- 1972.4.28(昭和47年)
- 日達上人は、
「日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇(しゅみだん)は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。
宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成慶讃に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。
右訓諭す。」
との訓諭を発布。妙信講は同日、池田会長に対し、正本堂の意義につき公場対決を申し入れる書状を送付
- 1973.8.12(昭和48年)
- 7月15日 顕正新聞が復刊。
12月22日 東京都板橋区常盤台に会館が完成。本部も甚兵衞宅から移転。
- 1974.8.12(昭和49年)
- 宗務院 妙信講を解散処分に付す
- 1974.10(昭和49年)
- 顕正会員70名が創価学会本部を襲撃。12名の逮捕者が出る。
- 1974.11.4(昭和49年)
- 宗務院 妙信講幹部33名を信徒除名処分に付す
- 1974.12.25(昭和49年)
- 宗務院 松本日仁を本宗の法規違反により擯斥に処す
- 1978.3(昭和53年)
- 顕正寺建立(和光市) 埼玉県和光市に顕正寺を建立、落慶入仏式を行う。住職に八木直道が就き、昭衞が導師を務める。(2003年廃寺)
- 1978.9.14(昭和53年)
- 東京都生活文化局管理法人課の認証を受け、宗教法人「顕正寺顕正新聞社」設立。
- 1982.10.9(昭和57年)
- 「日蓮正宗顕正会」と改称、会長に浅井昭衛就任
「あと25年で広宣流布できなければ核戦争で人類は滅亡」(顕正新聞 昭和57年10月15日号)
- 1984.4.9(昭和59年)
- 初代会長・浅井甚兵衛死去
戒名「直達院護法甚道居士」
- 1996.11.18(H8年)
- 宗教法人格取得、「宗教法人顕正会」発足。
- 1996.12.22(H8年)
- 「冨士大石寺顕正会」と改称。
- 2004.3.5(H16年)
- 戒名不要に変節
「塔婆は一切不要である。御在世においては戒名などはない。熱原の神四郎殿を見よ。顕正会においては戒名などは要らない。御在世に立ち還って、俗名のまま
でいきたい。いまこのように決めるのは、顕正会は広宣流布の団体だからである」(『顕正新聞』平成16年3月5日号)
- 2007.8.23(H19年)
- 発足50周年記念幹部大会開催(長野エムウェーブ)
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