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【1】浅井会長の予言はことごとく外れる!  〜平成19年に核戦争で人類は滅亡?〜



▲1982年10月15日付 顕正新聞
 顕正会・浅井会長は終末思想で人心に不安を与え、勧誘の道具としているが、ことごとく外れる大妄語となっている。
■「第三次世界大戦の序幕はすでにはじまっている」(『冨士』昭和42年6月号)
■「次に迫り来る恐るべきものは飢饉であること間違いない。来てはならないと思うが数年以内には起こらんとしている。早ければ来年にも始まる」(総幹部会 昭和49年2月26日)
■「あと25年で広宣流布ができなければ、核戦争によって人類は滅亡する」(第二十三回総会 昭和57年10月9日)


【2】浅井会長の自語相違録 〜年々コロコロ変わる指導〜


●正本堂は御遺命の戒壇!? 浅井会長指導-----
「時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において同上人(※日達上人)は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。 正本堂が、大聖人御遺命の「本門戒壇」に当るとすれば、その外に将来国立戒壇が建てられるということはなくなる。まさにこの説法は、国立戒壇の事実上の否定を目的としたものであった (昭和52年8月号「富士」)  【資料➡】 
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■正本堂の御供養には妙信講も参加した!
「今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。 少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調し、「供養の誠を捧げよ」と、宗門の全僧侶・信徒に呼びかけておられたのである。もちろん妙信講は、正本堂を、国立戒壇建立まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂字、すなわち大御宝蔵・大奉安殿の意と理解して、御供養申し上げんとしたのである。」 (昭和61年8月号「富士」) 【資料➡】

     ◇解 説
     なぜ、浅井指導が昭和61年になって、「管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず」と、言い方を変えたのか。それは、この時には、妙信講が正本堂御供養に参加していたことが明るみになったからと思われる。
     そして、昭和40年2月に、日達猊下が「正本堂は御遺命の戒壇と言った」は完全なるウソである。
    日達上人は正本堂建設委員会の席上このように御指南されている。
    「じっさいには将来もっと大きく考えて、この地に大正本堂ができたならば、天母山になんらかの建て物を造ってもよいと思われます。今回は要するに、この正本堂建立をめざして全力をそそぎ、僧俗一致して偉大な世界的建築となる正本堂を造っていただきたいと思うのでございます。」(昭和40年2月16日、正本堂建設委員会での御指南 「大日蓮」昭和40年3月号) 【資料➡】

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●相承についての自語相違発言-------

「かくて日道上人。日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、『本門戒壇の大御本尊』を付嘱の法体として代を重ねること六十七、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。これが正系門家・富士大石寺の伝統である。」 昭和61年11月号『冨士』)
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「細井管長は昭和五十四年七月二十二日、入院していたフジヤマ病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。貫首の立場にある人が、誰もそばにいないとき、一人で急死してしまった。よって御相承をすることができなかったのであります。」(平成11年4月25日号 『顕正新聞』)

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●信仰の極意についての自語相違発言-------

「大聖人はどなたに御法を付属遊ばされたか、これが分らないと仏法はメチヤメチャになって了う。一人勝手な信心になって了う。 自分で勝手に大聖人を崇拝して拝んでも本当の信心は出来っこないのです。功徳はありません。何故かといえば大聖人の御法は付属を受けた方以外にはその極意がわからないからです。こういうと大石寺以外の者は「そんなせまい馬鹿な事が」というかも知れないが本当なのです「相伝に非ずんば知り難し」と仰せの通りです。(中略)  。だからわれわれは唯付属を受けられた御法主上人に随順し信心して行けばよいのです。」(「昭和37年2月号「富士」)
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 顕正会は、宗門から破門後、正系門家を標榜し自分勝手に信仰。

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●教団の名称についての矛盾発言-------

「顕正会が日蓮正宗と名乗っていたのでは、同じではないかと誤解をされる。説明するのが煩わしい。ゆえに顕正会は、今後、仏法上の立場を明確にするため、『冨士大石寺顕正会』と名乗って一国諌暁に臨みたい。」 (平成9年1,2月合併号 『冨士』)
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士大石寺」は日蓮正宗の名称であり、顕正会が日蓮正宗の名を語って騙していることには変わりはない。※顕正会は〝冨士〟という漢字を使用しているが、大石寺は開創以来、この漢字を使用した事は無い。

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●勤行についての自語相違発言-------

「何より仏道修行の基本は五座・三座の勤行である。この勤行に励む時、御本仏の御法魂また凡心に影を移し給い、自然と折伏の生命力が湧いて来るのである」(昭和40年『組長訓』)
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「けっして現在のいわゆる『五座の勤行』ではないでしょう。広く大衆を教化し実践せしむる時においては、五座の形はあり得ない。」(平成10年5月15日改訂「勤行御観念文について」)

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●戒名における自語相違発言-------

浅井甚兵衛(元妙信講講頭)には「直達院護法甚道居士」の戒名がつけられている。(昭和59年6月号 『冨士』)
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「塔婆は一切不要である。御在世においては戒名などはない。」(平成16年3月5日号 『顕正新聞』)







【3】浅井会長は御書を知らない! 〜引用御書を取り違えて会員を騙している!〜


 浅井会長が引用した『立正安国論』の 「国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし」の御文は、主人(大聖人)ではなく、客(念仏) から主人(大聖人)への問いなのです。
 第二祖日興上人は『遺誡置文』に「当門流に於いては御抄を心肝に染め極理を師伝にして」 と教示され、大聖人の御金言である御書を心肝に染めるには、仏法の極理を師伝された御法主上人の御指南に随順して、はじめて正しく理解することができるのです。


【4】顕正会の本尊は殆どニセ物=コロコロ変わる本尊の数と相貌

 顕正会員も、会館の御本尊や幹部の自宅の御本尊は、大御本尊につながっていると思って、純真な祈りをささげているはずです。顕正会では、創価学会と違い、「日蓮正宗から下付された正統の本尊だけが本物である」と教えているのですから、もし会館などにある本尊が、浅井が勝手に印刷したものだとしたら、純真な会員は衝撃を受けることでしょう。
「顕正新聞に書いてあることは全部真実だ!」と信じているでしょうが、その新聞記事において、所蔵する本尊の数や種類がコロコロ変わっているという事実を知っているのでしょうか。
 そもそも、破門された浅井昭衛が、「大量の本尊」を下付されうる道理が無いのです。死人に口なしで、松本師(今は故人)にそんな権限も力も無かったのです。たとえ能化といえども、「大量の本尊」を持たせるということは、宗門においてはありえないことです。
 
 とにかく、顕正会の最高指導者浅井昭衛が、自ら露呈した”自語相違”を、顕正新聞の実際の記述によりながら、その出鱈目な言説を検証してみましょう。以下に、建立に至る経緯から破却までの詳細を時系列に即して述べてみます。

●顕正新聞に明らかな、ニセ本尊の”証拠
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分 が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持 されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。 この七幅の常住御本尊とは、
  二十八代日詳上人  五十四代日胤上人  五十五代日布上人
  五十六代日応上人  六十代日開上人   六十四代日昇上人

 等の歴代上人御書写の御本尊であり、 このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。
 また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替 わった。 松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。 いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」

(顕正新聞 昭和60315日号)

「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの、歴代上人の御直筆御本尊七幅、日寛上人の御形木御本尊を多数、日布上人の御形木御本尊を多数、用意して、私に託して下さったのであります。 この松本尊能化の地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉る日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意して下さるよう敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。このときさらに松本尊能化は、「葬儀のときに困るでしょう」とおっしゃって、日寛上人御書写の「大日蓮華山大石寺」の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊 まで、六幅授与して下さったのであります。   私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」
(顕正新聞 平成11425日号)


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 ↑さて、十数年を経ると、日布上人の御形木御本尊が突如として現れます。 それだけにとどまらず、新たに「大幅の日布上人の御形木御本尊」と「日寛上人の御形木導師曼荼羅」が増えてしまいました。
 これはいったいどういうことなのでしょう。
「大幅の日布上人の御形木御本尊」は宗門に存在しないのです!
大幅の日布上人の御形木御本尊というものはそもそも、この世に存在したことがないのです。
 ただ、浅井は、すでに所蔵していた日布上人の御本尊(形木ではなく直筆のもの)から版を取り、模造本尊を生産するつもりで、上記のように、存在しない本尊をでっち上げたのでしょう。
 そっくり同じ本尊が複数存在するからには、それは御形木があって、それで印刷したのだと説明すれば、本尊に関する基礎的な知識が無い者に限り騙すことは可能です。
 御形木があると言い張れば、無知な会員を騙せると踏んだというわけでしょう。
 仮に、浅井が御形木を所有していたとしても、それで本尊を印刷することは教義上許されません。
そこを衝かれないために、浅井は、「大幅の御形木本尊が初めから多数ある」かのように言って見せたわけです。
実際には、既存の本尊から版を起こし、印刷して増やしたニセ本尊であることは、状況証拠からして明らかな事実です。導師曼荼羅に「大石寺」などという脇書はありえないのです!
 
もっとひどい嘘は、「日寛上人の御形木導師曼荼羅」です。
そんなものはこの世に存在しません。
 ただ単に「葬式用に導師曼荼羅をもらった」と言えばまだ良かったのに、真実味を出そうとしたのかわざわざ「脇書」に言及して見せ、「大石寺」の脇書があると言うのですが、脇書というのは、下付する相手のことを書くものであって、下付する主体のことを書くことはありません。
したがって、脇書に下付する側である大石寺の名が記されるのはあり得ないことで、通常は末寺の名前が入るのです。日蓮正宗の信徒なら、まずこの時点で、浅井の言説が嘘だということが明確にわかります。

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●松本日仁師は「御本尊返還」を命令していた
「実は九月二十八日に内容証明が一通まいりました。何事ならんと見れば妙縁寺の松本御能師の名前で差し出されている。「妙信講の本部会館に御安置の御本尊をすぐ返還せよ」とある。まさか、あの松本御能師がそんなバカなことを仰せになるはずはないのです。いまになって見れば、すべての実相がわかってきた。御能師にすべてお聞きしました。
 九月二十八日に御能師は突然本山へよび出されたそうです。そしていきなり、「妙信講の御本尊を取りかえすように」と猊下からいわれた。そこで御能師は 「自分には信義上とてもそんなことは出来ない、むしろ自分の首を切ってくれ」と言上したそうです。そしたら猊下は「すぐ取り上げるのではない。ケジメをつ けるのだ。松本さんも老齢だし、将来わからなくなると困るから貸与してある記録として内容証明を残しておくのだ」といわれた。
 そこで御能師も安心して、すでに宗務院で用意してあった案文を写し署名されたのです。
 その後、十月十一日に御能師はまた本山に登られた。その時猊下は、「もっと強気になって返還請求しなければだめだ。さもないと、妙縁寺の責任役員会を開かねばならぬようになるかも知れない」といわれた。(中略)
 そこで昨年十二月二十二日の御入仏式の時、すでに松本御能師と堅い約束の文書を取り交しておりました。松本御能師からは「十万達成して妙信講授与の御本尊感得の暁まで、本部会館安置の本尊として確かに貸与する」と覚え書きを下された。」

(冨士 昭和49年12月号 浅井昭衛理事長)

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 ↑そもそも、妙信講はすでに日蓮正宗から認められていないのですから、そんな団体に、御本尊を渡したままにするはずはないのです。
 返還命令は本気で行われたものであって、「貸与したことを忘れないための記録」などではなかったことは道理からも宗門の慣習からも明らかです。
 第一に、本尊のことは猊下が決めることであり、それ以外の人と「堅い約束」もヘチマもあるものではありません。浅井は様々な言葉を弄して話を分かりにくくしている感さえ抱きますが、解散命令の下った信徒らに信仰上最第一に重要であるところの本尊を渡したままにする「約束」など、いかな高僧といえどもする権限のあろうはずがないのです。
 そもそも、自分の所有物でもない御本尊を、「信徒を除名になっても永久にあなたのものです」などという「約束」が成立しよう道理がありません。
 浅井昭衛はこのように、都合の悪いことを次々と捻じ曲げては得意げにしゃべり、頭の弱い会員を騙し続けているのです。
 なお、この内容証明の一件により、顕正会にある本尊のうち、最低でも一体は本物が混ざっているということは間違いありません。


【5】顕正会では日蓮大聖人の仏法を知る事が出来ない=御書の所持は浅井会長だけ


 顕正会員は御書も持たされずに浅井会長の我見だけを信じ、宗門を誹謗し大聖人様の教えに背いています。 日蓮大聖人様は「此の経は相伝に有らざれば知り難し」と仰せです。
 浅井会長は、池田大作氏同様自分達に都合が悪くなると自分達の前言をどんどん覆し、御相伝に疑義を挟んでくる御相承の深秘を単に信解出来なかった不法の輩です。
 御書『頼基陳状』には、「誰人か時の代にあをがるヽ人師等をば疑ひ候べき。但し涅槃経に仏最後の御遺言として『法に依って人に依らざれ』と見えて候。人師にあやま(誤)りあらば経に依れと仏は説かれて候。御辺はよもあやまりましまさじと申され候」と、仏法を修行していくには、「法に依って、人の言葉に依ってはいけない」ということです。例えば、御書には「国立戒壇」という言葉は一切ありません。又、御書には「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、 大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・ 像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」(四恩抄)とあります。顕正会には、三宝のうちの「僧宝」が無いので、教学が狂うのです。










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