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「序」動画で見る脱会体験 



「一家で創価学会を脱会、日蓮正宗に戻れた幸せ」 常生寺:松本憲大 



 私は元創価学会二世であります。私が当時男子部として活動始めた頃は、25年程前で、日蓮正宗から破門されて2年程たった頃です。御本尊下付 ができない状況もあり、ニューメンバーたる外部の友人等を入会させる活動がメインでありました。
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創価地獄からの生還! 〜学会にいるだけで生き地獄だった〜

本修寺支部 川瀬 圭一さん  私がこの仏法(日蓮正宗・創価学会)に巡りあったのは、小学校4年生の時でした。父の再婚相手、私にとって2人めの母が熱心な創価学会員だったのです。以来、中学・高校の時は一所懸命に学会活動をして、昭和62年3月、苫小牧工業高校を卒業と同時に御本尊様を御下付いただいき、君津市の新日鉄化学へ就職しました。しかしこの時期に両親は離婚し、私は父へついて行きました。父は退転状況となり、私も同時に信心が堕落していきました。住まいが 社員寮ということもあり、御本尊様を御安置する気持ちにすらなれませんでした。勤行は全くせずに、勝手気ままな謗法の生活と......全文を読む

 学会葬の導師を17回  〜学会活動で積んだ重い罪業〜(慧妙 R2.4.16)


理境坊所属 斎藤和雄さん
私は、昭和35年、19歳の時に、創価学会を通じて日蓮正宗に入信し、家内と共に学会活動に励んで来ました。
 そして、三男が川崎病に罹って命が危かった時、御本尊様のお力により一命を取り留めるという大功徳を頂戴したことから、さらにいっそう学会活動にのめりこみ、聖教新聞の配達を26年間務め、自宅も学会の拠点として提供し、役職も、私が栃木市の副本部長、家内が支部の副婦人部長にまでなりました......全文を読む

 元・地区教宣部長が語る学会の狂気  〜「猊下を刺殺」の発言に会場内が熱狂!?〜


理境坊所属 坂田真一さん
 私は、昨年8月に創価学会を脱会するまで、地区部長・教宣部長として第一線で活動しておりました。
 先日、同じ講中の婦人、その方の娘さん(高校3年生)と一緒に、折伏する目的で学会幹部Aさん宅を訪問しました。
 Aさん一家はご夫婦も息子さん家族も皆、学会の活動家で、以前、私が近所に住んでいたこともあり、家族ぐるみで仲良くしておりました。また、ご主人は高齢ながら、折伏をしなくなった学会の中においては珍しく、よく折伏に出掛けている人でした。......全文を読む

【私が見た創価学会】 〜学会の公認通訳として見た池田の姿〜


理境坊所属 後呂聖子
さん
 私は学会二世として、創価学会員の両親のもとに生まれました。  両親は、学会の活動拠点として我が家を提供し、広布のためにと、より広い会場を目指して引っ越したり、家を建て替えたり、百畳敷きの会館を提供したり、熱心に活動を行なってきました。
 そうしたなかでも、私が静岡の高校にいた頃、母がある女性と大親友だったことから、その女性が池田センセーの愛人であることを知りました。その女性は、結婚していて夫も子供もいます。御主人は、自分の妻とセンセーとの関係を承知していて、 ......全文を読む

 我が身で感じたニセ本尊の恐ろしさ   〜総本山の荘厳な佇いに感動〜


妙円寺支部 佐々木義彦さん
 私は妙円寺妙円寺の法華講員になる以前、創価学会に在籍していました。学会の組織では、地区リーダー、また会館の警備に当たる牙城会、さらには衛星放送中継の運営に携わるサテライトグループを担当するなど、いわゆる活動家で、当時は学会の活動や教えに疑問を持たずに、池田大作の指導や幹部の言うことを信じていました。
  『ニセ本尊』受け地獄の日々始まる
 そして、平成六年に転勤先の静岡県で『ニセ本尊』を受けましたが、今思うと、そのことがきっかけとなり地獄の日々が始まりました。 ......全文を読む

法華講員となって訪れた我が家の安寧  〜脅されてニセ本尊に交換、サラ金地獄へ〜


 大円寺支部
 高橋富士夫
さん
 私が創価学会を通じて日蓮正宗に入信したのは、昭和37年で両親が学会員だったので、生まれてすぐに御授戒を受けたのです。
 (略)私は、大石寺が大好きで、両親と一緒に年に2、3度は参詣していましたので、本当に残念でなりませんでした。学会が宗門を悪く言っていることは知っていましたが、まさか大石寺に行けなくなるとは思っていなかったのです。釈然としない思いの中でも、学会活動と牙城会の任務はやっておりました。そんなある日、長女が女房の運転する車に轢(ひ)かれ、 ......全文を読む

破門後、不幸・苦悩のどん底に  〜ニセ本尊を拝んでいる家ほど、悲惨な状況〜


 経説寺支部 副講頭 竹中博幸さん
 私は、いわゆる学会2世でしたが、先に創価学会をやめて法華講員となっていた母親より折伏され、平成16年8月、日蓮正宗に戻ることができました。  昭和37年生まれの私は、幼少の頃は母に連れられ、よく『聖教新聞』を配る手伝いをしていました。
 男子部 時代は創価班として、会合の時の駐車場整理や地元の会館警護を行なっておりました。
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【知らないうちにニセ本尊が!】 〜学会時代に発症した妻の業病〜(慧妙 H27.11.1)


理境坊所属 森安勤さん
 私は、昭和50年に創価学会を通じて日蓮正宗に入信しました。その後、昭和55年に結婚し、それを機に妻を入信に導くなど、信心に励んだ時期もありましたが、仕事の忙しさから次第に信心から遠のいてしまいました。一方、妻の方は、私とは逆に、学会活動にのめり込むようになっていきました。 そして、その後、創価学会は日蓮正宗から破門され、大謗法団体となったわけですが、信仰そのものから遠のいていた私は、まったく、その状況に気づかずに......全文を読む

【創価地獄!】 〜日恭上人の悪口した3ヶ月後、家が全焼! 夫、丸焦げで焼死!〜

 私の実家は創価学会に個人会館を提供しています。私も学会が正しいと洗脳されておりましたので、疑うことなくニセ本尊を拝んできました。しかし1年ほど前に、樋田さんのYouTubeを見て、何となく学会のニセ本尊に疑問がわいてきました。そのことを、当時、私の地区で一番熱心に活動しておられた本部副婦人部長(この方は、みんなから「副本」と呼ばれていて......全文を読む


学会ニセ本尊〝処分の功徳〟 〜ニセ本尊を焼却し、好転した人生〜


学会ニセ本尊〝処分の功徳〟 ←クリック
 創価学会のニセ本尊を謗法払いする時、ご自身で燃やして平気です。というか、ご自身で燃やしたほうがいいです!(一応、寺院の御指導をもらってください)
←この方はHP管理者の友人ですが、学会ニセ本尊を拝んで統合失調症になり、自殺未遂しました。しかし、平成24年5月、思い切ってニセ本尊を焼却処分して、日蓮正宗に入信。それから彼の人生は大きく好転し、現在に至ります。今では功徳の毎日で充実しているのです!

親友:山田学(学会員)の死  〜冷酷な学会と悲しすぎる現実〜

親友(学会員)の死---その1 ←クリック
親友(学会員)の死---その2 ←クリック
「故・山田学(平成10年4月没 享年29才)
 昭和から平成初期にかけての、私(HP管理者)の大親友である。私のブログ(Ameba)で、山田(あえて当時のままに、呼び捨てにする)との【出会いと別れ】を、ありのままに話す事によって、それが、苦海にさまよう彼への回向となるであろうし、塔婆供養に加えた〝追善の声〟として彼に届くものと信ずる。


【創価三世体験】創価地獄は本当にある! 〜脱会に至るまで〜 


 学会が破門されて偽本尊が配布されたのが私が小学校高学年か上がる前だったと思います。小学校から私はいじめられていました。中学校でもいじめれました。小学校の面子(めんつ)がほとんど中学校に上がる状態だからです。高校でもいじめられていました。これまた中学と同じで中学の面子が高校にあがる為です。高校ではそれなりにがんばって推薦で大学に行ける事になりました。経済面で父や母に迷惑をかけましたが何とか働きながら大学に進学して勉強していました。
 今ここでは業種と内容は申し上げませんが......全文を読む


【創価三世 本音】〝脱会予備軍〟 〜潮時かな、早く抜けたい〜


■■■■■「私は創価学会の三世、それを彼に伝えたい…」■■■■■
こんにちは。20代半ばの女です。
いま、お付き合いしている彼と結婚を考えています。付き合って半年です。
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■■■■■「創価学会二世・三世の方で苦しんでいる人はいませんか?」■■■■■
 私は、現在三十代の一児の母で、学会三世です。
 父方・母方祖父母・両親は熱心な幹部ですので、私自身も20代前半までは、かなり熱心でした。
女子部では部長にもなり、選挙では遊説隊もやり、かなり優等生だったと思います。
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■■■■■「創価三世。辞める時について意見をお願いします。」■■■■■
 私は大学三年生の女です。私の両親は創価学会員です。
 父親の両親(祖父、祖母)も創価学会員でした。
私が、生まれた時から創価に入信(私は入りたいと言った記憶はないので両親が勝手に
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その他-1 〝現証の中野〟学会から法華講へ 〜知る人ぞ知る伝説〜



【離脱僧も恐れる中野氏の〝獅子吼〟】
【〝アメリカ信徒第一号〟の真実】
【題目に呼ばれた時鮭】
【題目で歓喜した馬鈴薯(イモ)】
⇦動画中央:故・中野忠次氏(啓修院法忠日全居士)、左:私  (平成11年2月、大石寺にて ※当時の中野氏の御歳:80歳) 中野忠次氏の世話になり広大無辺な功徳を体験した多くの創価学会員達よ、今からでも遅くない!早く目覚めて日蓮正宗寺院へ戻り、創価学会を脱会して、早く幸せの現証を体験せよ!!







戸田先生の教え







   

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