
- 阿部信雄師 総監に任ぜられる
- 1979.5.8
- 学会中級登用試験の解説
「軍部や政府による合同問題で、宗門は、僧俗護法会議を開き、合同不参加を決議し正統正義が守られた」聖教5/8付
- 1979.5.11
- 「中級登用試験へ向けて」辻副会長談
「日蓮正宗の歴史と歴代の御法主上人のご事績等は、正宗信徒として知っておかなければならない基本……僧俗和合して進む以外に広宣流布はない……私達が御本尊を信受できるのも代々の御法主上人が一点のくもりもなく大聖人の仏法の法灯を受け継がれたからである……多くの弾圧や迫害に耐えてきた日蓮正宗の歴史を学べば学ぶほど、私も″ありがたい″という気持ちでいっぱいになる。中級登用試験を目指していくなかで6・30、11・7の精神をより深く再確認していってほしい」聖教5/11付
- 1979.5.14
- 細井日達殿は速やかに猊下を退くべしの怪文書(京橋消印)
大講頭任命
北条浩 森田一哉 和泉覚 辻武寿 秋谷栄之助 山崎正友 佐藤悦三郎
- 1979.5.15
- NST(日蓮正宗寺院)がアメリカ・カリフォルニア州から認知される(理事長・菅野慈雲師)
- 1979.5.18
- 「登山会・参詣の心構えについて」辻副会長談
「私は総本山に参詣するたびに、いつも『須弥山に近づく鳥は金色となるなり』の御金言を″なるほど、そうだな―″と思っております。我が身の生命が洗われ
て、境涯が大きく開き、福運が積まれていくことを心から感じています。生涯の間に、 一回でも多く総本山に参詣し、大御本尊にお目通りすることの重要さを
ひしひしと痛感しております」聖教5/18付
- 1979.5.21
- 急G代表×野崎、溝口、八尋会談(妙真寺)
- 1979.5.21
- 内事部、通達第2号
◇御本尊のお取扱い等に関する件
-
- 池田氏 最高幹部を引き締め(学会を私物化)
「創価学会は俺そのものだ。私が創価学会の魂だ。お前たちは、私の全財産をただ預かっているに過ぎないのだから、『一時お預かりいたします』という一札を書くべきだ。また、私を“永遠の師”と仰いでいく、ということも、誓約したらどうか」と言い誓約書を書かせる。
婦人部幹部に
「今回辞任した理由は、対外的、とくに宗門にたいする建前である。私は頭がよいだろう、うまくいったんだよ。皆、心配することはないよ」と語る。
-
- 『大白蓮華』臨時増刊号
「日蓮正宗の授戒の意義について述べれば、本門戒壇の大御本尊を受持することが末法の戒であり、爾前迹門等の邪法邪義の謗法を捨て、三大秘法の正法正義を純真に信受する決意を誓う、厳粛な入信の儀式が、正宗の授戒の儀式です」
-
- 池田ら ペン社弁護士と会食
池田、北条、山崎が信濃町の料亭「光亭」でペン社側重富弁護士と会食。
この会食によって、裁判の水面下で双方が裏取引き。池田が出廷しないよう働きかけたことが推察でき、後日、学会は告訴状を取り下げ「寛大な裁判」を望むと上申書を提出。
- 1979.5.29
- 宗門 第21回寺族同心会の砌
「昨年来、学会といろいろのいきさつがございましたが、本年になって前会長池田大作氏が辞任せられ、北条浩氏が新しい会長となり、また執行部が替わることになりまして、それに準じて宗門と学会との間でよく話し合いをしようということになりました。(中略)学会が正しく日蓮正宗の教義を守り、正しい信心をして、また世間の人を折伏していくのならば、我々はそれに準じて、どこまでも学会を守り、学会を信徒団体として受け入れていかなければならないのでありますから、ここしばらく様子を見なければならないと思うのであります」
- 1979.5.30
- 宗務院、院第3037号
「先に院第三〇一八号をもって通達いたしました二項目の件のうち、『②創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受
け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する』との件は、単に教師僧侶に対するのみでなく、広く法華講・檀徒をも対象とするものである
ので、教師僧侶各位には、よろしく御承知の上、所属の法華講・檀徒全員へこの旨を指導徹底せられるよう願います。右記の通り通達いたします」(大日蓮
401)
「地方協議会」に関する件
「このたび、地域における僧侶と創価学会との間の僧俗和合、広宣流布の推進をはかるために全国の布教区にそれぞれ『地方協議会』を設置し、適時開催して話し合って行くことになりました」(大日蓮401)
- 1979.6.2
- 聖教 本部指導通達第1号
1.御本尊のお取り扱いを厳格に
2.指導上の基本について
三宝を敬い宗門を外護
- 1979.6.7
- 聖教 広布部員について
森田理事長インタビュー
入信1年以上、信心の確かな人。原則として満20才以上、個人単位。広布部員の寄付は広く広布流布の為に(全国開館等の建設、整備費、会を管理運営していくため--法人運営費)また宗門に対する御供養・大学・学園等その他公益団体への寄付など。毎年の決算報告は宗教法人法に基づき責任役員会議、総務会に逐一報告、承認を受ける。
➡財務は学会本部だけではなく、傘下団体へも自動的に使われる。
- 1979.6.30
- 再び活動家僧侶がエキサイト
一斉に御講などで学会批判を展開
- 1979.7.7
- 渡辺広済、佐々木秀明、山口法興、丸岡文乗ら秋谷らと会談(東京・妙真寺)
- 1979.7.14
- 学会男子部会合で一幹部が
再来年の日蓮大聖人700遠忌までに日達は必ず退位する。そのあとは阿部がやることになっている。その時こそ池田先生が復権するとき。北条なんかメじゃない。(週刊文春 8/2号)
- 1979.7.17
- 妙流寺御親教
「仏教では『恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なり』と法華経に説いております。今までかわいがられた、あるいは育てられたという恩を捨てて、真実
の法を求めてこそ自分の父なり師匠なりを導くことになるということであります。よく学会の人が間違ったことを言いますね。『師匠が地獄へ行ったら自分も行っても良い』という考えは大変な間違いであります。よ
く考えなければいけません。そのような考えは、人を信じて法を信じないということであります。もしも師匠が地獄へ堕ちたならば、自分が本当の信心によって
救ってやろうということこそ師匠に対する報恩であります。それを間違ってはいけないのでございます。それでこそ『無為』すなわち真実の道に入る者であり、
真実に思を報ずる者であると仏様が定められておるのであります」日達上人
➡池田の折に触れた言動に対する御指南
- 1979.7.19
- 宗務院と学会の連絡会議(総本山)
一、信徒名簿作成の件
二、派遣幹部の所属寺院について
三、祭りと謗法厳誠について
四、常住御本尊の感得願について
五、特別御形木御本尊
六、お経本について
七、お経本のふりがなについて
八、念珠の御開眼について
九、勤行の鈴の打ち方について
十、聖教新聞について
十一、六・三十、十一・七の指導徹底について
十二、檀徒・学会員のトラブルについて
十三、総代の選定方法について」
(院第3063) (聖教54・7・2)
- 1979.7.22
- 日達上人 御遷化
日達仮通夜(総本山)
緊急重役会席上 阿部信雄師に血脈相承の内承を発表(本山能化室)
「御通夜の席上、葬儀委員長である椎名法英重役より重大発表があり阿部総監が総本山第六十七世の新法主に就かれることになった。同重役の発表によれば、二
十二日午前十一時十分から阿部総監を議長に、緊急重役会議が開催され、日達上人の御遷化にともなう緊急の協議が行われた。その席上、昨年四月十五日、阿部
総監に日達上人から内々に御相承の儀に就いて御言葉があり、甚深の御法門の御指南を賜った旨明かされた。ここに阿部日顕新法主上人のもと僧俗和合、一致団
結し広布の大目的に進みゆくことになった」(大日蓮403)
-
- 日顕上人 第67世御法主に登座
日顕上人 第67世総本山法主並びに日蓮正宗管長に就任される。
- 1979.7.23
- 日達上人御通夜
聖教寸鉄「法水潟瓶して 正法正義の清流は 万代までも流れゆく 我らが広宣流布の前進もまた」(聖教54・7・23)
- 1979.7.24
- 日達上人御密葬
渡辺広済、佐々木秀明、山口法興、丸岡文乗、足立堅泉、日顕猊下にお目通り(総本山)
阿部「…第3回檀徒大会、日達上人の約束だから許す、ゆるやかにやれ…」(歩み)
-
- 学会 新法主への赤誠誓う
聖教社説「愛宗護法の精神を胸に前進」
「今、我々は、歴代会長が身をもって示してきた愛宗護法、宗門外護こそ学会精神の第一義であることを深く銘記し、阿部日顕新御法主上人へも、変わらぬ赤誠
の御奉公を尽くしていくことを誓い合いたい。それが不減の滅を現じられた御法主日達上人への御報恩の道である」(聖教54・7・24)
聖教「寸鉄」
「新法主上人に阿部総監 愛宗護法こそ学会精神の第一義 変わらぬ赤誠の御奉公誓わん」(聖教54・7・24)
- 1979.8.1
- 継命第3号発刊
継命レポート
「御本尊ごと売られた結婚式場目黒文化会館!」
「長年、学会員に親しまれ、いまもなお馴染みの深い″目黒文化会館〃が、いつの間に、御本尊ごと売却され、学会とは無関係?の結婚式場になっている…。に
もかかわらず、式次第の勤行は学会幹部の導師で行っていることが判明し、宗門無視の、この恐るべき事実に、地元学会員や檀徒も驚き、早くもマスコミに報道
され、またしても学会の大謗法が明るみに出た」(継命54・8・1)
- 1979.8.6
- 御座替式(総本山)
日顕猊下「…私こと、先に総本山第六十六世日達上人より血脈付法をお受け申し上げておりまして、そのことをありのままに今回、御遷化にあたりまして発表を
申し上げたしだいでございます。今にして拝しまするならば、日達上人貌下には兼知未萌の大智をもたれまして、ご自身の生涯における一切の事柄をかねてご冥
鑑あそばされ、そのうえから、このご処置を賜ったものと拝察したてまつるのでございます。ゆえに皆様におかれましても、このたびのことは、ことごとく先師
日達上人貌下の御意のままに運ばれたことであることを、深く信ずることが大切と存ずるものでございます……さらには、創価学会、法華講の各棟梁、信徒の幹
部の方々にもなにとぞ総本山の護持、ならびに末寺の護持をよろしくお願いするしだいでございます…」(大日蓮403) (聖教54・8・8)
-
- 池田氏
「法水潟瓶、法灯連綿の尊厳なる儀式に参列できえた喜びを述べるとともに、今、万感の思いで、日顕上人貌下のお姿を、拝し奉る旨を語った。また、凡愚の思
慮で恐れ多いことではあるが、かつて日顕上人御尊父であられた総本山第六十世日開上人の御時、宗祖六百五十遠忌が奉修せられ、時移り、このたびは、御法主
日顕上人のもと、宗祖第七百遠忌を僧俗和合をもって迎えんとしている姿に、不思議な妙法の因縁を実感する、と述べた。さらに、日顕上人の御威徳のもと、ま
た無量の御思を賜った第六十六世日達上人の御高恩に報ずるためにも、いよいよ広宣流布の大願業に力を尽くしていく覚悟であると語るとともに、御法主日顕上
人に御奉公の赤誠を尽くすことを固くお誓いし、祝辞を結んだ」(聖教54・8・8)
- 1979.8.7
- 日達上人御本葬
- 1979.8.8
- 日達上人御逮夜法要
- 1979.8.9
- 日達上人御正当会・墓参
- 1979.8.11
- 聖教社説「新御法主のもと愛宗護法の前進」
「御葬儀が、荘厳のなかにつつがなく進められる一方、七月二十二日の御密葬・御通夜の席上、椎名重役から重大発表があり、昨年四月、阿部総監に日達上人よ
り御相承の儀に就いて御言葉があり、甚深の御法門の御指南を賜った旨が明かされたのである。ここに宗門は新御法主日顕上人のもと僧俗和合、一致団結して大
法広布へ邁進することになり、日達上人御遷化の悲しみのなかにも、未来広宣流布への御報恩の重要な一歩がしるされたのであつた。さらに、六日には御本葬・
御通夜に先立って総本山第六十七世御法主日顕上人の御座替式が厳粛かつ荘厳裏に執り行われ、法灯連綿の峻厳なる儀式に、参列者一同、正法外護のいっそうの
御奉公をお誓い申し上げたのである……日顕上人には御座替式において御言葉を賜り、宗祖大聖人第七百遠忌をあと二年にひかえての重大な時、僧俗が真に一丸
となり一致団結して、大聖人の仏法の護持興隆、広宣流布に邁進することが、もっとも肝要である旨、御指南されている。我々は、あいがたき宗祖日蓮大聖人第
七百遠忌を前に、愛宗護法の赤誠をもって日顕上人現下に御奉公いたし、宗門隆昌のつち音いやますなかに、晴れの大浄業をお迎えいたそうではないか」(聖教
54・8・11)
- 1979.8.16
- 第239回本部幹部会(埼玉文化会館)
北條会長「(日達上人)御遷化の悲しみのなかにあって、御遷化当日の夜の御通夜の席上、椎名重役から重大発表があった。すなわち昨年四月に日達上人より阿部総監に御相承の儀について御言葉があり、甚深の御法門の御指南を賜った旨が明らかにされたのである。こ
こに宗門は新御法主日顕上人のもと僧俗和合、一致団結して大法広布へ邁進することになり、六日には、総本山第六十七世御法主日顕上人の御座替式が厳粛に執
り行われた……新御法主日顕上人の御指南のままに今こそ僧俗和合、一致団結して広宣流布に邁進することを心よりお誓い申し上げたい…」(聖教54・8・
18)
- 1979.8.16
- 週刊サンケイ 柴田瑞穂手記
「死んでも言いたくなかった真実・池田前会長はなぜ御本尊を偽造したのか」
- 1979.8.20
- 週刊サンケイ 柴田瑞穂手記2
「日達上人を徹底的に無視した池田前会長の罪」
- 1979.8.22
- 聖教「法体の血脈と信心の血脈の違い」について
「昨年の六月三十日に発表された『教学上の基本問題について』は御宗門からの御指摘を受けた教学上の問題について、学会として明確にしたものであり、さら
に徹底して学習して深化していかなければなりません。そこで、御指摘の要旨とあわせて、これを毎週この欄で連載してまいります」(聖教54・8・22)
- 1979.8.24
- アメリカ合衆国公法人・日蓮正宗寺院(NST)設立記念法要(恵日山妙法寺)
- 1979.8.25-26
- 第3回全国檀徒会
「大会は、丸岡文乗師の力強い開会の辞によってその幕が切っておとされた。丸岡師は、御法主日顕上人貌下の大慈悲のもと総本山において第三回総会が盛大に
開催される喜びを述べ、同時に昭和五十二年以来、正信覚醒運動を見守りはぐくまれた日達上人貌下の御遷化に、深い奉悼の言葉を捧げた。ここで、御法主上人
貌下より御説法を賜った。次に、佐々木秀明師より現況報告。四月以降の池田会長辞任に端を発し、数回に亘る学会代表との会談と遅々として進まぬ学会の改
善、未だに出てくる謗法逸脱行為、幹部発言等をとりあげて説明。次いで「善と悪」と題して児玉大光師の講演。今日に至る創価学会の教義逸脱、大謗法は池田
氏唯一人の錯覚から始まったものであり、池田氏の心からの懺悔がない限り、善悪共に救うという大聖人の仏法の大慈悲の立場から、更に正信覚醒を展開してい
こうと訴えた。檀徒代表決意を応身寺講頭。池谷甲一氏、法遊寺講頭。平山弘作氏が行なう。ここで、渡辺広済師が講演。最後に、荻原昭謙師が諸注意として今
後の檀徒のとるべき信心姿勢について指導。諸注意に加えて荻原師は、創価学会の犯した日に余る大謗法の数々、その大謗法を隠しつ゛つけ、己が権力、組織を
守らんが為、大聖人の仏法を壊乱するに至ってはもはや、本末転倒、この法人は百害あって一利無し、と指摘し、今こそ根本解決の時であり、『真の広宣流布を
致す真実の法華講衆はいずこにありや、今こそ地涌の本書属出でよ!』と法華講、檀徒一同の一大奮起を促した。丸岡師の閉会の辞で大会は閉幕した」(第3回
日蓮正宗全国檀徒総会紀要)
- 1979.8.31
- 週刊サンケイ 柴田瑞穂手記3
「密かに画策されていた池田教創価王国構想」
- 1979.9.1
- 継命第5号発刊
1.日達上人の御本尊並びに日顕上人のお座替り法要
2.最高幹部Z氏の投書
○池田前会長の復権工策
○創価学会インターナショナル会長が日蓮正宗を名乗る信徒の上に立つ矛盾
○あわれな男「N」を非難する
3.人間革命(VOL.10)の山本伸一のうそ(蓮華生)
4.松永論文(大学新報に反論)
-
- 活動家僧侶ビラ撒き
「日蓮正宗の信心をしつつ公明党を支持しなければ罰が当たると思われている皆さんへ」のビラを宗内に配る
- 1979.9.4
- 聖教「登山会とは」
「登山者の心構え『登山会』とは、総本山大石寺に参詣し、弘安二年十月十二日に日蓮大聖人が末法の全世界の民衆を救済されるために御建立された本門戒壇の大御本尊にお目通りすることが目的です……
①戒壇の大御本尊にご内拝いただけたことを報恩感謝し、また、御本仏。日蓮大聖人にお会いする心で大聖人の仏恩に対し、心から報思感謝し、また七百年正しき法水を持たれた僧宝日興上人並びに伝法日目上人以下歴代の御法主上人に御報恩感謝申し上げることです……日蓮正宗の信徒として、信仰の根本である大御本尊のおわします″生命の故郷〃ともいうべき総本山へ参詣できることに、深い感謝と決意の一念をもって『登山会』に参加していきたいものです」(聖教54・9・4)
- 1979.9.10
- 池田、原島教学部長と懇談
「午後、池田名誉会長から、聖教新聞社の特別ロビーの一室に呼ばれた。そこには、私以外に、鈴木第一庶務室長、末定教育部長も居合わせていた。冒頭、名誉
会長は『あのね、今、呼んだのは、日顕上人が、四悉檀のことを述べ、学会が間違っているといつているんだ。学会の行き方が間違っているのかね』と尋ねた。
私は、名誉会長の心を満足させるように、『いえ、間違っておりません。正像と末法とを相対した時は、末法は折伏であり、正像は摂受ですから、末法は、第一
義、対治悉檀を根本とするべきであることは当然です。
しかし、その折伏の上に立って四悉檀は必要です。大聖人も「予が法門は四悉檀を心に懸けたる法門なれば」と仰せです』と答えたのである。その他、四悉檀
に関連して、その内容や、摂受、折伏のこと等について私は語った。『そうだろう、学会は正しいだろう』とも、その間名誉会長は語ったのである。
池田名誉会長は、最後に一言『そういうことも書いておくんだな』とポツンと言ったのである。そのあとコーヒー店に行き、再び社の特別ロビーで語ったこと
は『学会の方が宗門より大事だ』『僧侶が折伏をやらないのは謗法だ』『宗門の言っていることは、揚げ足とりで、根本ではない、枝葉末節である』『日達上人
と現貌下と比較すれば日達上人の方が信心があった。現猊下の方が信心がない。ただ晩年、日達上人は、若手僧侶に乗せられてしまった』と語った。また『七十
七歳で死ぬとは誰も思わなかった、君も思ったか』と尋ねられたのである」(池田先生への手紙)
- 1979.9.12
- 聖教「6・30教学上の基本問題について④」
″獄中の悟達″は本仏の自覚に非ず(聖教54.9.12)
- 1979.9中旬
- 山崎正友 山口師へ「特別財務返還の訴状」の原案を出す
- 1979.9.19
- 聖教「6・30教学上の基本問題について⑤」
″会長本仏論″は誤り(聖教54.9.19)
➡会内に本仏論が流布されていた証拠
- 1979.9.23
- 佐々木秀明・児玉大光、北條・平井庶務局長と会談(大分・寿福寺)
「池田さんに、“これまで本山との経緯は種々ありましたが昭和五十二年に集約した学会路線は、私が引いた謗法の路線でありました”と、 ハッキリ明言して貰いたい。そ
の明言されたことを、このように言ったと他人には吹聴しません。お互いの信義の為にも、又あれだけの人ですし……。今更、聖教新聞に″謗法であった〃等と
おっしゃらなくても結構です。あなた方も、そこ迄池田さんが追い込まれるのは執行部として忍びないでしょう。そして明言された態度を我々が確認した上で、
しばらく様子を見ましょう。それだけの余裕は我々にもございます。そのようにして下さい、と念を押したら、北條さんは『ではそのように取り計ってみましょう』というところで、会談は終了した」(佐々木秀明メモ) (正信覚醒運動の歩み)日蓮正宗全国檀徒登山推進委員会「第3回日蓮正宗全国檀徒総会紀要」発刊(刊記)
- 1979.9.27
- 第4回九州檀徒総会
- 1979.10.1
- 元学会員から寄付金返還訴訟を起こされる
日達猊下の「学会はご供養を集める資格はない」との言葉にしたがって、昭和50年から52年にかけて集めた金(総額2,705万円)の返還を求め元学会員412名が提訴
- 1979.10.1
- 「池田大作言行録」第1回公判
社長会メンバー・木村靖氏の処分申請の報告書を取り下げる
- 1979.10.7
- 衆院選で58名が当選
- 1979.10.8
- 宗務院通達
- 1979.10.12
- 聖教 北条会長 院達に随順の談話発表
北条会長 本部全体会議での発言
「創価学会は池田センセイあっての組織である。したがって本部職員は、池田センセイのもとに、誠心誠意、ご奉公していかねばならない。この学会本部全てが池田センセイのものである。と自覚するならば、一銭たりとも無駄に使ってはならない。君たちの使用するエンピツ一本までセンセイの物である。そのように心得よ!」
- 1979.10.17
- 関東地区檀徒代表者大会
運動方針
1.正信覚醒運動は従来と変わることなく、一層強力に推進していく
2.来年8月の第5回檀徒総会までに、檀徒を倍増しよう
3.機関紙「継命」の有効な活用を図ろう。
そのために座談会や折伏などに積極的活用をしよう。
- 1979.10.19
- 「池田大作言行録」第2回公判
- 1979.10.20
- 6・30教学上の基本問題について
「『僧宝は僧侶を意味するものではなく、今日における僧宝は創価学会であると述べた人がいますが、これは正宗の法義からの逸脱だと思います』『僧
宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長(編注・池田三代会長)も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下
であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならな
い。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方をしてはならない……『創価仏法とは何ですか。日蓮正宗の仏法の外にあるのですか』学会は、実践の教学として社会に仏法を応用展開してきたが、それを急ぐあまり、宗門伝統の教学に対し、配慮のいたらない部分があった。この点は、今後十分留意していきたい」(聖教54・10・20)
- 1979.11.9
- 聖教・お題目の商標登録について釈明
「問い――創価学会が南無妙法蓮華経を商標登録したことについて、一部で取りざたされていますが、その真実の背景について教えて下さい
答え――折から正本堂の落慶をひかえ、これに関連した商品が数多く販売されることも予想されましたので、その対策
について、総本山にご相談申し上げ、その了承を得て、学会が事前に対処することになりました。その一環として特許庁の方針変更にそなえ防衛上押えておく必
要があるとの判断で、題目の商標を出願しました。 しかし、昭和五十年ごろから一般的な宗教用語は商標として登録を認めるのは妥当でない、などの議論がマ
スコミを沸かせたこともあってか、特許庁として『認めない』方針に落ち着いたようなので、学会も五十二年一月には出願したものを全部取り下げています。以
上の経過のとおり、あくまで題目が他の第三者により商標登録され、独占的に俗事に使用されるのを未然に防ぐため、そのときどきの特許庁の方針を考慮しなが
ら法的防衛措置としてあえて登録申請に踏みきったのが実情であります」(聖教54・11・9)
-
- 「十一月九日付けの聖教新聞三面の『お答えします』で、″悪用を防ぐため商標登録″との弁解に対し『御本仏大聖人の御法魂を商品化』と糾弾し、他
教団からの異義申し立てがあり、学会があわてて取り下げた経緯を述べている。また、宗務院も許可した覚えがない旨を報道」(継命54・12・1)
➡結局、52年5月20日に出願を取り下げている
- 1979.11.9
- 副会長を19名にする(11/10付)
原島嵩氏 教学部長を解任
桐村泰次氏が教学部長に就任
- 1979.11.11
- 聖教・院達の趣旨に則り「特別学習会のために」を掲載
「一、五十二年当時を中心とする指導のなかに、宗門、寺院、僧侶に対して、従来の正宗と学会の関係からもはずれた行き過ぎた指導があったことは、まず第1に率直に反省すべき点であります……私達は日蓮正宗の信徒であることの意識を明確にし、僧侶に対しても礼節を重んじ、信徒としての姿勢を正すなかに僧俗和合の道を進めてまいりたいと思います。
二、過去の指導のなかに、会長に対して、日蓮正宗では、御本仏日蓮大聖人または日興上人にしか用いない法義になっている言葉を用いて、宣揚する幹部の言動がありました……学
会内における師弟は、あくまでも『よき師、よき法、よき檀那』の檀那のなかにおける指導性であります。具体的には、昨年の『11・7』で再確認したよう
に、代々の会長は折伏。弘教の師であり、現実社会における人生の師であることを銘記すべきであります。しかして、法義のうえで『よき師』とは日蓮大聖人お
一人であり、代々の血脈付法の御法主上人であることを、正しく理解しなければなりません」(聖教54・11・11)
- 1979.11.23
- 池田氏 イラン・ホメイニ師に人質解放要求を打電
- 1979.11.29
- 北条会長 「北条文書」の陳謝のため登山お目通り
富士学林研究科閉講式(総本山)
日顕上人「最近、実際に私も見ましたけれども、ある団体の責任者ともいうべき人が、とんでもない、まことに遺憾至極な意見を、内部の意見として述べたということが、文書のような形で伝わっておるようであります。も
ちろん、その考え方というものは大変な誤りであり、間違いであり、そういう考え方が事実有るならば、どうしてでも、糾明もし、処置もしなければならないわ
けであります。それにつきまして、実はその責任者が、本日登山致しまして、私に対して重々の陳謝の意を表わし、また、当時、そのような感情にかられたと思
われるようなことがあったこと。ただし、もちろんそれが良いのではございません、ということも申しておりましたが『大変に申しわけがない』ということの趣
意を、私に対して
申しましたわけでございます。そして、その時点における一番の責任者が――現在はその立場におりませんが――『自分自身は微塵も思わなかったけれども、そ
のような言葉があったということに関して、実に申しわけない』ということの、陳謝の意を表わしてきたのであります……私は、その人達が本日登山してきた趣旨というものの上において『深く誤りを認め、今後の絶対の奉公を誓う』という言葉を信ずる、ということを考えたわけであります…(大日蓮407)
- 1979.12.1
- 北条 『北条報告書』の件につき聖教新聞でお詫び
お答えします「北條副会長(当時)の文書について」
「もとより学会としての公式な意見、方針ではなく、当時、池田会長からも戒められたところである……この点については、日顕上人にも経過をご説明申し上げるとともに、一時的、感情的にせよ、こうした問題があったことについて、お詫び申し上げました。また、今後とも創価学会は永遠に日蓮正宗を外護し、代々の御法主上人猊下に赤誠のご奉公をお誓い申し上げました」(聖教54・12・2)
聖教社説
「血脈相承をうけられた第六十七世日顕上人猊下は、八月二十一日、宗内一般に『血脈法水に基く和哀協力を』との訓諭を発せられ、僧俗和合して広宣流布へ、との方針を示されたのである。今
回の院達も、この訓諭の趣旨にのっとったものである。今回の特別学習会では、こうした経過を理解するとともに、ふたたび同じ轍を踏まないために、反省し改
めた主な点を確認することになっている。このような特別学習会の重要性を考えたとき、幹部みずからが真摯な姿勢で取り組んでいかなければならないのは当然
であろう。特別学習会を成功させることが、理想的な僧俗和合の道を開くことになり、広宣流布を前進させることと確信して、真剣に取り組んでいこう」(聖教
54・11・21)
-
- 継命新聞 検証「創価学会・また謗法与同を犯す」
「十月二十九日付け『聖教新聞』八面に″江戸工芸の枠を集めて再現された手造りの傑作〃との見出しで七段広告が掲載
された。問題はこの長火鉢の抽出しの飾り金具。広告の説明文は次のようになっている。『家庭の幸運を呼ぶお守り金具飾りには『家内安全』『繁栄』『無病息
災』などの願いをこめて、魔除の鬼をあしらつてあります。あなたの御家庭のお守りになさって下さい』しかも申込のハガキの見本には、『日本
メールセンター高級長火鉢聖教⑩係』と宛先が銘記されている。神社信仰まがいの〃ご家庭の幸運を呼ぶお守り金具″の付いた商品を、創価学会の機関紙上で
堂々と広告し、学会員に宣伝し、買わせようとしている」(継命54・12・1)
-
- 継命 検証「学会の謗法」
遂に文字刻み念珠を発見
「昭和五十一、二年頃、池田会長が親珠に文字を刻んだ念珠をつくり、大幹部に贈ったという話は有名。しかし、その現物を見たという人は少ない。その現物を
このほど入手。念珠には『城』の字が刻んである。創価学会二代会長・戸田城聖氏の片名だ。このほか牧口常三郎初代会長の『常』と、張本・池田大作氏の
『大』の字を刻んだものがある。念珠を作った意図は不明ながら、張本・池田大作氏が、池田宗旗揚げへ向けて疾走し出した時期に、符節を合わせていることは
事実。おそらく、当時の勢いに乗った学会の風潮として、もはや宗門は学会が何をやっても文句をいえないと、タカをくくっていた、一つのあらわれかもしれな
い。だが、その裏には、念珠に会長の片名を刻み与えることによって、『会長への帰命』を、より強力に促す魂胆があったのではなかろうか」(継命54・
12・1)
- 1979.12.8
- 大阪活動家僧侶会議
○宗門及び同僚僧侶の悪口を流したスパイ僧侶全員の名前を公開
○宗門トップの交替要求を含めた戦い
- 1979.12.12
- 月刊ペン裁判 東京高裁は隈部の控訴を棄却、有罪判決
- 1979.12.14
- 学会(東洋物産社長 木村靖) 下山正行著『私は創価学会のスパイだった』の中の社長会記録に対し、著作権法違反として東京地裁に告訴
- 1979.12
- 公明 民社党との間で中道連合政権構想を合意
-
- 『7つの鐘鳴り終わる』
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