---SKD創価学会・顕正会脱会ネットワーク---   

 

「序」そもそも創価学会とは何なのか 〜何が目的で設立されたのか〜

 

 
   ←左から牧口初代会長、掘米尊能師(後の日淳上人)、
  戸田理事長(昭和7年頃)
 第2代会長戸田城聖氏は、「私たちは無知な人々をみちびく車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である。」(戸田城聖全集113頁)と発言の通り、創価学会は元々、日蓮正宗の信徒団体として広宣流布を目指し、御法主上人の御指南に随順して信行に励んでいたのです。。

1、創価学会は何を目的として設立されたのか   2、初代牧口会長・第二代戸田会長の入信の経緯について
3、創価学会はどのような経緯で発足したのか   4、創価学会はどのような経緯で宗教法人を取得したのか

創価学会の皆様、戸田城聖先生の実際の声を聴いてみましょう



2代戸田会長と、3代池田会長の違い 〜実は師弟関係ではなかった!〜


 
 
  ●戸田城聖と池田大作の関係
 1947年、戸田城聖と池田大作は出会いました。池田の著書『人間革命』や創価学会総会での池田の証言によれば、両者は信頼し合う師弟関係を構築し、蜜月のような関係(師弟不二)だったと書いているが全くのでたらめです。池田自ら「戸田先生は本当に石田(次男)がお気に入りだ。石田には次々と地位を与えるが、私はいつも尻拭いだ。」と発言しています。戸田会長の死去後、池田は最初に戸田の遺産や香典、美術品をすべて自分のものにし、〝香典泥棒〟を自らの手で行ったのです。戸田会長は命がけで日蓮大聖人の仏法を広宣流布すべく、御法主上人猊下を〝時の大聖人様〟として崇め南無しておりました。しかし池田大作は、自らの名誉を世界に示すことと「天下取り」が目的であり、戸田会長と正反対の路線を歩んだのです。  
 ●日蓮正宗で行われた戸田幾さんの葬儀
平成十二年三月六日、創価学会二代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾(いく)さんが逝去されました。享年八十九歳。お通夜ならびに告別式は、三月十二日、十三日と、東京都品川区の桐ケ谷斎場において、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道尊師の導師で、厳粛に執り行なわれました。 戒名は「照寿院妙護日操大姉」、御法主日顕上人猊下より賜わった日号であります。 戸田城聖の長男・喬久氏は常日頃から、 「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」 と語っており、さらに、 「おやじ(城聖氏)が猊下にお目通りする時は、伏せ拝のまま、一度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊い方なんだと思っていた」 「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似はできない」 と話していました。 すなわち、城聖氏の信心を引き継いだ戸田家においては、常在寺に所属する日蓮正宗の信徒である、との自覚を鮮明に持ち、昭和三十三年四月の戸田会長の葬儀も、常在寺に願い出て執行。それ以来、四月二日の祥月命日には、毎年、東京・目黒の戸田家へ同寺の御僧侶が訪問、追善供養の読経・唱題が行なわれてきたのです。

「序」創価学会〝離反の真相〟〜なぜ創価学会は宗門から破門されたのか〜








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