累計
昨日

顕正会の言う「国立戒壇」とは何か  〜元は国柱会・田中智学の「新造語」〜



 「国立戒壇」という言葉は、広宣流布の暁に建立される「本門寺の戒壇」について、明治期以降、「国立戒壇」という名称で表現されていた。これについいて、第66世日達上人は、この名称について、次のように訓諭を発せられた。

 「わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて《国立戒壇》という名称を使っていた。しかし、大聖人は、世界の人々を救済するために”一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ可し”と仰せられている。このことからすれば、《国立戒壇》という名称は、本来不適当であった。明治時代には、《国立戒壇》という名称が一般の人に理解しやすかったので、本宗でも使用したが、もとより、明治時代以前には、そういう名称はなかったのである。よって、いらぬ誤解を招いて布教の妨げとならぬ様、今後は《国立戒壇》という名称を使用しない事にする」
  この訓諭に対して顕正会は、
「広宣流布の暁の戒壇は、日本国家が建立する『国立戒壇』である。近代の御先師上人方も、皆、『国立戒壇』と云ってきたのに、細井管長(日達上人)ら大石寺は、違憲を恐れて『国立ではない』などと言い出した池田(当時創価学会3代会長)に諂ってこれを捨て去ってしまった。これは仏法を曲げる行為である」等と主張し、さらに、
「戒壇建立の必要手続きについては、『勅宣並びに御教書を申し下して』と定められている。『勅宣』とは国主たる天皇の詔勅、『御教書』とは当時は幕府の令書、今日においては国会の議決がこれに当る。正しく『勅宣並びに御教書』とは、正法護持の『国家意思の表明』ということである。(中略)この手続きの故に、御遺命の『本門戒壇』を、日蓮正宗では『国立戒壇』と称して来たのである。(中略)国家的建立の戒壇即ち『国立戒壇』云々」
「広布の暁には、天皇の詔勅(勅宣)・国会の決議(御教書)という形で正法護持の国家意思が表明され、国費を以って国家的に戒壇が建立される。故に、《国立戒壇》である」
と、勝手な主張をしている。
   しかし、これは「国立戒壇」という名称に固執するあまりに犯した間違い(謗法)である。

 そもそも、「国立戒壇」という名称は、「天皇陛下を中心とする神の国」という、神道を根本とする「日本国体思想」が叫ばれた明治時代において、本宗の本門寺戒壇思想の影響を受けた、国柱会(身延系の新興宗教)・田中智学氏が、明治35年に記した著書『本化妙宗式目』の中で初めて使用した「新造語」である。この名称は、時流に乗って大いに使用されるようになった。

 大正時代になって、「その《国立戒壇》に如何なる本尊を安置すべきか」が議論される様になり、他門との法論の中で、受けて立った本宗側も、「その《国立戒壇》に安置すべきは大石寺の戒壇大御本尊以外にない」として、以降自然に《国立戒壇》という名称を使い始めたのである。
これは、大聖人様が「太田左衛門尉御返事」において、
「指して引き申すべき経文にはあらざれども、予が法門は四悉壇を心に掛けて申すなれば、強ちに成仏の理に違はざれば、且く世間普通の義を用ゆべきか」 と仰せられた、弘教のために用いられた「世間普通の義」であると拝するものである。
 しかし、時代が変遷し、太平洋戦争敗北と国体思想の消滅、また、高度経済成長期の到来で民主主義が定着した近代日本においては、「国立戒壇」という名称は、時流に逆行した、「成仏の理」にそぐわないものとなったため、「国立戒壇」の名称を使用しないことに決定されたのである。

   こうした経緯も弁えず、近代の上人方が「国立戒壇」と仰せだからといって「今の大石寺は《国立戒壇》を捨てて仏法を曲げた」などと暴言を吐いたり、そんな戯言に騙されたりしてはいけない。
 また、「国立~」とは、広辞苑に「国が設立し管理しているもの」とある通り、その施設・建造物のどこかに、必ず国家予算が投じられて設立及び維持・管理・運営されているものであり、一切国家予算が使われていないものには、「国立~」という名称も使われない。大聖人様が、過去の例証としてよく挙げられる、伝教大師(日本天台宗の祖)が日本に法華経を流布し、勅許を得て建立した比叡山延暦寺の迹門戒壇は、国費を使用して建てられたものではなく、当時の日本天台宗の宗門予算と信徒の布施で建てたものである。故に、これが国立戒壇でないのは当然であり、日本天台宗も、「国立だ」なとどは一切言ってない。
 この「国立」の定義について指摘すると、顕正会は、「自分達が、いつ国費で戒壇を建立せよなどと言ったか。国立といっても国費で建てる訳ではない」などという、珍妙な言い逃れをしているが、これは自語相違というものである。なぜなら、他ならぬ浅井会長自身が、顕正新聞平成2年1月15日号で、
「私も、広宣流布の時の本門戒壇建立に際しては、国費だけでなく全国民の自発的な御供養があって当然だと思う」 と、国費を使うことをはっきりと言っているのである。
また、国費を使わないのなら、延暦寺の迹門戒壇と同じで「国立」には該当しないので、「国立戒壇」などという紛らわしい名称は、自ら捨て去るべきであろう。
 ちなみに、最初に「国立戒壇」という名称を提唱した田中智学氏の国柱会だが、こちらの方でも、今やこの名称は使用してないそうである。顕正会は、素直に自らの非を認め、御法主上人猊下に懺悔するべきであろう。

 現代、〝国家に何も権力を持たない天皇〟は国主ではないことは小学生でもわかる。また、民主主義国家である日本の国会もまた、選挙制度により度々政権交代をする背景と、時の首相が変わるたびに国家運営も変遷するゆえ、国家の決議など砂上の楼閣であり、仮に国立戒壇を建設したとしても、首相変われば即座に解体する可能性も十分にある。これでは、広宣流布の条件である「令法久住」が成り立たない。いかに浅井の考えが〝浅井〟浅識であるかよくわかる。


 
 


   

↑ PAGE TOP