- 1968.1
- 植村左内 学会批判しないいよう調印
元学会員で『これが創価学会だ』の著者。出版妨害された挙げ句、今後、学会批判を書かないよう文書に調印させられる
- 1968.1.10
- 第8回社長会 〔於ホテル大倉〕 池田発言
◎小島さんは仕事もそうだが、世田ケ谷でもしっかりやれ。衆院選は早い。参議院選が終って、安保〈条約改定〉の手前でやる動きがある。
◎国連加盟国はいくつか?
田中不明、星野90、木村不明、小島90、八矢100、横松100、星生110、中西130、北条140。正確には123。田中、木村、罰金200 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.2.10
- 第9回社長会〔於築地・小富美〕 池田発言
◎仕事に真剣でない人は信心にも真剣でない。人間も古くさくなって、皆について行けなくなったらおしまいだ。大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った。
◎戸田先生は葉っぱを御札にする。本当にする。そうしなければ広宣流布は出来ない。必ずそうする。広宜流布の為ならば葉っぱを札にしてみせる、と云う戸田先生のきょう信が今日の学会を築いた。
◎これからの最後の闘いは経済戦だ。10年後の経済革命への闘いだ。武力の時代は去った。
◎全部勝ったら、全社1ヵ月分の特別賞与を7月15日、平常のボーナスは7月1日に支給、1.5ヵ月分。
◎軍艦を一隻買った。全長6米の中古で700万もするものを150万で買った。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.2.12
- 佐藤首相 国会の空転により池田氏に援助頼む
- 1968.2.16
- ブラジル一乗寺開院式
- 1968.3.22
- 第10回社長会 〔於プリンスホテル〕 池田発言
◎九州の書店のことで、星野さんよりやらせて欲しいと云ってきたが、どうだ。勿論、土地も家もこちら持ちだ。やっぱり博文堂にやってもらった方が安心だ。
◎これからインフレに向かうから、お金の値打ちが下がる。金、銀、不動産、物の順序で大事にしてゆきなさい。不動産の株等もよいが、もうだいたい上がっている。一方支払いは延払い、手形にした方が得だ。本部も外部に対しては手形でやろう。
◎九州の林田温泉、霧島の麓に12万坪買う。どこでも温泉が出る。そこに研修所をつくって、交代で皆行かせてやりたい。
◎1億7000万。よし買おう。そこにある森林を製紙会社に売ると5000万になる。
◎68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな。そうすれば文部大臣は森田さん。大蔵大臣、中西さん。外務大臣、小島さん。軍需大臣、木村。運輸大臣、田中。建設大臣、杉本。宣伝大臣、横松。北条さんは警視総監、全部いるよ。
◎5月は東洋の担当で林田温泉、2泊3日でゆこう。大丈夫か、大丈夫だな。鹿児島指導をかねて、5月中旬に行こう。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.3.28
- 昭和新定日蓮大聖人御書第2巻刊
- 1968.3.29
- 宗務院 全国15布教区を29布教区とする
- 1968.4.1
- 創価中学・高校開校
- 1968.4.26
- 「慶大会」結成 池田出席
- 1968.4.29
- 第11回社長会 〔於南伊東・井清寿〕 池田発言
◎学会の外郭は100、200、1000となければ駄目だ。下手をすると合併、合併で大資本に綱を張られてし
まう。戸田先生が焼鳥屋をやろうと云ったのもこれだ。社会と接触できる。大きな建物を作ってやってゆくのは駄目だ。小さいのを沢山つくって、気がついた時
には綱が張られていたと云う様に。成功させたいな。外郭は流通分だ。
◎第三勢力も出来てきたな。力を備えてきた。竹入、矢野で成功した。和泉、北条さんは超大物なんだよ。本当に良い人が委員長になった。
◎石田は手をついてあやまれと云った。秘書部長(和泉みよ)は大晦日に「池田はおそろしい男だ」と云った。当時は女がのさばっていた。
◎私はこれはやらぬ。総じての立場だ。皆の前でやる。随分、皆に色々してあげた。時計500、万年筆1,000本、洋服1,000着、刀100本、この中でもまだやらないのは、池田、大久保、木村、小島だけだ。会長の福運をわけてあげるのだ。
◎社長会で観光団を作って、海外へ行こう。潮出版社の会長(の肩書)で行こう。ブラックリストにのっていて、そおっといけない。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.5.3
- 第31回本部総会
「正本堂こそ正に事実上の本門戒壇建立であり、諸国の梵天帝釈来下する姿は、まことに世界平和の象徴ではありませんか・・・」総務・多田省吾
- 1968.5.23
- 第12回社長会 〔於初波奈〕 池田発言
◎本山の土地も最初は50億位の予定だったが、それが150億、200億、300億になった。本部の運営だけで財務+20億いる。
◎今、問題は新聞の印刷所だ。どうしてもこれは身内で持ちたい。アカハタだってあるのだから、なければ駄目だ。ひさごは帯に短し、たすきに長しだ。足場が悪い。万一の場合は、東洋だが、住宅地域で正式には駄目。どうしても新聞印刷は考えなければならない。
◎今は悪い奴等がのさばっている。石原慎太郎や今東光が出るなんてなげかわしい。
◎松下幸之助はずるい奴だ。「PHP」50万部ですごく儲けている。もう少し下ると思うが、道徳をとりあげている。松下教祖だ。社内の訓練も松下教だ。
◎賞与の予定6月15日、1ヵ月分。7月15日全員当選したら1ヵ月分、全学会の代表として出して下さい。又、来年聖教が350万になったら1ヵ月、大白200万になったら半月分、そこ迄決めておく。皆に発表しなさい。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.7.7
- 参院選13名当選
集団替え玉投票8人有罪
毎日新聞は「投票入場券、十万通消える 大量の不正投票か 世田谷など本人の手に届かず」(7/10日付・夕刊)と伝える。
郵便受けなどから6千枚もの投票所入場券を盗み出し不在者投票させたもの。池田会長は事件に関わった者に「法難章」としてメダルを与える。 事
件には創価学会新宿第三総合ブロック・宮本孝が替え玉指揮官、欧州第二本部・砂川昭夫が副将となり、北林芳典が「戸二読書会」の名目で住民票を閲覧して、
替え玉投票を組織、警察に摘発される。 東京地裁は、砂川に禁固1年、執行猶予4年、北林に禁固4ヶ月、執行猶予3年など8人に有罪判決。【資料】➡
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- 「船の科学館」に使用する都の跡地払い下げのために公明都議が笹川良一氏に便宜を計る。
- 1968.7.8
- 第13回社長会 〔於ばん居〕 池田発言
◎三年先の参議院は北条、柏原でやろう。衆議院もそろそろまとめよう。大久保だな、大沢の代わりに。小島のところは山崎か秋谷だな。やっぱり30代だ。東
京は大久保、山崎だ。人材が必要になってきた。上田君なんかもよい。身体が一寸弱いな。西は西中だな。都(議)会に上原京子と平光礼子の2人を出そう。田
中さんも名古屋も良いな。婦人で全部やろうか。都会議員は原則として衆院には出ない。今の衆院の若いものばかりの、良い団結のところへ変な先輩が入り込ん
ではまずい。警察だって、動かしているのは竹入、井上だよ。竜なんかおどかすだけで味方にならない。竹入の一声だよ。竜も藤原も出さないでゆこう。
22~25名位にしよう。
◎明日の幹部会で新聞の啓蒙を打出して、7月度本幹で値上げを打出そう。今迄では1億の損である。一般紙の値上げの時も上げなかったし、土曜版は全くサー
ピスなので、この際50円だけ上げて350円なら採算が合う。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.7.12
- 「一橋大会」結成式
- 1968.7.23
- 「京大会」「同志社大会」の結成式
- 1968.7.31-8.1
- 第14回社長会(臨時)〔於三崎会館〕 池田発言
◎3年たったら第2党だ。今迄メチャクチヤに突進して来たが、我が軍も大したものだ。こうなったら21世紀迄生きよう。
◎次の衆院の候補には若手を起用しよう。
◎ある新聞記者が公明新聞に書かれるのはまだいい。読者に理性がある。しかし聖教は恐しい、気違いだからと云った。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.8.3
- 第15回社長会〔於日本図書・椿山荘〕 池田発言
◎社会的な勝利は虚栄の勝利です。地位が出来た、財産が出来た、皆、虚栄の勝利です。私達の願いは人生の勝利者になることです。この事を忘れないで前進して下さい。
◎池田奨学資金を設立したよ。 500万ためた。あと500万位貯るよ。これは校長中心に検討してきめて下さい。もう、炭鉱等で困る人が出てきたので設立しました。
◎私の頭の中にある事は全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。何でも話しておかねばならないのだ。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.9.8
- 日中国交正常化を提言
➡学会は「池田大作先生が正常化の道を開いた」と喧伝するが、すでに尽力をしている日本人が少なからず存在しているたことが、歴史的事実である。その中の一人に過ぎない。
- 1968.9.11
- 池田氏 替え玉投票事件の首謀者暴露
【池田の弁】「八矢君(八矢英世副会長 創造社代表)の今回の失敗は前回の区議選の時、正論を言っていられず、秋谷が失敗した。その戒を自分の戒としてやれば、こんな事はない。慎重な反面、傲慢な面がある」社長会
【八矢の弁】「これは私の担当していた一つの新宿区でございましたが、非常に悪質な選挙違反がありまして、私はその総括責任者として非常に、その監督がまずかったわけでございます。で、お前はそういうような非常に油断をしているところがあるというので、大変、度々(池田大作に)叱られました」('81/3月 社長会記録の著作権をめぐる裁判での八矢証言)
第16回社長会〔於光亭〕 池田発言
◎しばらく体の具合が悪かったが、護符をいただいて元気になった。護符は本当に威力があるね。篠原さん、木村も時々いただきなさい。
◎疲れているから休めばいいのに、どうしてもやってしまう。良いくせだな。今日も女子部の面接をして、なんだかんだと、又色紙等を書いてしまう。
◎医者の鎌倉さん、石川さん。学会員や幹部の事を面倒を見て、それであたかも私に恩をうろう、学会を守っているような顔をして生意気になった。「先生のこ
とも心配しています」と云うが、「貴方にはもう注射はうてない」と云ったところ、いくらうとうとしても針が腕にささらなかった。石川さんは原島さんの亡く
なる前の晩みて、「何ともありません」と云った。この発言は医者として重大だ。わからなければわからないと云う真摯な態度が欲しい。和泉さんは腸へいそく
で手術をした。たいした事はない。腹が痛いと云うから、「食い過ぎだよ。死んでくれた方が良いんだから」と云ってやったら、気持がうんと楽になり、脂肪で
切るのに骨をおったが、たいした事はなかった。しかし、これだけ云える人はいないね。死ぬ訳はないからね。
◎八矢君の今回の失敗は前回の区議選の時、正論を云っていられず、秋谷が失敗した。その戒めを自分の戒めとしてやれば、こんな事はない。慎重な反面、傲慢な面がある。両極端な性格で、安定している様で、そうでない、アプノーマルな所がある。
◎主婦同盟会館を5階建で作ろう。料理学校、洋裁学校等の各種学校もやろう。 (社長会全記録 継命新聞社)
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- 隈部大蔵氏は都内赤坂プリンスホテルで、公明副委員長・北条浩から「創価学会という象は蟻の一匹といえども全力をもって踏みつぶす」と脅かされる。
- 1968.10.10
- 「早大会」結成
- 1968.10.24
- 第17回社長会 〔於三菱関東閣〕 池田発言
◎12月は吉兆によんであげる。11月は学園で担当して、箱根・松野茶屋でどうだ。
◎下之坊、妙蓮寺、正本堂を結ぶと三角形になる。やがて道路をつくる。又、大客殿、大講堂の壁を近代的にタイルをはる。動物園はくさいから廃止。皆、気が
つかない。最近、何回も何回も本山内を廻っている。いろいろ手をうっている。山門の前の土地もどうしてもうまくいかなくて私が出てやった。なかなか云う事
を聞かなかったお百姓の信者に、あなたも信者なら本山につくすのが当然ではないかと厳然と云って、やっと買えた。そして噴水がやっと間に合った。信者があ
れを見て喜ぶ。信者が喜べばお山も栄えるよ。正本堂の土地もやっぱり私が出て、やっと目鼻がついた。勅使門も今迄の軽い考えではなく、本当の意味の勅使門
を作るよ。大化城はこわさなければならない。あれは私の発案ではない。
◎正本堂に御本尊様を安置すれば、御宝蔵、奉安殿より広く拝ませる事になるが、あくまで大信者に限るので内拝である。将来一国の総理等が信者で、又、国家権力を押さえた時に国中の人に拝ませる。内か外かはまだわからない。
◎正本堂の位置も、日興上人は大石寺と北山本門寺の中間を考えていらっしゃったが、現猊下も大聖人様ですから、現猊下がおきめになった。現在の位置が最高、又名前も本門戒壇堂であるが、正本堂の方が通ずる。戸田先生がつけられた名前だ。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.11
- 11月度本部幹部会 池田会長不信心を露呈
葬儀について
「先日から一般の新聞などに葬式の合理化運動の記事が出ています。形式だけの葬式を改革しようという動きで坊さんを呼ばないとか、死亡通知だけでよい、と
いう様な考えです。これも、私は大賛成です。御本尊様に朝晩題目をあげて、事の一念三千の当体である我々です。死んでだれにお経を読んでもらう必要があり
ますか。我々こそ、葬式の最高の近代化、合理化の先駆者です。日蓮正宗は葬式仏教ではなく生きるための仏教です。葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はない」
塔婆について
「従来、人によっては、五本も十本も塔婆をたてて追善供養してきたケースがありましたが、原則は一本ぐいいのです。あとは回向料として、御供養すればよ
い。こういう細かなことをいうのは、日蓮大聖人の仏法が、末法万年にわたって永遠に合理性をもら、近代的であるからです。事実、御書をみても、塔婆を何本
立てなさいという指導はどこにもありません。」(「池田会長講演集第一巻」)
➡池田氏の「僧侶はいらない」に至る謗法指導の始まり。
- 1968.11.21
- 第18回社長会〔於箱根・松の茶屋〕 池田発言
◎人事その他の打合せをしよう。毎日厚さにして30 cm位の報告書がくる。それをどんどん正確に分析し、判断して結論を出して行く。幹部がいい加減でまちがった報告だと判断を誤る。
◎財務部員は前年と同じでゆく。人数は増やさないで、多少ゆとりのある人は囗数を増やす様にする、あまり云わなくても良い。一部の人でいいよ。この位なら
謗法にならないだろう。財務費も運営費のほんの一部だ。税金だけで10億だからな。私が稼いだものも全部使ってやっている。大変だよ。とにかくうちには税
務署が二つある。四谷税務署と中西税務所でどうにもならないよ。
◎聖教も350万部達成してよかった。横松の力だな。よかった。
◎信濃町ステーションビル、各種学校としてやると云う方向で検討。中西、森田。篠原、星生、横松、八矢、窪田高子等10~13名位の委員で、公表しないで検討。
◎来月は私が年末ですから、招待致します。吉兆でやりましょう。 (社長会全記録 継命新聞社)
- 1968.12.27
- 第19回社長会〔於吉兆〕 池田発言
◎横松、山崎等若手がしっかりする年だ。原島新教学部其は良いだろう。5年間御義口伝をつききりでやった。その的確さ、深さにはかなわない。
◎来年1月は学園担当で、留園でやろうよ。2月は創造社で、伊勢丹の上のフランス料理でやろう。行ったところでは5票はかせぐよ。
◎この吉兆も佐藤さんも来るし、又一流の財界人も来るOその反面庶民の代表も来る。京都でもそうだった。公卿や大名も遊んだ一方、勤皇の志士も遊んだ。
◎本部の裏に200坪、7階のビルを作る。3DKにして身近な人を入れる。皆さんの子供も結婚したら入れてあげる。
◎来年の暮も又栄えて吉兆で会おう。社長吉兆会だ。吉兆とは良い名前だね。吉兆会?よりうちの方が良いな。上に社長とつけちゃったんだから。
◎総坊にあと10軒つくる。一軒はラーメン屋(博文)と一軒は聖教直営店をつくる。潮出版も書店を作ったらどうか。 (社長会全記録 継命新聞社)
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