---SKD創価学会・顕正会脱会ネットワーク---   

 

法華講員となって訪れた我が家の安寧  〜脅されてニセ本尊に交換、サラ金地獄へ〜



大円寺支部 高橋富士夫 

【脅されてニセ本尊に交換】

 私が創価学会を通じて日蓮正宗に入信したのは、昭和37年で両親が学会員だったので、生まれてすぐに御授戒を受けたのです。
 以来、少年部・中等部で活動し、社会人になってからも学会活動に励んで、結婚式は正宗寺院で行ない、その後、子供も生まれて、幸せな生活を送っていました。  ところが平成3年、ある学会員から突然、「もう大石寺に行けないんですよ」と言われました。私は、何が何だか理解できず、「今まで何度も行っていたのに、なぜ?」としか言えませんでした。すると、その人は、「もう、学会と大石寺は関係ないから」と言うのです。
 私は、大石寺が大好きで、両親と一緒に年に2、3度は参詣していましたので、本当に残念でなりませんでした。学会が宗門を悪く言っていることは知っていましたが、まさか大石寺に行けなくなるとは思っていなかったのです。
 釈然としない思いの中でも、学会活動と牙城会の任務はやっておりました。
 そんなある日、長女が女房の運転する車に轢(ひ)かれ、重体になる、という事故が起きました。幸い、長女は瀕死の状態から回復して、小学校にも上がることもできたのですが、本当の苦難は、ニセ本尊に交換した時から始まりました。
 平成6年6月、横浜市の市営瀬谷住宅に当選し、引っ越したのですが、その少し後、学会のブロック長から「御本尊様を取り替えなさい」と言われました。私が「どうして?」と尋ねると、「今持っている御本尊様は、日顕(上人)の書いた御本尊だから、取り替えないと大変な事になりますよ」と言うのです。私が「大変な事って、何?」と聞くと、ブロック長は「子供が病気になったり、不幸になる」と脅してきましたので、私は、渋々ながらも、それがニセ本尊だとも知らず、御本尊様を学会の本尊に取り替えてしまいました。

【仕事が激減、サラ金地獄へ】

 ニセ本尊に取り替えたとたん、我が家は、坂道を転がるように悪くなっていきました。
 私は大工の仕事をしているのですが、仕事はひと月に十日ほどしかなくなって、生活に困るようになり、とうとうサラ金に手を出してしまいました。その借金は5百万円ほどにふくらんだのですが、返すアテもなく、妻と2人で、昼も夜も借金を返すために必死で働きました。
 しかし、働いても働いても返し切れず、弁護士に相談に行きました。
 弁護士から、「お子さんがいるのだから、任意整理をしたほうがよい」と勧められて、そのとおりにしたところ、返済金額がそれまでの半分くらいに減少し、多少は生活が安定したかに見えたのですが、それもほんの束(つか)の間のことでした。  今度は、次女の悩みです。三姉妹の真ん中の娘が、夜な夜な家を出て、夜遊びをするようになったのです。ある晩、学校に侵入して、壁にペンキで落書きをした、ということで、学校側から警察に通報が行き、家に刑事が来て事情聴取されました。その時はペンキを落とす費用を求められ、7万円ほど支払いました。
 相変わらず私の仕事も安定せず、さすがの私も、「唱題、学会活動、牙城会任務にと、頑張っているのに、ちっとも良くならないのは、何故なんだろう」と悩むようになりました。
 そんな折、借金の返済を優先していたために家賃の支払いが滞(とどこお)ってしまい、裁判所からの通達で瀬谷の住宅を出なければならなくなって、平成13年、綾瀬市(神奈川県)に引っ越してきました。

【法華講員となり、功徳を実感!】

 ある日、学会の会館で同時中継の本部幹部会に参加した私は、登壇する幹部達が口々に「池田先生、池田先生」と連呼していることに違和感を覚えました。
 その頃から、「学会は何かおかしい」と思うようになったのです。
 それを学会員に言うと、「池田先生は、世界を飛び回って、世界平和のために戦っているのだから」と言われました。私は、「それだって、私たちが毎年、広布部員として納めているお金で行っているんじゃないか」と言い返しました。
 さて、綾瀬に来てからも、仕事もろくになく、毎日毎日、地獄のような生活でした。
 そのように悶々としている日々が続いていた平成24年の秋、私は、仕事場で、左官職人のHさんに出会いました。Hさんの身体から線香の香りがしたので、この人は何か宗教をやっている人だな、と思っていました。
 そして、休憩時間に話をすると、Hさんは大円寺の法華講員だということがわかりました。
私は、「日顕(上人)は私たちが納めたお金で、女遊びとか、自分の家を建てたりしているんだよね。法華講は、いまや日顕宗だよね」等々と、学会から聞かされたまま、いろいろ言いました。
 そんな私に対してHさんは、「それは学会が言っているウソで、事実ではない」ときっぱり否定し、「一度、お寺に話を聞きに行きましょう」と言いましたが、その時の私は、まだ学会のマインドコントロールが抜けていなくて、Hさんを信用できず、素直になれませんでした。
 しかし、何回か話をするうちに、御書の一節がすらすら出てくるHさんの言葉に、なぜか素直な気持ちになることができるようになってきたのです。

   そして、平成24年11月11日、Hさんと一緒に大円寺に行き、御本尊様の前に座って題目を上げたとたん、涙が溢れてきました。この時、「本当の御本尊様はこれだ!」と心の底から思いました。
 その後、御住職のお話を聞き、全て納得した私は、創価学会をやめて法華講員となる腹を固め、さっそく家に帰ってニセ本尊をはずし、郵送で学会本部へ送り返しました。
 そして、その日の夜、女房と、長女と孫の4人でお寺に行き、勧誡と孫の御授戒を受け、晴れて法華講員となることができたのです。それからまもなく、三女と孫が勧誡と御授戒を受けました。すると、その2週間後には、学会の時には家にも寄り付かず、信心も嫌がっていた次女が、素直に勧誡を受けることができました。
 そして、家族全員で、平成25年1月の初登山会に参詣しました。

 待ちに待った奉安堂での御開扉は、感激もひとしおでありました。さらに3月の春季登山会も、家族全員で行くことができ、やっと我が家に安寧の日が訪れたことを実感し、大変ありがたく思いました。毎月のお寺での御講にも、子供達や孫達と一緒に参詣しております。
 学会をやめて法華講員となってから1年が経ちましたが、不思議なことに、仕事にも恵まれるようになって、この1年は仕事が切れたことがありません。おかげで生活も順調になりました。本当に、学会にいた時とは天地雲泥の差です。  御住職はよく、「他人の幸せを祈れる自分になろう」と指導されています。これからも、学会に騙されている人達を1人でも多く救っていけるよう、折伏にがんばります。

『慧妙』H26.2.16)