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破門後、不幸・苦悩のどん底に  〜ニセ本尊を拝んでいる家ほど、悲惨な状況〜




岐阜県大垣市・経説寺支部 副講頭 竹中博幸 

【破門後、不幸・苦悩のどん底に】
 私は、いわゆる学会2世でしたが、先に創価学会をやめて法華講員となっていた母親より折伏され、平成16年8月、日蓮正宗に戻ることができました。
 昭和37年生まれの私は、幼少の頃は母に連れられ、よく『聖教新聞』を配る手伝いをしていました。男子部 時代は創価班として、会合の時の駐車場整理や地元の会館警護を行なっておりました。
 また、生活面で悩みや困ったことがあれば、御本尊様の前に座りお題目をあげて、助けていただいておりました。高校卒業後、運転免許を取得して1週間目に車が大破する大きな事故を起こした時も自分は軽傷で済んだり、24歳で結婚し、翌年には長男も誕生して、仕事でも順調に成果を上げることができ、会社の中では信頼されるポジションで活躍するなど、御本尊様に守っていただいている、と感ずる日々を送っていたのです。
送っていたのです。
 ところが、平成3年に創価学会が日蓮正宗から破門され、創価学会で独自に作った本尊(ニセ本尊)を拝むようになった頃から、仕事の面、家庭内の面において、さまざまな問題が発生し、妻ともイザコザやケンカが絶えず、最後には「両親と別居したい」と言い出して、平成9年、実家近くのアパートに引っ越しました。
 それから少しすると、今度は父親が急に体調を崩し、精神的にもおかしくなって、近くの病院に入院し、家族総出で付き添いをすることになりました。
 当時の私は、学会幹部に言われるまま交換した"御本尊"がニセ本尊だなどとは夢にも思っておりませんでしたので、合い間を見つけては唱題し、父親の回復を願いました。しかし、願いはいっこうに叶うことなく、平成10年8月、父はとうとう自殺してしまいました。
 葬儀は学会の友人葬で行なったのですが、葬儀の最中から、「何か違う、おかしい。なんで、学会の幹部といえども、床屋のおじさんに御僧侶の代わりができるのだ!?」と疑問に思っておりました。
 また、父親の体調が悪くなったのは自分のせいではないか、家庭内がうまくいっていれば父親も死ななかったのではないか、と自分を責めて、悩み苦しみ、夜も眠れない日もありました。
 仕事においてもトラブルが続き、上司からは妬(ねた)みや中傷が絶えることなく襲いかかってきて、精神的に絶えきれなくなった私は、このままではウツ病になると思い、気持ちを切り換えて頑張ろうと、23年勤めてきた会社を辞め、転職しました。しかし、転職した先でもうまくいかず、また辞めることになってしまいました。
 その後、妻とは離婚しました。気付いてみれば、かつては順調だったはずの人生が一変して、不幸・苦悩のどん底に落ちていたのです。

【"ニセ本尊"と知って納得!】
 父親が亡くなってからしばらくして、母親は、創価学会を脱会して法華講員になりました。しかし、私はその気になれず、"御本尊様を信じて勤行・唱題をしていれば、創価学会が破門されていようと、御本尊様は必ずお守りくださるはず"と甘く考えておりました。
 そのような中の平成16年8月、父親の7回忌法要の前に、母親から「総本山に行かないか」と誘われました。
 創価学会からは、「総本山は、正本堂が壊され、桜の木は切られ、野犬がウロウロしていて、荒れ放題になっている」と聞いていましたので、私は自分の目で確かめてみたくなり、軽い気持ちで「いいよ」と答えました。
 母親から「じゃあ、まず、お寺に行こう」と言われて経説寺に行ったところ、御住職様から、創価学会が破門になった経緯や、現在自分が持っている本尊がニセ本尊であることを知り、ビックリしました。そして、その日のうちに父親の法要をしていただき、勧誡式を受けて、私は法華講員の一員とさせていただいたのです。
 後日、本物の御本尊様を御下付いただき、入仏式を済ませた際、不思議と気持ちが落ち着いたことを覚えております。
 その年の11月には、じつに約20年ぶりに総本山に参詣させていただき、御開扉を受けることができました。そこで、20年前と変わらぬ荘厳な総本山に感動し、歓喜して、今まで創価学会に騙されていた自分の愚かさを実感させられました。

【学会員に対して折伏慣行】
 謗法になった創価学会に何年も留まっていた罪の重さを思うと、「罪障消滅のためにも折伏したい」と考え、翌年からは、母と一緒に毎月、登山させていただき、学会員である元会社の同僚や高校時代の同級生に創価学会の間違っていることを話したり、学会員宅に学会破折のチラシを配る活動をしていきました。
 学会の個人会館へも折伏に行きましたが、その学会員は、「学会員の家を回わるな」と言うだけで、ニセ本尊のことを話しても総本山の桜の写真を見せても、「全部、作り話と合成写真でしょ」と言って、全く聞く耳を持とうとしません。
 私は、「なぜ、こんな簡単なことを、学会員に解ってもらえないのか」と悩みましたが、入講4年目、総本山での夏期講習会に参加させていただいた折に、ふと、気付きました。それは、私自身が"言われてする信心"から脱皮して、"自発能動の信心"に立たなければならない、ということでした。それまでの私は、母親や講中の方から誘われて活動する、という域を出ていなかったのです。
 そして、まずは自分に一番足りないのは唱題だ、と思い、毎日のようにお寺に参詣し、他の法華講員の方と共に唱題をしました。御住職様から「唱題したら、それだけで終わらずに、帰りにでも折伏に回りなさい」と御指導いただいたことにより、勇気を出して、公明党のポスターを貼っている学会員宅を探しては訪問折伏しました。
 そんな中、不思議なことに、3年以上も音信不通であった元妻や子供とも連絡が取れて、妻は無理でしたが、子供は素直に話を聞き、勧誡を受けることができました。また、その後は、弟夫婦とその子供3人も勧誡を受けて法華講員となりました。  一緒に折伏活動する同志もでき、岐阜県下にチラシやリーフレットを配ったりして、ほぼ毎日、学会員宅への積極的な折伏活動していきました。ある時は大声で怒鳴られ、突き飛ばされ、塩を掛けられたり、ある時は警察を呼ばれたり、携帯電話に学会の教宣部員から暴力団のような口調で嫌がらせ電話が掛かってくることも何度もありました。
 しかし、不思議と、チラシを配ったエリアから、何人もの学会員の折伏ができてきたのです。地元大垣市のKさんの家族や御親族の方々、Sさんの家族、揖斐川町出身のHさん、大野町のOさんやMさん夫婦、Nさん等々、多数の方々が法華講員となられています。

【不幸だらけの学会員の姿】

 学会員宅を何軒も訪問してみると、とくにニセ本尊を拝んでいる家ほど、悲惨な状況に陥っていることが浮き彫りになってきました。私の近所の学会員などは、ほとんど家庭崩壊しているのが実状です。離婚も多く、家庭不和に悩んでいる家、妻が事故死した家、両親が事故死した家、学生の頃は優秀だったのにウツ病を発症した人、癌が再発した人等々、どん底の不幸な環境にいるのです。
 振り返ってみれば、私自身も法華講員になる前は同じような境遇でした。そして、その環境が当たり前になってしまっていて、それが謗法の罰によるものだ、と気付けない。まさに毒気深入して本心を失った姿だったのです。
 しかし学会員は、そのような苦境にあえぎながらも、いまだに、過去(日蓮正宗の信徒団体だった当時)に頂戴した功徳の幻想にしがみつき、「創価学会こそが正しい信仰をしている」と思い込んで、「自分達の師匠は池田センセー」と言い張ってきます。
「では、日蓮大聖人様と池田名誉会長の関係は?」と聞くと、押し黙ってしまいます。まさに、「頭破作七分」の悩乱状態である、としか言いようがありません。
 しかし、そのような人達でも、私が母親から折伏されて目覚めることができたように、誰かが創価学会の誤り、池田大作の信仰の間違いを教えてあげなければいけないのだ、と思います。
 私は、来年、日蓮正宗法華講員となって10年目の節目の年を迎えます。法華講員となってからは、本当に生まれ変わったように、生活面でも仕事の面でも御本尊様の功徳を実感し、充実した歓喜の日々を過ごさせていただいております。  「邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり」(『聖愚問答抄下』御書P402) の御金言を心肝に染め、今後も唱題を根本に学会員への折伏を進めてまいります。

『慧妙』H26.12.16



   

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