---SKD創価学会・顕正会脱会ネットワーク---   

 



 33)五老僧はなぜ御本尊を不敬にしたか ~唯授一人の奥義~ (字幕有効)
   質問:五老僧は、大聖人の直弟子なのに、なぜ大聖人様の御本尊様を粗末に扱ったのか

 いい質問ですなこれは。実にいい質問をしてくれました。今の質問は最も大事な質問です。 第一、この問題について言わなきゃならん事は、2つ3つ4つとありますが、第一に、大聖人様のお側で給仕が足りなかったのです、六老僧のうち(五老僧は)。
 みな大聖人様に服して、そうして南無妙法蓮華経ということを弘めにかかりましたが、さ、お側でね、本当の真実を聞く時間が少なかった、他の五老僧は。これが一つ。
 それから、大聖人の仏法の行き方を、お側ですっかり見ないからわからない。なぜかならば、第一番に大聖人様が仰せあそばしたのは、南無妙法蓮華経だけなんです。まず南無妙法蓮華経へ入れる前に、「法華経、法華経」と仰ったのです。
 これを「教相・観心」と読むのです。教相の面においてみな服したのです。 なぜかならば、その頃、みんな学者なんです、それらは。それで、法華経ということは知っているけれども、南無妙法蓮華経の真実がまだわからない。大聖人様は、まず南無妙法蓮華経ということを染み込ませたのです。
 それから佐渡へおいでになってから、御本尊の御出現なのです。それから帰ってから、未来の我々に対して、戒壇の建立と、この三つ(三大秘法を弘める順序)に分けていらっしゃるのです。そうなると、佐渡以後の本尊建立に対しては、本尊建立に対して前の五老僧はわからないんですよ。
 ですから、御本尊とはどれほどのものかということは、「常随給仕」と申しまして、そばについて離れなかった御開山・日興上人しかわからないんです。
 これを「唯授一人」といいまして、ただ一人しかわからぬのです。 そういう意味で、今のように、交通機関が発達しておりませんし、大聖人様の化導の方法が、題目→本尊→戒壇と、こう出ているのですから、みないっぺんに出してくれたら助 かったのにと思うのですが我々なりには、南無妙法蓮華経を聞いたことがない連中を相手にして教えるんですもの、せめて南無妙法蓮華経とわかっただけでも感心なんだ。しかも、地方在住の棟梁ですよ。
 ですから、南無妙法蓮華経だけ覚えた。御本尊様を覚えないでしまったんだ、五老僧が。それを、御開山様はお叱りあそばしたんです。「何だ!」と 「南無妙法蓮華経がわかったら御本尊様がわからないわけはないじゃないか」と。「御本尊わかればいいじゃないか」と。
 あのころ、天台のね、阿弥陀のような儀式がありまして、死んだらね、そこへなんか入れて同じにやるのです。阿弥陀さん一緒にくっつけてやるとか、大日如来をくっつけてやるとか、そういうしきたりがあるんです、あの時に。ですから大聖人様の御本尊をね、平気で棺の中へ入れちゃう。
 それで、御開山様が、「もったいない、そういうことは、全部、御本尊様は集めろ」と、こういう御命令をだして御本尊を集めたのです。だから身延なんか、なんにも無いわけなんだよ。 身延にある本尊は、三千円で仲間で買った本尊があるだけだよ。買ったんだよこの間。身延に、大聖人様の御本尊があるわけがない。もったいない、みんな棺の中に入れてやるんだって、 だから、五老僧は本尊論がわからない、題目論はわかったんですよ。
 そこが、「三重秘伝」の奥義なんだよ。今、学会で三重秘伝などと、ヤカマシイことをいっているのは、そこなんだよ。本尊論がわからない。 だから五老僧が、それで御開山様に叱られたんだ。反対したんじゃないですよ。五老僧が御開山様に叱られたと読まれなければならない、あれは。「五人所破抄」というのは。
 ましてや「戒壇論」なんかわかるわけがないじゃないか。 戒壇論は今、そう言うては、「また戸田の野郎、景気のよいことをいう」と言われるかも知れませんけれども、七百年後に出て、戸田城聖がまさに解決せんとしているじゃないか。そういうわけならわかるだろ。
 ※現在の創価学会は、「唯授一人」を否定している。

 34)(日蓮正宗の)御本尊返却の人の末路は怖い (字幕有効)
 質問:御本尊をお返ししたその者が、どのような不幸な状態になるかをお聞きしたい。

 それは怖いぞ。これは怖い。それは、ワシも、友人に、ワシの友達ですよ。牢の中へ放り込まれた連中が、二十何人といるが、これは戦争時代のことです。
 その時(牢へ)放り込まれた奴らが、みんな、おっかながって御本尊返してしまった。それが、今、一人として、ロクな者がいない、生活が出来ない。中には、牢にも入れられないのに御本尊様を粗末にした人間もいる。その頃は立派な姿だった。今は四畳半にもおれんのだぞ。だから、御本尊様を粗末にして、満足に生活できたらお目にかかろう。私は、名前を言うわけにはいかんけれども、今でもワシのところに時折、顔を出す人間もあるが、御本尊様を粗末にした者でロクな者、一人もいない!昔の創価学会の幹部だぜ、それが。怖いもんだぜ、これは。
 ※現在の創価学会は、日蓮正宗の正しい御本尊を捨て、ニセ本尊(コピー)に交換するという暴挙を行っている。

 35)罰と転重軽受 ~絶対に御本尊を捨ててはならぬ~ その-1) (字幕有効)
 罰という問題ですがね、これは、仏様が罰を与えるというふうにとるのは大間違いです。罰というものは、自分のもっている運命が出るものなのです。罰を与えるとかなんとかということを、よく言うておりますが、そんなもんじゃないのです。 罰というのは、宿業のことです。自分の身にもっているものが出る。
 今朝、便所行ったらウンコに当たったなんて奴は誰もありゃしない。あれは、体にある物が出たのです。これからちょっと小便に当ててて来るからなんて奴はいやしない。あれは、自分の身にある物が出るのです。それを罰とも宿業ともいうのです。そんなもの、人に当てられてたまるものかい。なんぼ仏様でも、罰なんか与えるわけないよ。ただ出るだけのこと。ウンコに当たったなんて聞いたことない。自分の身にある物が出たのです。
 御本尊を持っていると軽く出るのです。 「山を登った者は必ず降りなければならぬ」と、大聖人様は仰っています。過去世にもってきた宿業は、必ず出さねばならぬと仰せです。ですから、罰というものは、わが身にあるものが、出るのです。それが軽く出るのが、この仏法の極理なのです。
 ですから、おそらく、あなたが受けた運命というものは、今は苦しいかもしれませんが、ワシは軽いものだと思うております。もしそれが、この御本尊を受けなかったら、重く出るんじゃなかったかと、私は思うのです。この御本尊様を頂いておりますれば、出るのが軽く出るのです。
 ですから、今でも私は軽いのではないかと思います。この片腕を取るという、取られたらしょうがない。小指一本取られた、その代わりに。とこれが、これ(片腕)を取られるということを知らない場合に、「なんだ!御本尊様を拝んで小指を取られたじゃないか、そんなばかな話ないじゃないか!」こう言うのです。
 しかし、これ(片腕)を取られるということがわかっておって、これ(小指)が取られたのなら「ああ、助かった」とこう思うのです。そこだ。これを「転重軽受法門」というのです。そういう法門の理でありまして、私はいまのご質問の方は、それでも、軽く受けているのではないかと私は思うのです。(つづく)

 36)罰と転重軽受 ~絶対に御本尊を捨ててはならぬ~ その-2) (字幕有効)
 (つづき) ここでまた、御本尊を捨てたら、その運命は、また重く来る。軽く受けさせてやったのに、まだ文句言ってる。そんなバカ話はない。それは、罪というものは、それで消えているはずなのです。二度続くわけはないはずなのです。軽く受けているんですよ。 私は、そう断ずるがね。ですから、それを、結句、変毒為薬と申しまして、毒を変じて薬とする。
 そのことがあなたの信心と、あなたの誠意とによっ て、必ず軽く、またそして、そのことが、あなたの一生の生活に、徳になってくるはずなのです。変わってこなければならん。ならば本当の信心じゃないよ。今、あなたは苦しむでしょう、嘆くでしょう、つらいでしょう。
そのことが幸せに変わらなかったら、本当の信心じゃありませんぞ。御本尊様は本当というわけにはいきませんぞ。
 悩み、苦しみ、そのことが幸せに変わってこなければいけない、それが御本尊様の功徳!
 ですから御山(大石寺)に登った以上には、大御本尊様に対して、あなたの心からのことをお願いしなさい。必ず通る!通らなかったら御本尊様じゃない!必ず、あなたの願い通りになります! おわりか?それで。
 (日蓮正宗の)御本尊様を返すなんて根性がよくないよ。そんなことをするから、ロクなことなことが起こらない。 ただ宿業のままに出てくるのです。それを罰という。宿業のままに出る。御本尊様を拝んでいれば、宿業のままに出ても、軽く出る。同じ形では出るけれども、軽く出る。それでそれが、必ず御利益に変ずるのです、御利益に。そこが大事なとこなんですよ。この御本尊様のありがたさはそこなのです。
 ワシの言うことを信じて、御本尊様へ向かって、もし、御開扉願った後であったならば、こちら(客殿)の、これは御開山様(日興上人)の御本尊ですから、この御本尊様にちゃんとお願いして帰りなさい。必ず願い通りになるはずだ!ならんかったらワシの所に文句言ってきなさい。
 ※現在の創価学会は、日蓮正宗の正しい御本尊を捨て、ニセ本尊(コピー)に交換するという暴挙を行っている。

 37)広宣流布は一朝一夕にできるものではない (字幕有効)
   さりながら、広宣流布と言うと雖も、一朝一夕になるものではありません。今、仮に、広宣流布ということが現実に行なわれたとする。一朝一夕になるものではありません。今、仮に、広宣流布ということが現実に行なわれたとする。「勅宣・御教書」を賜わって、御本山が広宣流布の姿をとって、大客殿に 大御本尊様がお出ましになったとしたならば、

 ↑躍進する日蓮正宗・世界広布の勢い
 誰人が大御本尊様のありがたさを日本中の人に伝え、又かつ、あそこに参拝する信心無き人々が、どれほど御本尊様を粗末にすることでしょうか。
 あたかも身延の山へ行って、あるいは成田山へ行ってお礼をもらうがごとく、大御本尊様を頂いてきて、隣近所にみやげにくれて、その人達は何枚ももらって、「なんだ、またか、またか」ということになる。御本尊様を粗末にする事が、日本国中に充満するでしょう。 その時には、広宣流布の姿をとりながら、日本国謗法、日本亡国の姿が厳然と現われるのです。
 それがために、まず前提として、真の広宣流布は、(折伏をしての)本尊流布をしなければならないのであります。日本国中の人々が、いかに大御本尊様がありがたいか、ということを肝に銘じてこそ、真の広宣流布ができるのであります。  これがためには、なまじっかな闘争では、決して広宣流布はできない。

 38)「種脱相対」は日蓮正宗独自の法門  (字幕有効)
 種脱相対という学問でありますが、これは(説明が)面倒なことでありますから抜きますが、これなどは、身延などは露程も知りません。
 身延のいかなる偉い坊さんといえども、この種脱相対の本義は絶対に知っていないんです。ましてや、100年位前にできた仏立宗などは、鼻の糞の先を100万分に割った程も知ってるわけはない。
 まして仏教を研究したことのない天理教のような与太者が、どうしてわかるはずがあるものでしょうか。これをわかるのは日蓮正宗だけなんです!

 39)「秘妙方便」とは、御本仏の立場(随自意・体内)である。  (字幕有効)
 それで、迹門の経文では、方便品を読みまして、これは「秘妙方便」と申しまして、秘妙方便で申しますのは、方便は方便でも、方便には、嘘も方便なんて言いますけどこれは嘘です。方便というのは、法用方便・能通方便・秘妙方便と、方便には三色しかない、仏法では。法華経の方便は「秘妙方便」に入るのです。
 「秘妙方便」というのは、凡夫も仏も同じ同体であって、しかもそれ(仏)が、「凡夫の姿でいる」のが方便だということです。それで、十如是は、即ち御本尊を言うとるのです。
 如来秘密神通之力は、南無妙法蓮華経の如来の秘密神通之力なんです。ですから寿量品を読むのです。それから、自我偈は「自我得仏来」は、我仏来自ら自得せり。「自我仏佛来」の自と、得の自を除く「我仏来」になるんです。「我仏来」は三身如来を意味するんです。それを「自ら自得せり」という大聖人様の御境涯(倶体倶用の無作三身)を説いているんです。ですから、「自我得仏来」の自と、「速成就仏身」の身とを入れると、(大聖人)自身の経文なんです。
 ※現在の創価学会は、「秘妙方便」の事を、「凡夫(民衆)こそが本仏、仏(大聖人)はその“影”である。本因妙の教主(大聖人)は、地涌の菩薩のリーダー・九界の代表に過ぎない。“仏があって凡夫がある”のではなく“凡夫があって仏がある”のだ。仏(大聖人)=人間の影であり、用(働き)であり、人間(民衆)のための手段にすぎない、それが秘である(趣意)。」と、能所逆転のとんでもない解釈をしている(法華経の智慧:池田大作著)。

 40)大聖人様は世界第一の仏である  (字幕有効)
 「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり、天のあたへ給うべきことわりなるべし」(別当御房御返事)
 すなわち大聖人様は、閻浮第一の法華経の行者である。 「法華経の行者」という言葉はですね、これ、「御義口伝」によりますれば、南無妙法蓮華経の仏という意味です。
 法華経の行者というのは。 大聖人様は御書の中にね、「法華経の行者、法華経の行者」という文字が随分あるんです。 これは今の人達はですね、法華の行者なんかと言うとなんかその、加持祈祷でもする中山(法華経寺)の坊主みたいな、 あんなのの事のように思う人があるようですがね、 あんなのは法華経の行者でもなんでもないですよ。 「法華経の行者」という言葉はですな、仏という意味なんですから。
 閻浮第一の法華経の行者だ、こう言うとなんだ、法華経の行者じゃないか、 これを、「御義口伝」の大聖人様の御心をわかってこの事を聞きますれば、 「閻浮第一の法華経の行者」、世界第一の仏である、こういう意味です。 天が与えるのは当たり前の話だ、こういう意味。
 ※創価学会は、池田大作を「末法第二の法華経の行者(仏)」と称する邪説をとなえている。
 ※更に創価学会は、平成28年11月、「創価学会仏が出現」という邪説を発表した。

 41)仏は大聖人ただお一人 ~二仏無し~  (字幕有効)
 「答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや」(顕仏未来記)
この言葉なども強いですね。 二つの日が、おてんと様があるわけない。一国に二人の王様がいるわけがない。 今、東洋中に、日蓮(大聖人)ただ一人仏である、仏というのは二人一緒の時代に出ないんですから。
 あっちに生き如来様だ、こっちに生き神様だ、今みたいにね、仏様が乱造されるなんてことないんです。 粗製濫造の仏様たくさんいます今は。そういうことはないんです。 仏というのは一仏に限る。ですから、太陽にたとえ、君子にたとえて今説明したんです。
 「当に知るべし仏の如き聖人生れたまわんか」(顕仏未来記)
 あの、大地震を見ても、地七種に震動すと言いましてね、 地震はそういう事を現すことになってるんですがね、仏教の経文では。 ですから、仏と同じ方が現れるんだ、即ち自分(日蓮大聖人)が仏なんだ、 自分(日蓮大聖人)現れたから、こういう風になってきてるんだ、こういう御言葉なんです。
 ※創価学会は、池田大作を「末法第二の法華経の行者(仏)」と称する邪説をとなえている。
 ※更に創価学会は、平成28年11月、「創価学会仏が出現」という邪説を発表した。

 42)「人間革命(妙悟空)」は半分フィクションである。 (字幕有効)
   「戸田先生の、小さい時からの自叙伝を書いてほしい。」
 それについてね、面白い話があるんだよ。 今ね、印刷中なんですけれどもね、「人間革命(妙悟空)」っていう本を書いたんです。 前に新聞にいっぺん出したんですけれどもね、あれはあんまりヘタクソでね、

 ↑戸田城聖著の人間革命
 今度は上手に書いたぞ。 それでこれは学会員に買ってもらってね、ウンと売れたら恥だからね、全国的に売ってやろうと思って、ベストセラーてやつあるだろ、どうだ?
 それで、それは嘘書いてあるんだぞ。本当のこと書いてないんだよ。 だけども、僕の精神は書いてある。 どういう風に書いたかっていうとね、ある印刷屋の職工(巌さん)がおってさ、その職工がね、そいつが、ともかく信仰した経路を書いてみたんだよ。 そして僕が牢へ入った時の事をね、そこからは本当なんだよ。 牢へ入ったところからは本当なんだよ。
 その前はデタラメなんだよ。 いよいよ来月あたり、今月中には本になってくると思うんだけどね、宣伝してくれよ、おい。 これは、名前は「小説・人間革命」という。小説・人間革命という題なんです。 これはうまく書いたからな。
 ※池田大作著の「人間革命」は、篠原善太郎氏によるゴーストライティングである。






【日 記】
故・大東院日明贈上人
(談:故・龍年光氏)





龍:小樽問答の翌日(昭和30年3月)12日、札幌市内で日昇上人の御招待を受けて、戸田城聖先生以下19名が出席し、猊下より「諸君の奮闘に感謝すという有難いお言葉をいただいて、一同は感激をあらたにした。
 その時、戸田先生は立上って「将来、御本山の命令があれば創価学会はいつ潰してもよい。学会は潰してもいいが、日蓮正宗は絶対に潰してはならない」と、御法主上人にお誓いする形をとりながら、勝利の美酒に酔っている学会幹部に対して厳しく将来に向って学会のあり方を示されたのである。
 このときすでに戸田先生の胸中には、折伏が進み学会が大きくなり幹部が増上慢となって信徒として日蓮正宗を護る本分を忘れて、日蓮正宗を潰そうとするものがあらわれることを予感されたのであろうか。
 それから35年過ぎて、戸田先生の予感は的中した。平成2年12月、法華講総講頭の任を解かれた池田大作が、逆上錯乱、全学会員に総本山大石寺及び正宗寺院への参詣を禁止し、御法主上人及び正宗僧侶の悪口雑言、二百件以上の濫訴等ありとあらゆる手段を用いて、宗門攻撃をした大悪業は、戸田先生が「日蓮正宗は絶対に潰してはならぬ」と厳しく戒められたことに、まったく逆行するものであった。そのとき戸田先生の横にいた池田大作が潰そうとした張本人となった。その日のことを随行された柿沼広澄師(故・大東院日明贈上人が日記に書き残されていた。筆者(龍氏)が該当する部分に〜〜〜を入れた。

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〝会長此の時学会は御本山命令あればいつつぶしてもよい、学会はつぶれてもいいが正宗はつぶしてはいけない。云々の挨拶あり〟
 この日記を保管されている東京品川の妙光寺御住職尾林広徳師(故・常宣院日至贈上人)は「小樽問答で学会が大勝利と喜んでいるとき、戸田先生はすでに弟子達が将来に於いて、増上慢となり宗門に対し、御法主上人にさえ横暴をきわめ謗法を犯す危険性のある事を察知され、それ等を禁められる発言をされていた事はさすがだなと思います」と所感を述べられた。
(文庫・有徳王:P70〜72)






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