---SKD創価学会・顕正会脱会ネットワーク---   

 



 14)我々は三大秘法を広宣流布すべきなり (字幕有効)
 
 このもったいない、南無妙法蓮華経という、三大秘法の御本尊様が、富士大石寺にありながら!全国の人は誰もこれを知らない!即ち大聖人様の広宣流布は、法体の広宣流布、化法の広宣流布とも申します。我々の広宣流布は、化儀の広宣流布。化儀の広宣流布を我々はすることになるのです。
 「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。」(三大秘法稟承事)
 もし、この三大秘法のこと、即ちまた戒壇建立の命令、これを書き付けておかなかったなら、三大秘法のことをハッキリ言っておかなかったならば、さぞや門下の弟子どもは、遺弟どもは、後でさぞや、この大聖人様は御慈悲の無い方だと恨むであろう、こう御思いなされている。
 そりゃそうですね、この御書がハッキリしてませんとね、三大秘法をハッキリすることできないんですよ。この御書にて「三大秘法稟承事」、この三大秘法ということがハッキリと、立てられておりますがために、この御本尊を拝む拝み方において、邪宗と正宗の差がハッキリつけらてくるんです。ですからこの御書は大事な御書なんです。
 ※創価学会は、平成26年11月8日、
「弘安2年10月12日の大御本尊を受持の対象にしない」と発表した。

 15)弘安2年10月12日の大御本尊でなければ仏天の加護は無い! (字幕有効)
 民衆のこの、今日本の国の、苦悩というものは、貧乏と病気ではないか。ただ家の中のことは、夫婦喧嘩なんて贅沢だまだ。本当ですよ贅沢の内に入りませんか。親父さんが失業して食えなくなったら夫婦喧嘩…やるかな、益々やるかな。
 夫が死にそうだ、女房が死にそうだって病気になってりゃこりゃやらないだろうけども。贅沢の内に入ります。今のところ、まずまずは貧乏と病気です。これを、仏様がおられて、御救いにならないわけが無い!
 その、我々の貧乏と、苦悩を、救わんがために大聖人様は、大御本尊を建立して残されたのであります。
 これは、弘安2年10月12日の大御本尊ただ一幅なのですよ!そこからずっと出て来る!深甚の方程式によりまして、他の御本尊、どこの拝んでも絶対ダメなんです!弘安2年10月12日の御本尊から出発したものでなければ絶対ダメなんです!法脈が切れてますから。日本国中ともに皆、日蓮正宗の大御本尊を拝み、広宣流布しておかなければ、仏天の加護はありません!ですから私はそれを思うと、一日も早くこれは大衆のために、日本民衆のために、国家のために、一日も早く広宣流布せにゃんらんと悩む次第なのであります!
 ※創価学会は、平成26年11月8日、 「弘安2年10月12日の大御本尊を受持の対象にしない」と発表した。

 16)法華経誹謗の僧の生まれ変わりは何者か (字幕有効)
 
  般泥洹経に云く「当来の世仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し懶惰懈怠にして此れ等の方等契経を誹謗すること有らん当に当に知るべし此等は皆是れ今日の諸の異道の輩なり」等云云。(佐渡御書)

 ↑日蓮正宗から離脱した蓮華寺

 法華経を誹謗する坊主が、未来に生まれる。そのまた、どういう奴が生まれるかというと、今、釈尊のおった時に、外道の、即ち婆羅門やって、仏法悪口言ってる者がそういう風に生まれてくるんだ、そういう意味です。そうなってくるとね、こういうことになるんです。
 大聖人様の御時代に、あるいは良寛とか、あるいは法然の弟子とかそうやった者は、いったいどういう奴かというと、昔、仏法を腐した、外道の者が生まれてきて、仏法をやってですね、そして今度は正法を邪魔するんです。その良寛とかなんとか、大聖人様の邪魔をした奴がいるでしょ、大聖人様の事を邪魔をした奴が、今生まれてきて、仏立宗の坊主になってるんだよ。
 本当だよ、この(佐渡御書の)原理から行くと。そうでないと言うなら、大聖人様は仏法を嘘ついたことになりますよ。大聖人様を散々虐めた悪い奴ですね、あんなのの頭数が仏立宗の日扇なんて奴になったんだよあれ。今、仏立宗の坊主の顔見たら、ああこれは大聖人様を虐めた野郎だと思えばいいんだ。霊友会でも立正佼成会でも、天理教の坊主でもみんなあれは、仏法をば悪くいった野郎どもがああいう風になってきた。そして日蓮正宗が今、本尊流布するにあたって邪魔する。
 そうすると今度どうなるか、あいつら今度死ぬと日蓮正宗の中に生まれてくるんだよ。そうして、蓮華寺(宗門から離脱)の坊主みたいになってくるんだよ。まことにこれは面白いもんだぞ。

※蓮華寺:大阪市北区の寺院。元は日蓮正宗だったが、昭和29年頃から宗門に反発し続け、当時の創価学会にも敵対視した。このため、戸田城聖の逆鱗に触れる事になる。結局、蓮華寺は昭和39年宗門を離脱、日蓮実宗を創設した。
※現在の創価学会は、この「蓮華寺」の内容を削除し、悪用(宗門誹謗の材料に)している。

 17)政治は、一党一派に偏するものではない (字幕有効)
 私の理想から言うならば、今日全国に五十数人の人々が、文化部員として政治運動に参与し出したということは、広宣流布の大行動よりすれば、豆粒のようなものであります。
 ただここに一言断っておかなければならないのは、政治のための政治ではありません!
 またある人は、そういうのならば、創価学会党(現在の公明党)というようなものができて、それで広宣流布するのではなかろうかと、考えるかもしれませんが、決して政治のための政治ではありませんから、一党一派に偏するものではありません。 文化部員が、ひとりは社会党であり、ひとりは自由党であり、ひとりは民主党であり、中にはひとりは共産党がいても、いっこうにさしつかえないのであります。
 それは、政治のための政治ではなく、それは、広宣流布のための政治であるからであります!
 ※公明党は完全な政教一致であり、池田大作の「日本乗っ取り・天下取り野望」のための党である。
 ※池田大作発言「私が教わったのは帝王学だ。 私は最高権力者になる。そのときには 創価学会を解散してもいい」
 (現代:昭和45年7月号 )

 18)末法の法華経の行者は大聖人ただお一人 (字幕有効)
   末法において法華経を行ずるならば、三類の強敵がある。なかなかやれるもんでない!こういう風な、難を説いている経文、その経文を、身で読んだ。身で読んだということは、日本の国には大聖人様御一人しかない!誰も今まで過去にも無し、未来にも無いでしょう。

 ↑日蓮大聖人 佐渡・塚原跡
 八十万那由他の菩薩が、この勧持品の(二十行の)偈を唱えたけれども、その中で一人も修行した者は無い。大聖人様御一人。その中に、「数数見擯出(さくさくけんひんずい)」という言葉があるんですな、この、勧持品の中に。数数(さくさく)というのはね、擯出(ひんずい)というのは島流しの事、所を追い払われる事です。大聖人様は、伊豆と佐渡と、二度です、二度擯出(ひんずい)されておりますから、数数(さくさく)の文字を、身で御読みになったということにちゃんとなってるんです。
 他の者はね、二度流された者は無い。二度流された者は無い、法華経のゆえにですよ、ですから天台大師はただ悪く言われただけ、伝教はただ海を渡っただけ。そんな、大聖人様のような、勧持品の読み方はしておらない。末法の御本仏は勧持品を読んで、勧持品において証を立てられてる。
 ※創価学会は、池田大作を「末法第二の法華経の行者(仏)」と称する邪説をとなえている。
 ※更に創価学会は、平成28年11月、「創価学会仏が出現」という邪説を発表した。

 19)日蓮正宗の僧侶の悪口を言うと王難に遭う (字幕有効)
 「善戒を笑えば国土の民となり王難にあう」(佐渡御書)

 ここだ。(日蓮正宗の)坊さんの悪口言っちゃいかん!とワシはいつも言う。善戒と申しましても、今日本の国で善戒という戒はですね、南無妙法蓮華経を唱えてる人(僧)にか善戒は無い。
 その人(僧)を笑えば、あるいは憎めば、必ず国土の民、この条件が面白いですね。これは民放にも通じ、刑法にも通じるところでありますが、国土の民にならなければ王難に遭いようが無い。国家というものの無い所に生まれた時に、刑法上罪を受けるわけが無い。刑法のある国、王難に遭うということは、牢に引っ張られるという事だ。
 それは、だから(日蓮正宗の)坊さんの悪口は言うてはいかん、ワシが言う。「何だあの坊主」なんて、そんなことあまり言うなよ。王難に遭う。王難って警察に引っ張られる。その罪を作るから、言うてはいかん、(日蓮正宗の)坊さんの事は。
 ※戸田会長は「自身の投獄は日淳上人を誹謗した罰であり、牧口先生が獄死したのも〝僧侶誹謗〟の罰である。」と語っている。

 20)戸田城聖の教学の師匠は、総本山第59世日亨上人 (字幕有効)
   畑毛の御隠尊猊下(第59世日亨上人)に私はこう言った事がある。「一体、日蓮正宗ってちっぽけな集団でね、ちっとも繁盛してないじゃありませんか。ダメですよ。」
 (第59世日亨上人は)「あんた(戸田)が戦国時代に生まれりゃ良かったんだ。戦国時代に生まれてりゃ、あんたみたいな人が出ておれば広まったんだ。戦国時代にあんたが生まれなかったからダメなんだ。」

 ↑昭和29年頃の伊豆畑毛の雪山荘
 だから私は猊下に返事した「あなた(59世日亨上人)が先に生まれてくれば、ワシ(戸田)が後から生まれるんだ、あなたが遅いんだ…。」それはその通り。実際の事ですよ。今私が広宣流布、すごく頑張っておりますけれども、この教学がですね、今の御隠尊猊下が50年かかって御作りになられた。
 あれが、あの仕事から私がやらなきゃならんかったらですね、できませんよ。有り難い事には、畑毛の御隠尊猊下が、きちっと教学をまとめてしまった。こっちはそれを使えばいいだけなんです。まことに有り難いんですよ。その教学まとめあげるのにね、50何年かかってらっしゃる。
 ですから、畑毛の御隠尊猊下の所に行きますとね、あらゆる、日蓮正宗に関した事が、日蓮正宗って大御本尊様ですな。南無妙法蓮華経に関した事が、何でもあそこに置いてある。無い物は無い。小説まで集めてる。その中から要なものを10冊にして、今、畑毛の猊下方がしておられるのが、「富士宗学要集」ってやつなんだよ。
 そのうち最も要が「六巻抄」といいまして、「三重秘伝」とか「末法相応抄」とか、これがわかれば、日蓮(正)宗の、大聖人様の御真意がピタッと掴める。

 21)御本尊は「十界本有常住」〜単なる紙ではない〜 (字幕有効)
  「此等の仏菩薩大聖等、総じて序品列座の二界八番の雑衆等、一人ももれず」(日女御前御返事)
 今、申しましたように、あらゆる神々や、仏菩薩、全部ですね、あなた方が知ってる名前のが全部、あの御本尊の中にザーッと座ってることになってる。単なる紙じゃないんですよ、紙じゃないんです。

 ↑日女御前御返事
 ですからね、紙に印刷したと思えばそれっきりだ。 本当に御本尊様を拝し、大聖人様の顔に見えたのなんだの、みなそれインチキだぞ。あの御本尊様、大聖人様御一人がそこに座ってる御本尊様じゃないんですよ。大聖人様中心に御座りになって一緒に、ちょうど、こう思えばいいんです。あの御本尊様拝んで、紙だけがスーッと無くなってね、御文字だけが空に浮かんでるというこういう考え。そうして、大聖人様中心で、あらゆる、今度その後ろに、観と言いますがね、こう考える事、観、仏教では観と言います。観心の観です。その後ろにザーッと仏様と仏菩薩がザーッと並んでる。
「此の御本尊の中に住し給い、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。」(日女御前御返事)
 即ち、南無妙法蓮華経日蓮と御認め、あの南無妙法蓮華経に照らされて、仏は仏、菩薩は菩薩、各々第六天の魔王、本有、元々の立派な姿となって御本尊の中にある。みな、南無妙法蓮華経に照らされて、本有の尊形となる。
 南無妙法蓮華経に照らされなければ本有の尊形にはならん。なぜかならば、第六天の魔王といえども、あるいは人の命を奪う鬼子母神といえども、そりゃみな仏法のための、所作なんですから。南無妙法蓮華経に照らされないですっ飛ばしてしまうと、勝手気ままの第六天になる。勝手気ままの鬼子母神になる。仏の、南無妙法蓮華経の威光に照らされて、初めて人を助ける第六天になり、人を助ける鬼子母神に変わるんですからして、本有の尊形となるんです。
 ※池田大作は、平成5年9月7日、「本門戒壇の板御本尊、ただのモノです。」と発言した。

 22)日蓮正宗の法水写瓶は永遠に清浄 (字幕有効)
 法水写瓶、唯我与我の御境涯、日興上人様は法水写瓶、この水というものは綺麗なものです。いつでもワシは同じことを言う。ここへですね、綺麗な水ですよ、ここへですね、今私出したのは仁丹です。
 ここへです、こう仁丹入れて飲みなされと言えば誰でも飲むけれども、
 これウンチだとするんだよ、これ小さいんだよ、いいじゃないか一粒くらい入ったって汚い事無いからと、飲みますか?あんたがた。ウンチが一粒入ったから、香りがいいから飲もうなんて、そういうわけにいかないでしょ。
 ウンチですよ、それと同じに、仏法という者は清浄にして、最も清くなければいけない。そこへ一粒入れてどうだって無理でしょ。だから、日蓮正宗においては絶対にウンチやそういった汚い物は止める、清浄なる法水だけでいい!絶対に、そんな間違いなんか起こらん!

 23)「絶対的幸福」は弘安2年10月12日の大御本尊の信受のみにある (字幕有効)
 私は幸福観、これ仏法上の用語でなくて、仏法上の用語を、現代語に直して言うてるんですが、相対的幸福と、絶対的幸福とこうあるんですね。相対的幸福というのはですね、家の無い者は家ができれば嬉しいと、貧乏してる者は金持ちになればいいと、身体の弱い者は丈夫になればいいと、これは、ある対象を置いてですね、それを自分が取れば幸福だと、その境地にいけば幸福だというのを、私は相対的幸福と言ってるんですよ。
 仏法はそれだけじゃないんです。絶対的幸福観というものがあるんですな。絶対的幸福というのはですね、どこにおっても、生きてる瞬間瞬間そのものが幸せなんですよ。そして、自分が生きているという事、心の底から喜び切っていくんですね。そういう境涯が、誰人にも壊されないその幸福観ですね、それを絶対的幸福と称してますが。そこまではね、そこまでいくのが、この日蓮(正)宗の、大聖人様の目的なんですね。我々そこまで連れて行こうっていうのが。即飛びにはいきませんから、相対的幸福というものをつかんで、絶対的幸福へ行けるという確信を持たせるわけですね。
 ---質問:その方途としては?---
 方途としてはですね、大聖人様が、一閻浮提総与の大御本尊、そういう御本尊は、弘安2年の10月12日に御顕しになってらっしゃる。この御本尊をただ受持して信じて、そして南無妙法蓮華経と唱える、それだけで行け、というのが日蓮大聖人の最後の断言なんですよ。それだけをすることなんです。
 「不渡余行」と言いましてね、余行に渡さずというその、教えがありましてね、大聖人様がこれは絶対に言い張っている事です。他の行をやっちゃいかん。これだけだと。よく、「神棚を外せ」と我々の宗教は言うんですがね、神棚は関係ない、外さなくていいんです。神札だけ取れと私は言うんです。他の神様はダメだと言う、仏様はダメだと言う「不渡余行」、余行に渡さずという原理から言ってですね、それをやらして、清浄な境地において弘安2年の御本尊をただ拝むと、そうすりゃ(絶対的幸福に)なりますよ絶対に、百発百中と言ってさしつかえないほど、願いが叶っていくんです。
 ※創価学会は、平成26年11月8日、 「弘安2年10月12日の大御本尊を受持の対象にしない」と発表した。






【インタビュー】
故・大橋慈譲御尊師

(質問:戸田会長という方は、宗門に対してどのようなお考えを持った方だったのですか?)
 大橋師:それは、宗門を絶対守るという考えの人ですよ。今の学会を考えて戸田さんを見てはいけないと思う。当時昭和25年のころの学会というものを見て、戸田さんを考えなければ。そうじゃなければ歴史を正しく見れないよ。ややもすると、池田と一緒にして戸田さんも悪く言われるようなことがあるけれど、そうじゃないよ。現在から過去を見るのは社会学で、過去から現在を見るのが歴史学なのだから。
(質問:でも、戸田会長の指令で、当時多くの宗門僧侶が青年部たちに吊し上げのようなことをされましたよね。)
  大橋師:そうだね、しかし戸田さんの常の考えは、「宗門僧侶は無能な僧侶では困る」と、「僧侶は一生懸命に勉強をしてもらって立派な宗門になってもらいたい」と考えていたからね。
(質問:我々若い者は、本や資料によって知る以外、昔のことは当然知りませんから、どうしても現在の学会の組織悪や膀法問題も、戸田会長の時代にその淵源があるものと理解しがちですが。)
  大橋師:歴史というのは今の時代から考えてはいけない。その当時の状態、すなわち時代背景を考えなければならない。堀日亨上人は、当時の学会や戸田さんを信頼していらっしゃったよ、今の基準で考えると「ちょっとー」と思うかもしれないけど、その当時の事実を考えないといけないからね。池田が出てから学会と御山の関係もみんな狂ってしまったんだ。だから今の考えで歴史を考えてはダメだよ。 (質問:創価学会に対する思い出や、体質などを、善悪含めたかたちでお話し願えますか。)
 戸田さんの考えはもう、宗門は絶対、法は守るとの考えでいた人だから、宗門を利用しようなんていう考えは無かったと思うよ。
 やっぱり(池田は)学会主・宗門従という考え方だな。始めはそう思っていなかったのだけれど、だんだんそういう考え方が増幅していったんだな。「俺たちが一生懸命やっても坊さんは何もしないではないか、折伏もしないし、勉強もしない。大聖人の真の弟子は俺たちの方ではないか」という増上慢な考え方をするようになったのではないかな。
 堀上人は、「お前たちしっかり勉強をしないと、学会の人達に負けるぞ」と言われていたね。まあ、堀上人の考え方では、深い信仰を持って一生懸命勉強をしていく。それが真の大聖人の弟子である、との考え方だったからね。でも池田は、本当に学会主・宗門従という考え方になってしまったね。逆に戸田さんは、「坊さんは将校で学会は兵隊だ」という考え方だったからね。「大将がしっかりしなかったら兵隊がついていけないじゃないか」と言ってね。それで、「宗門の坊さんは皆立派になってもらわなければならない」と言っていた。ほんとうにそう思っていたね。
(妙教:第116・117号)






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