浅井会長の予言はことごとく外れる!  〜平成19年に核戦争で人類は滅亡?〜

 顕正会・浅井会長は終末思想で人心に不安を与え、勧誘の道具としているが、ことごとく外れる大妄語となっている。
■「第三次世界大戦の序幕はすでにはじまっている」(『冨士』昭和42年6月号)
■「次に迫り来る恐るべきものは飢饉であること間違いない。来てはならないと思うが数年以内には起こらんとしている。早ければ来年にも始まる」(総幹部会 昭和49年2月26日)
■「80年代こそ恐らくは世界大動乱の時代となる」(『冨士』昭和49年8月号)
■「あと25年で広宣流布ができなければ、核戦争によって人類は滅亡する」(第二十三回総会 昭和57年10月9日)

 浅井会長の自語相違録 〜コロコロ変わる指導〜

●正本堂は御遺命の戒壇!? 浅井会長指導-----
「時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において同上人(※日達上人)は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。 正本堂が、大聖人御遺命の「本門戒壇」に当るとすれば、その外に将来国立戒壇が建てられるということはなくなる。まさにこの説法は、国立戒壇の事実上の否定を目的としたものであった。
(昭和52年8月号 「富士」)  【資料➡】 

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■正本堂の御供養には妙信講も参加した!
「今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。
 少なくとも、管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず、もっぱら戒壇の大御本尊を安置し奉る建物であることだけを強調し、「供養の誠を捧げよ」と、宗門の全僧侶・信徒に呼びかけておられたのである。
 もちろん妙信講は、正本堂を、国立戒壇建立まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂字、すなわち大御宝蔵・大奉安殿の意と理解して、御供養申し上げんとしたのである。」

(昭和61年8月号 「富士」) 【資料➡】
    ◇解 説
     なぜ、浅井指導が昭和61年になって、「管長猊下は一言も正本堂を御遺命の「事の戒壇」などとは云われず」と、言い方を変えたのか。それは、この時には、妙信講が正本堂御供養に参加していたことが明るみになったからと思われる。
     そして、昭和40年2月に、日達猊下が「正本堂は御遺命の戒壇と言った」は完全なるウソである。
    日達上人は正本堂建設委員会の席上このように御指南されている。
    「じっさいには将来もっと大きく考えて、この地に大正本堂ができたならば、天母山になんらかの建て物を造ってもよいと思われます。今回は要するに、この正本堂建立をめざして全力をそそぎ、僧俗一致して偉大な世界的建築となる正本堂を造っていただきたいと思うのでございます。」(昭和40年2月16日、正本堂建設委員会での御指南 「大日蓮」昭和40年3月号) 【資料➡】

●相承についての自語相違発言-------

「かくて日道上人。日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、『本門戒壇の大御本尊』を付嘱の法体として代を重ねること六十七、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。これが正系門家・富士大石寺の伝統である。」 (昭和61年11月号 『冨士』)

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「細井管長は昭和五十四年七月二十二日、入院していたフジヤマ病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。貫首の立場にある人が、誰もそばにいないとき、一人で急死してしまった。よって御相承をすることができなかったのであります。」(平成11年4月25日号 『顕正新聞』)

●信仰の極意についての自語相違発言-------

 「大聖人はどなたに御法を付属遊ばされたか、これが分らないと仏法はメチヤメチャになって了う。一人勝手な信心になって了う。 自分で勝手に大聖人を崇拝して拝んでも本当の信心は出来っこないのです。功徳はありません。何故かといえば大聖人の御法は付属を受けた方以外にはその極意がわからないからです。こういうと大石寺以外の者は「そんなせまい馬鹿な事が」というかも知れないが本当なのです「相伝に非ずんば知り難し」と仰せの通りです。(中略)  。だからわれわれは唯付属を受けられた御法主上人に随順し信心して行けばよいのです。」(br) (富士 昭和37年2月号)

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顕正会は、宗門から破門後、正系門家を標榜し自分勝手に信仰。

●教団の名称についての矛盾発言-------

「顕正会が日蓮正宗と名乗っていたのでは、同じではないかと誤解をされる。説明するのが煩わしい。ゆえに顕正会は、今後、仏法上の立場を明確にするため、『冨士大石寺顕正会』と名乗って一国諌暁に臨みたい。」
(平成9年1,2月合併号 『冨士』)


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「富士大石寺」は日蓮正宗の名称であり、顕正会が日蓮正宗の名を語って騙していることには変わりはない。

●勤行についてのの自語相違発言-------

「何より仏道修行の基本は五座・三座の勤行である。この勤行に励む時、御本仏の御法魂また凡心に影を移し給い、自然と折伏の生命力が湧いて来るのである」(昭和40年『組長訓』)

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「けっして現在のいわゆる『五座の勤行』ではないでしょう。広く大衆を教化し実践せしむる時においては、五座の形はあり得ない。」(平成10年5月15日改訂「勤行御観念文について」)

●戒名における自語相違発言-------

 浅井甚兵衛(元妙信講講頭)には「直達院護法甚道居士」の戒名がつけられている。(昭和59年6月号 『冨士』)

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「塔婆は一切不要である。御在世においては戒名などはない。」(平成16年3月5日号 『顕正新聞』)


顕正会では、日蓮大聖人の仏法を知る事が出来ません 〜御書の所持は浅井会長だけ〜


 顕正会員は御書も持たされずに浅井昭衛氏の、浅薄な我見だけを信じて、宗門を誹謗し大聖人様の教えに背いています。 日蓮大聖人様は「此の経は相伝に有らざれば知り難し。」と仰せです。
 浅井会長は、創価学会の池田大作氏同様、自分達に都合が悪くなると、自分達の前言をどんどん覆して、御相伝に疑義を挟んでくるのです。 浅井昭衛氏は池田大作氏同様、凡夫の在家の御相承の深秘を単に信解出来なかった不法の輩です。
 御書『頼基陳状』には、「誰人か時の代にあをがるヽ人師等をば疑ひ候べき。但し涅槃経に仏最後の御遺言として『法に依って人に依らざれ』と見えて候。人師にあやま(誤)りあらば経に依れと仏は説かれて候。御辺はよもあやまりましまさじと申され候」と、仏法を修行していくには、「法に依って、人の言葉に依ってはいけない」ということです。例えば、御書には「国立戒壇」という言葉は一切ありません。又、御書には「仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、 大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・ 像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」(『四恩抄』)とあります。顕正会には、三宝のうちの「僧宝」が無いので、教学が狂うのです。

浅井会長は御書を知らない! 〜引用御書を取り違えて指導している!〜


 浅井会長が引用した『立正安国論』の 「国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。」の御文は、主人(大聖人)の御文ではなく、客(未入信者) から主人(大聖人)への問いなのです。
 第二祖日興上人は『遺誡置文』において、「当門流に於いては御抄を心肝に染め極理を師伝にして」 と教示されています。すなわち、御本仏大聖人の御金言である御書の一文一句を心肝に染めることは、信仰のうえから大切であり、それには仏法の極理を師伝された御法主上人の御指南に随順して、はじめて正しく理解することができるのです。

 顕正会員への宿題 

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大石寺から〝破門〟
された団体です

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